沙羅双樹演義

赤神龍

第1話 朝霧

沙羅双樹演義 1



 球体は遥かなる旅の目的地に近づこうとしていた。それはあまりに過酷な旅であったが、それももう終わる。

 その時であった、何か別の物体と衝突した。あまりに遠く、目的地までの強度は持ち得る限界ギリギリであったため、球体は3つに砕け、ガイアへと落下していった。



 ジパング編



 夜が明ける。薄明かりの中、辺り一面は純白の朝霧に包まれ、軍馬たちのいななく声、兵らの具足が擦れてガチャガチャと騒がしく鳴っている。左近は前方遥かに眼を凝らすと、霧の中に影が見え、それが時が経つにつれ次第にはっきりと見えた。林立する黒い影、まるで墨で描かれた一編の水墨画のような。美しくもあり、、、。

 長い一日が始まる。



 日は昇った。あれほど深く立ち込めていた朝霧はすでに無く、気は澄んでいた。今日は晴れる。時刻は卯の刻(午前6時)ごろか。川をへだてて今、視界いっぱいに広がっているのは、おびただしい数の、兵、馬、旗だった。それに対峙する見方の大軍も長く横に伸びていた。伝令の母衣武者が慌ただしく駆け回る。その時が近いのは、誰もが知っていた。これほどの大軍が、かつて激突したことがあるだろうか。ここは戦場だった。



 左近は眼を閉じ、ゆっくりとそして深く呼吸をした。心がはやりたっている。落ち着かねば、判断を間違う。時が大事だ。誰もがこの戦いの意味を知っている。決して失敗は許されない。

 「左近よ」

 「これは、治部様」

 肩に触れたのは主君である、治部少こと石田三成であった。

 「いよいよだな、」

 「はい、」

 島左近。大和の国人の家系に生まれ、畠山、そして筒井氏につかえていたが、そりが合わず辞していたところ、今の主君石田三成に誘われた。三成はおのれの武辺のなさを自覚し、それを補う将を求め、当時の三成の禄高4万石の半分を与える破格の待遇を提示した。豊臣麾下の武闘派加藤、福島らとは反目する三成だが、主家を思う気持ちは熱く、左近はその思いにうたれ、仕官した。

 「あれは藤巴紋、黒田長政の軍か。その隣は、細川忠興。奴等も必ずこちらを見ているであろう。」

 対峙する敵方は、かつて同じく豊臣麾下の武将。軍勢は両軍とも広く大きく展開していた。

 「両軍とも大軍ゆえに、左右に鶴翼。兵は敵方の方が多いが、地の利は先にこの地につき布陣した我が方が有利。我等が左翼から圧迫、右翼の松尾山の味方、敵方背後の南宮山の味方と包みこむように攻めれば、敵方は総崩れとなりましょう。」

 「長政め、ただの猪武者と思っていたが、此度は策士の父を見習い、あれこれと策を巡らせているようで、気になる。」

 「後のない戦いゆえ多くの大名が勝ち組でありたいと悩みましょう。されどここ事に至って我等は悩んでも仕方ありますまい。今は全力を尽くすのみかと。我等の相手は猛将黒田長政、敵に不足なし。」

