1.呼び出しの手紙

 鮮やかな青空がオレンジ色に染まっていき、日が暮れようとしていた。


 じきに外出していた同伴者もそろそろ戻ってくる頃だろうと思い、濃い金毛の尻尾を櫛でブラッシングしていたルティリスは手を止めて、窓からの外を見上げる。


 ちょうどその時、彼女と同じテーブルで読書を楽しんでいた黒髪の魔族ジェマがやにわに本を閉じた。

 顔を上げ、夕焼け色の空を睨みつける。


「リトさん?」


 ルティリスが魔族ジェマに声をかけたと同時、窓から白い鳥が入ってきた。それは彼――リトの手元までまっすぐくると、ポンという音と共に手紙に変化する。


 【風便りウィンドメール】、手紙を鳥の姿に変えて相手に届けることのできる風の魔法。前に同伴者の一人である人間族フェルヴァーの少女が教えてくれた魔法の名前だ。


 それは、シンプルな白い封筒の手紙だった。

 目を丸くするルティリスとは反対に、別段驚いた様子もなくリトは封を開け、丁寧に折りたたまれた便箋を開く。覗き込むつもりはなかったが、紙面いっぱいに並んだ文字が一瞬だけ見えた。


 狩人見習いのルティリスとは違い、黒衣の魔族ジェマ・リトは魔法を専門職とする魔術師ウィザードだ。よくよく聞いてみると【風便りウインドメール】は初級の魔法らしいし、魔法を得意とする魔族ジェマにとっては珍しいものでもなんでもないのだろう。


 ちら、とルティは黒髪の魔族ジェマを覗き込む。


 口元を引き結ぶリトの表情は真剣さそのものだ。

 つった両目で文面を追って手紙を黙読する彼に気軽に声をかけてもいいのかさえ分からず。けれど結局、ルティリスはやっぱり気になって、我慢できずに声をかけた。


「リトさん、お手紙ですか?」

「うん、ただの仕事絡みの手紙だよ。まさか、こんなところにまで来るなんてね」


 口元だけ苦笑して、リトは再び便箋を丁寧に折りたたんでから元通り封筒に入れた。それをベストの内ポケットに入れ、室内の壁面にかけてあった黒衣を手に取る。彼がいつも身にまとっている、鴉の羽のような色の長衣だ。


「出かけるんですか?」

「ああ、急ぎみたいだし行ってくるよ。俺は今、休暇中なのに。迷惑な話だよね?」


 普段から生真面目であまり冗談を言わないリトが珍しくおどけたように言った。その仕草がなんだかおかしくて、ルティリスはクスクスと笑う。


「ほんの一、二時間出てくるだけだから、すぐに戻ってくるよ。ロッシェやセロア達が帰ってきたらそう伝えてくれるかい?」

「はい、分かりました」


 足元までの黒衣を羽織り、リトはテーブルの上に置いてあった剣を手に取る。そして、部屋のドアに手をかけて出て行く寸前の背中に、ルティリスは椅子から立ち上がり、声をかけた。


「リトさん、いってらっしゃい」


 それは今まで時間を共にしていた間、幾度も繰り返された当たり前の言葉だった。

 だからリトは振り返り、彼女を見て闇色の目を和ませて、いつものように返した。


「ああ。行ってくるよ、ルティ」





 * * *





(本当に迷惑な話だ。)


 街中の雑踏を進みながら、リトは胸中で呟く。


 沈み始めている太陽は茜色に染まっている。夕食前の時間だからか、街の商店は人であふれかえっていた。


 ティスティル帝国の港町リズ。海から渡ってくる品物だけでなく人も多いこの街は、宿場街として旅人にも人気がある。

 値段はリーズナブルで庶民的だし、警邏隊が配置されているので治安もいいからだ。


 大きな通りに出ると、商店や屋台が所狭しと並んでいる。魔族ジェマの国といえど人間や身体に獣の特徴を持つ獣人の姿も見られる。


 かく言うリトも、その旅人達の一人だ。


 魔族ジェマの中でも特に長身で、常にまとっているカラスのような色の長衣が一番目立つ。丁寧に短く切られた黒い髪は少しくせ毛で控えめにはねている。そして、つった切れ長の両目も黒。