 三成は、左近のいさぎよさが好きだった。

 「頼りにしている。」



 古代壬申の乱でも戦場となったこの地は、京と岐阜をつなぐ交通路において大軍同士が展開出来る唯一の場所だった。   

 東軍13万、西軍10万。

 慶長5年(1600年)9月15日 関ヶ原の地で大会戦が始まろうとしていた。



 家康は爪を噛んでいた。武将らしくない行いと知っていても、我知らずやってしまう。これまで何度も危機に直面しつつも、生き延びてきた。そして今、天下を掴む機会が、混乱するこの国を征し秩序を取り戻すのは、自分の天命だと感じた。そしてそれをやり遂げる決意もある。しかし、心中奥深くから湧き上がるこの不安は何だろう。目的の為なら手段は選ばない。黒田長政は良い仕事をした、多くの大名が裏切り味方に着く。吉川広家は約定通り西軍大将の毛利軍を抑え、決して動かさないだろう。勝てる。だが、戦は水物、流れ次第でどうなるかわからないのも事実だった。為すべきことは全てやった。しかしこの場に、本田忠勝かいればと。徳川四天王の一人、生涯負けなしと言われる本田忠勝、愛用の槍、蜻蛉切りを持って立つ姿はさながら軍神のようで、家康の心の支えとなってきた。しかしその忠勝が、今日は傍らに居ない。やはり何かが、狂っている。家康はまた爪を噛んだ。


 法螺、鉄砲、兵らの雄叫び

 「申し上げます、先陣の福島隊、井伊隊が、敵方にうちかかりました。敵、島左近が黒田隊に仕掛けております。」

 家康は、黙って頷いた。

 福島6千、井伊隊4千に対する敵方は、剣片喰の家紋、宇喜多秀家1万7千。中結祇園守は小西行長4千。時刻は、辰の刻(午前8時)ごろ。戦列の中央部で戦いが始まった。

 これに遅れまいと、他の部隊も続々とぶつかっていった。

 西軍。島左近、石田三成、蒲生、小西、宇喜多、大谷。

 東軍。黒田、竹中、加藤、細川、田中、福島、井伊。

 かつての豊臣恩顧の大名たちが東西に分かれ、全力で戦っていた。両者激しい闘志に満ちている。



 おびただしい数の鉄砲の黒煙、弓が空を切り、兵が叫ぶ。島左近1千、石田三成4千、対する黒田長政5千4百。戦いは混戦、両者一歩も引かず、それは長く伸びた他の戦線も同じだった。



 巳の刻(午前10時)

 倒しても倒しても、次々と敵か向かってくる。左近は傷を受けた愛馬を捨て、白兵戦を行なっていた。鎧を着ているが、全身傷だらけ、返り血を浴びてボロボロだが、やめられない。やめれば確実に死が襲ってくる。雑兵も将もない、ただ生きる為に修羅と化し戦う。一度、敵の黒田長政を見たが、今はどこでどう戦っているかなど全く不明だ。目の前の敵を倒すのみ。



 午の刻(午前12時)

 更に時が過ぎ、三成の本隊と合流するも、状況は変わらず。多くの者が死傷しているにもかかわらず戦線はいまだに膠着し、互いに消耗を続けていた。この戦いに両軍の全てが、やむなく参戦した訳ではない。今、戦っているものは、己の決意で死力を尽くし、全力で戦っている。両軍とも決して退かない、退けない。


 不味い、このままでは。歴戦の将、家康はここで何かをしなければならないと直感した。右翼と中央は激突している、背後の南宮山の毛利は、約定通り吉川が前にはだかり、戦闘に加われない。左翼の松尾山の小早川、そしてその前に布陣する脇坂、朽木、小川らの武将は動かなかった。両軍から度重なる催促を受けるも、どちらにつくのか、決めかねていた。

 「おのれ、小僧が!」

 家康は床几を立ち、軍配を前に示した。家康本陣は、ゆっくりと前進を始めた。自らも戦う大将の覚悟を敵味方全軍に示した。

 「松尾山に鉄砲を向けよ!」

 「それでは宇喜多が敵方に味方するやも、」

 「最早、構わぬ。敵となるなら、叩き潰してくれる!」

 松尾山に家康本陣から鉄砲が撃ち込まれた。距離があるので被害など全く無いが、これにより小早川秀秋が動揺した。本来なら毛利を大将とする西軍石田方に味方するのは当然だが、太閤秀吉の正室、叔母の高台院より密かに家康に内通せよと諭されていた。戦いが始まっても決めかねていたが、家康の行動に驚いた。家康は怒っている。最早俺などいなくても、勝ってみせるというのか。決して負け組につく訳にはいかない!死にたくない!

 「馬を!」

 「殿、如何されるのですか!、誰を攻めるのですか!」

 「大谷じゃ!」

 松尾山で静観していた小早川秀秋の軍1万6千は、一気に山を下り大谷吉継の軍へと突撃していった。

  猛将と言われる大谷吉継だが、今は病に侵され、余命いくばくもない身体だった。始めは東軍に加わり、上杉討伐に向かう予定であったが、友の石田三成の思いに応えて、西軍に加わった。吉継は、武人の直感で西軍は負けると感じていた。どちらも寄せ集めの軍だが、東軍は家康が大将として睨みをきかせているが、西軍の大将、毛利輝元は押し出されるように大将になっただけで、皆の統制がとれていない。しかも軍を率いるのは養嗣子の秀元、本人はいまだ大阪城に留まったまま。個々の判断で戦っても、決して勝ちはないだろうと。

 吉継は北陸から転戦し、合戦にはどうにか間に合った。しかし、今はなすべき事をするのみと覚悟を決めて布陣したが、大きな不安を感じた。それは小早川秀秋の去就だった。思い当たる事は多々あった。もしや、吉継は大谷隊の主力3千は息子の吉次に任せ、自身は6百の兵のみで、万一に備えた。

 今、小早川隊か山を下りこちらへと突撃してくる。

 『当たって欲しくない予感は、当たるものだな。』

歩くこともままならない吉継は、兵らの担ぐこしの上で槍を構えた。これも、定めか!

 「死ねや!」

 大谷吉継の隊は、津波のように押し寄せる小早川軍とぶつかった。だが、覚悟を決めた6百の兵は強かった。突き進む小早川を3度にわたり跳ね返し、一歩も引かない。驚くほどの強さをみせた。

 しかし、更に予期せぬことが起きた。吉継と共に北陸から転戦してきた朽木、脇坂、小川、赤座の隊が突如寝返り吉継を攻めた。東軍の藤堂高虎、京極高知。小早川秀秋。更に裏切った大名ら。まわりを敵に囲まれた吉継隊は堪えきれずに壊滅した。



「小僧め、ひやひやさせおって。」

これで勝った、家康は勝利を確信し、床几に深々と腰を下ろした。



 「小早川、裏切り!」

 「脇坂、朽木、裏切り!」

 「小川も裏切ったぞ!」

 槍を振り回し、必死で戦う左近の耳にもそれは伝わった。元来、武辺の向かない石田三成さえも必死で戦っていた時だった。

 「おのれ、小早川め!太閤殿下の一門であるにもかかわらず、裏切るとは!」

 三成は、歯をくいしばった。唇が切れ、血がしたたる。奥底から湧き上がる涙が、頬を伝う。

 「殿、まだ負けてはおりません!負けを認めた時、負けるのです!」

  左近の声が、聞こえた。だが、拮抗していた石田、黒田軍だが、徐々に押されてている。大谷隊の壊滅は、戦場の流れを変えた。これで終わりなのか!



  圧倒的な兵力差の前に消え行く大谷吉継隊の後方に、僅か1千程の軍勢がゆっくりと展開した。騎馬はおらず歩兵のみだが、全身真っ黒な鎧を見にまとった異様な一軍。何よりも目を惹くのは、その内の3百程の兵が、とてつもなく大きく、身の丈は10尺(約3メートル)を超える巨人だった。それらが、横一列に並び、残りの兵らが巨人と巨人の隙間を埋めた。手に持つのは、常人では不可能な程重く強い鋼の棒で、それを槍のように構え、小早川軍へと前進を開始した。