 このようにどこもかしこも黒が目立つので、知り合いならばすぐに見つけられるほどリトの特徴は分かりやすい。

 首都ならともかく、こんな宿場街で会えばの話だが。


 手紙が来たのは本当に久しぶりだった。


 今でこそ獣人族ナーウェアのルティリスや、一言では説明し難い経緯で知り合った人間族フェルヴァー三人と共に旅をしているリトだが、もともとは爵位を持つティスティル帝国の貴族だ。


 人付き合いを極力避けるのが常のリトでも他の貴族や王宮からの形式的な手紙なら届く。しかし、旅のために職場には休暇の手続きを取ってきたので、それ以来手紙や書類の類は一切彼のもとに届くことはなかった、はずだった。


 向かい側からの人を避けながら進み、手紙の内容分を頭の中で反芻させる。

 もちろん中身は交友関係や夜会の招待状といったものではなく、リト自身が手がけている仕事に関わるものだった。






 リトアーユ=エル=ウィントン殿



 直接手続きを取らず、手紙を送りつける非礼を許していただきたい。


 近年、地方の鉱山で採取できる結晶石が枯渇しており、魔術具マジックツールの開発が難航していることは私も聞き及んでいる。ゆえに、王立魔術具マジックツール開発部に依頼した私の品も未完成のままであることは了承しているのだが、私情により予定よりも早く品が必要になった。


 それで本題だが、私の領地でとれた結晶石やその他の素材を提供するので、早急に作ってはもらえないだろうか。もちろん報酬は通常より高く支払うつもりだ。


 素材は私の屋敷まで、直接取りに来てもらいたい。場所は地図を同封しておくので、見てもらえれば分かる。


 無理は重々承知しているが、どうかよろしく頼む。




 レイゼル=ヴィ=シューザル






 送り主の名前は記憶にないものだった。

 文面から察するに、おそらくレイゼルという名の送り主は開発部に魔術具を依頼した地方の貴族だろう。


 本当に礼が欠けた、迷惑な依頼主だ。研究所に書類なり申請してかけあえばいいものを、責任者に直接送り付けてくるとは。


 思わず、溜め息を出る。


 王立魔術具マジックツール開発部研究所。通称、開発部。それがリトの所属する研究所の名前だ。


 女王自ら管理する王宮直轄の研究機関として、ティスティルだけでなく他国でも知られるほどに有名な施設である。その名の通り魔術具マジックツール―魔力がこめられた道具―を開発するのが主な仕事で、そのためリトの職業は魔術師ウィザードというよりは魔術具マジックツールの開発にあたる研究者に近いものがある。


 そしてリトは研究所の責任者、つまり開発部の所長だ。


 他の所員達よりも依頼主と関わる機会の多いので、依頼主からの手紙はよくある。だが、それは依頼の感謝や謝礼の手紙であって、このように顔も会わせず責任者と直接交渉してくるのはルール違反だ。


 開発部は女王がきっちりと管理しているので研究所内の規制が厳しく、手紙や口約束などで依頼を請け負うことはできない。今回のような場合はまず書類申請が絶対条件だというのに。


(さて、どうしたものか)


 研究所に【瞬間転移テレポート】の魔法で移動して所員に任せてきても構わないのだが、行ったら行ったで、すべての仕事を任せてきた次長に文句を言われてしまうだろう。

 延々と聞かされるであろう彼の小言も鬱陶しいし、面倒だ。それなら手っ取り早くリトが直接レイゼルとやらの屋敷に行って素材を受け取り、依頼を所員達に押し付けた方が楽に違いない。


 幸い地図を見た限り、この非礼な貴族の屋敷は宿場街リズの近くだ。街から抜けて徒歩でも十五分とかからない。


 とにかく、早く終わらせてルティリス達が待つ宿に戻ろう。ついでにこの傍迷惑な依頼主には、次からは正規の方法で掛け合うようにと再三言っておかなければ。


 飽きることがないくらいに、次々と浮かんでくる文句や不満が頭の中に浮かぶ。

 まさか自分が、時間外労働する羽目になるとは。

 思わず、深いため息がつく。


「……とりあえず、行ってみるか」


 面倒な気持ちを押しやりながら、黒衣の魔族ジェマは早足で街の中を抜けたのだった。

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