 勢いに乗った小早川の騎馬隊が、全速力で突撃する。巨人部隊は歩みを止め、構える。凄まじ轟音と共に両軍が激突。ーーー、騎馬隊が消えた。全速力で突っ込んだ騎馬隊は、巨人らに弾き飛ばされて、跳ね返された。人の首、足、馬の千切れた胴体。巨人の鋼の棒に、刃など必要無かった。怪力で振り回す棒に触れれば肉は散り、骨は砕ける。人馬もろとも肉の塊にされた。次々、突撃する騎馬隊は、瞬く間に殺された。そして巨人隊は、歩兵らの本隊へと再び前進を始めた。鋼の棒は唸り、血の雨を降らせる。

まるで稲穂を刈るように命が刈られた。

 「化け物!」

 「鬼、鬼じゃ」

 「黒鬼!」

 誰言うとも無く、鬼と言う言葉が広がり、皆が恐怖した。



 巨人部隊は、当たり前の事を全くしなかった。戦後に恩賞を貰うため、敵の大将首をとったり、雑兵の鼻や耳を削ぐのが普通だったが、誰もそれをしなかった。将も兵も一切構わず斬る、巨人が撃ち漏らした者、傷を負ったものは常人の兵が槍で刺殺する。ただそれを繰り返す、冷酷非情に。小早川隊は、大混乱し、同じく裏切った部隊と共に、崩壊、瞬く間に壊滅した。


 担ぐ者も無く、それでもこしの上で大谷吉継は戦っていた。周りにはほんの僅かの配下の兵が残っていたが、無傷の者など一人もない。自身も深手を負った、もう助かるまい。もっとも病で余命いくばくもない体だ、よく戦ったと思う。もうこれ以上は無理だ、腹を切るか、それとも今目の前で、こちらに刃を向ける敵兵に討たれてやるか。そう考えていた時、敵兵は一目散に、逃げた。

 「どうした、我は大谷吉継ぞ、とって誉れとせよ。」

 だが、敵兵は戻らなかった。

 不意に、吉継は自分が何かの影に入っている事に気づいた。折れた刀で上体を支え、上を見上げた。

 何だ、真っ黒な巨大な影、全身を黒い鎧で覆い、頭部は面と一体の兜を被る。鉄の爪がついた手袋をはめ、長く黒い棒を持つ。鎧の肩には7つの丸、七曜紋。人か、しかし、とてつもなく大きい。巨人は仁王立ちし、こちらを見下ろしていた。面で表情は全く見えないが、ギラギラと赤く眼が燃えている。これは鬼ではないか。俺の命を奪いに来たのか。一瞬、視線が交わったが、フンと巨人は興味をなくしたかの用に顔を前に向けるや、戦列に加わっていった。俺など手を下すまでもないと言うのか、情けなし。吉継は、殺戮を繰り返し遠ざかるこの巨人の背を追った。そしてふと気づいた。何か背負に描かれている。二羽の鳥、鴨、おどけた表情、二つ雁金紋(ふたつかりがねもん)?

 「殿、」

 配下の兵に体を支えられた。意識が薄れていくなかで、巨人が離れていく姿をぼんやり見ていた。



 駄目だ、もうこれ以上は。島左近は血で滑る槍を持ち直し、新たな敵に対した。だが配下の兵は後退し、逃げ始めていた。一方、黒田の兵は、勝利を確信し、勢いを増していた。せめて、殿、石田三成を落ち延びさせようか。

 その時、戦場全体にはらわたに染みるような轟音、悲鳴が伝わった。何だ、何の音だ。戦場の動きがピタリと止まった。なおも、轟音、悲鳴が続く。



 「朽木元綱、討ち死に!」

 「小早川秀秋か逃げたぞ!」

 どうなっているのか。黒田兵も攻めるのをやめた。

 「本陣が、家康様が攻められている!」

 「家康が逃げたぞーー!」



 裏切った小早川を壊滅させた巨人部隊は、休むことなく家康本隊にぶつかった。家康は小早川を決断させる為、前に出ていたが、それが仇となり敗走する小早川や諸大名の兵に巻き込まれ、大混乱となった。最早、戦うことなど不可。恐怖に震え逃げ惑う兵を巨人兵が、殺戮を続ける。



 「殿!」

 左近は、三成の側に。

 「黒田の兵が、引いてます!」

 「何があった!」



 母衣武者が叫んだ

 「申し上げます、九鬼の兵が、小早川を討ち、さらに家康本陣を攻めております。家康は逃げたと!」

 「まことか!」

 九鬼の兵、海賊衆か。どの隊とも交わらず、西軍の最後尾をノロノロとついてきた一団、その異様で不気味な雰囲気ゆえに、誰も近づきすらしなかった一団。

 「殿、兵をまとめます。押し返しましょう!」

 三成は頷いた。



 不味い、これは不味い。後詰の部隊にいた徳川秀忠は、大混乱する父家康の本隊を見ていた。東海道の父とは別に中山道を進んだが、やや遅れたが関ヶ原のこの戦いには間に合った。徳川家康本隊3万、秀忠軍3万5千。しかも家康本隊は寄せ集めの隊に過ぎず、真の徳川精兵は秀忠の率いる部隊だった。秀忠は馬に飛び乗った。秀忠軍が動き、敗走する家康隊と巨人との間に割って入った。徳川を支える真の精兵部隊、恐れながらも逃げずに対峙する。

「撃て、射よ、」

 接近戦となれば、巨人の餌食になるだけなので、鉄砲、弓、礫などありとあらゆるものを投げた。だが、巨人の厚い鎧には効果がなかった。しかし、これしか方法が無い。秀忠はふと、前に読んだ書物を思い出した。南の国には象という、馬より遥かに大きな獣がいて、戦に使われる。地響きを立て突進すれば、何者もそれを止められない。更に象の背に乗った兵が、高い位置から下の敵兵を攻めるのでなす術がない。だが、そんな象にも弱点がある。それは足元で、巨体ゆえ間隙をぬって足元を狙い、動けなくする。そしてそれを防ぐ為、象の足元を守る歩兵が配される。この巨人らの足元にも常人の兵がいる。単に撃ち漏らした敵に対するだけでなく、巨人の足元の足を守っているのでは。巨人同様に黒い鎧を着ているが、所詮は人だ。

 「足元の歩兵を攻めよ!」

 集中して攻撃すると、歩兵が倒れた。

 「これだ、続けよ!」

 歩兵がバタバタと倒され、守る歩兵の居ない巨人兵を取り囲み隙を見て足元に飛び込み、攻める。多くの兵が巨人に殺されたが、それでもやめない。秀忠軍3万5千が獣に群がるアリのようだった。

 誰かの槍が、巨人の鎧の隙間に入った。咆哮を上げ、巨人はのけぞったが巨人は更に怒り、手の爪で周りの敵を切り裂いた。凶暴に荒れ狂ううちに、兜が取れた。

 その場にいた全てのものが、息をのんだ。そして、

 「熊だ、熊だぞ!」

 巨人、鎧を着た巨大な熊は、燃える赤い眼で、兵に噛みつき首を引きちぎった。

 「鬼なら無理だが、熊なら人の力でも倒せる。遅れをとるな!」

 秀忠は、兵を鼓舞した。兜を失った熊の頭部に大量の鉄砲玉が撃ち込まれた。眼は潰れ、血まみれとなった熊は轟音と共に倒れた。出来る、秀忠軍は雄叫びを上げた。九鬼の黒鬼兵(くろおにへい)の破竹の進撃が止まり、混戦となった。

 「やれる、まだやれる。」

 一旦は崩れた東軍だが、秀忠軍の奮闘により家康本隊や諸大名の軍は体勢を立て直していた。西軍に東軍を攻める余力はあまりない、東軍に裏切って味方した大名を除いても元々兵数は東軍の方が多い。



 「面白い、実に面白い。」

 「何がですか、父上。」

 真田昌幸は、ゴシゴシと伸びた無精髭をこすった。

 「これが面白く無いのか、信之よ。」

 「私は、面白いですよ、兄上。」

 三人の男達が小高い丘の上から、関ヶ原全体を、秀忠軍をみていた。信州上田城を拠点とする。真田昌幸、嫡子の信之、次男の信繁。

 「秀忠様が急に動いたため、我等は遅れてしまったではありませんか、早く加勢しないとどんな叱責を受けるか。」

 「おいてけぼりか、まああわてるな。もともと、おまえは徳川軍で、わしと信繁は上田城で籠城し、秀忠を足止めする算段だったが、大谷吉継殿の使いでそれをやめた。」

 信之は父の顔を見た。

 「上田の田舎で、息巻いても何も変わらない、つまらない意地などはらずに、勝つものに付けと。確かにそうだ。それであっさり上田の城を明け渡し、秀忠軍の先鋒としてここまで従ってきたが。」

 信繁。「来てみて驚きました、大谷の義父は東軍ではなく、西軍に味方しているわ、おいてけぼりをくらうわ。この先何が起こるやら。」

 信繁の妻は大谷吉継の娘だった。

 「急ぎ用意をさせます。」

 「まあ、待て信之。」

 「それでは戦わないのですか?」

 「戦うさ、もちろん。ここまで、のこのこ来たのは物見遊山じゃない、戦うためだ。だが、その前に聞きたいことがある。」

 「?」

 「たとえ味方しようとも、家康が勝ったら、どうなるかな。遅れたの何のと口実をつけられ、上田は没収、真田は減俸よ。真田と徳川は悪縁、家康は真田を快く思っていない。それはお互いさまで、こちらとて同じ。」

 「何が言いたいのですか、父上!」

 「信之よ。そなたの妻は徳川四天王、本田忠勝の娘。沼田城で徳川の与力となっているが、もし西軍に味方すると言ったらどうする。」

 「何を言うのですか、今更。」

 「今更だから言うのだ、我等弱小大名は生き残る為、強い主人を選ばねばならない。」

 「また、二つに分かれるのですか!」

 「そうではない、おまえも西軍に着くのだ。」

 「負けたらどうするのですか、西軍が負けたら!」

 「いや、西軍は勝つよ。しかも我等が加勢すれば間違い無く。」

 昌幸は関ヶ原の向こう、京の方向を指差した。微かに砂煙が舞っている。



 秀忠軍は突然、後方から奇襲を受けた。

 「真田が裏切ったぞ!」

 六文銭の旗印、真田3千の兵に攻められた。

 九鬼の黒鬼兵と全力で戦う秀忠軍は、守りの弱い後方からの攻撃を受け大混乱になった。前後から挟撃されている。

 「おのれ、信之!おまえもか!」

 秀忠は、騎馬で奮戦する真田信之の姿を見た。

 秀忠軍が大混乱となり、崩壊する姿を見て、東軍諸大名は動揺した。まさにその時、西軍の皆が叫んだ、兵も将も、歓喜に打ち震えていた。

 西軍の後方に、日の光を浴びて燦然と輝くものが見えた。千成瓢箪の馬印。馬印を先頭に新たな大軍が、関ヶ原に到着した。

 「秀頼様だ、豊臣秀頼様がおみえになったぞ!」

 歓喜の声が、関ヶ原に満ちた。新たな大軍の中には、西軍大将の毛利輝元の馬印もあった。毛利軍を率いて南宮山に布陣しているのは輝元の養嗣子、秀元だった。母衣武者の伝令が西軍諸大名に飛ぶ。石田三成の軍にも届いた。

 『太閤殿下の恩を忘れるな。家康を討て!』

 三成は槍を持ち、立ち上がった。島左近もそれに従う。西軍諸大名は最後の力を振り絞り東軍へと向かった。

 「太閤殿下の恩を忘れた、恩知らずに死を!」

 「太閤殿下が怒っておられるぞ!」

 西軍は叫びながら、突入した。東軍諸大名は、動揺した。今の地位があるのは、秀吉のおかげだった。秀頼に刃を向ける覚悟はまだ持っていなかった。

 南宮山が動いた。毛利軍2万、毛利が東軍に通じているのではと疑い動けなかった長曾我部盛親の軍6千6百やその他の武将が一斉に山を下り、東軍背後から攻撃を開始した。東軍は堪えきれず、敗走した。



 福島正則は、僅かの騎馬兵と共に戦場から逃れようとしていた。追う西軍、逃げる東軍。大混乱している。こんな時グズグズしていては命が無い。戦いで死傷者がもっとも出るのは、逃げる時だ。だが、その道が無い。唯一考えられるのはあの、巨大な獣の下をくぐり、東へ走ることだった。敵も味方も恐れてポッカリと空いていた。自分は十分戦った。負けず嫌いの性格が、正則を無謀な賭けに挑ませた。

 「行くぞ!、臆すれば死ぬ!」

 全速力で足元に突っ込む。共の騎兵らが倒れる振動と悲鳴が。だが自分は抜けたと思った瞬間、衝撃に吹き飛ばされた。巨人の棒は、逃さなかった。地面に転がった正則を踏み付けた。体が軋み、苦痛の声が漏れた。これでおしまいか!覚悟を決めたが、そこまでだった。

 巨人は落ちていた正則の槍を拾うと、矯めつ眇めつ見ていたが、やがて上から赤く輝く両眼が見下ろしていた。肩を揺すりおどけたような身振りをした。そしてあろうことか、自分の面の付いた兜に手をかけ外した。

 !!!

 熊では無い、人だ!

 髪はザンバラで、赤黒の焼けた肌。そしてどこかで見たような顔

 !!!

 正則は知っている、それが誰なのか。驚いた顔を見て、巨人はニヤリと笑った。そしてもう要は無いとばかりに蹴り飛ばして、新たな獲物へ向かった。

 鬼だ、本物の鬼だ!!

 今見たものに恐怖、錯乱し、気が触れそうだ。



 東軍の退き口は二つ。南宮山の北を通り、大垣方面へ。しかし、大垣城には西軍が篭っている。もう一つは南宮山の南を抜けて、伊勢方面へ。これとても、毛利らの攻撃を受ける。東軍の布陣は背水の陣とも言え、負けた時の被害は壊滅的となった。東軍の討たれた兵は2万を超える。


 長い一日が終わった。

 頃合いとみた豊臣秀頼より、追撃中止の命が下る。関ヶ原の戦いは、毛利輝元を大将とする西軍が勝利した。



 パチパチと燃え盛る篝火。陣幕が張られ、西軍諸大名が集められ軍議が開かれた。汚れた身なり、手傷を負った武将もいた、その一方できれいな身なりの武将も。表情は、勝利で皆明るい。

 「一同、秀頼様である。」

 皆の礼する中、主座に少年が座った。豊臣秀頼、この時7歳。石田三成は、確かに本人であると確認した。他の武将の顔にもそれが見て取れた。正直なところ疑っていた、偽物ではないかと。三成は戦いが始まる前に、何度もあらゆる手を尽くし秀頼出陣の工作をした。家康討伐のこれ以上ない大義名分となり、東軍諸大名の離脱も考えられる。だが、母淀君の強い反対で実現しなかった。なのにこれは、奇跡としか言えない。おかげで、勝利した。三成の目には、熱いものが込み上げた。

 秀頼の横に一人の女性が立った。紅の西洋式鎧。口元まで隠れ、眼だけが見える兜。身体つきは太くもなく細くもなく、女ながら鍛えられた筋肉質で、何故か妖艶さを漂わせている。肌は白く、美女であるような。淀君、いや違う。淀君より若い。そして何より驚くべきは、赤い眼をしている。鬼?、まさか。

 更に、巨人が一人守るように立った。その場に居た者は驚き、騒然となった。何と言う大きさか、常人の背丈の3倍はあろうか。黒一色の鎧兜。数えられない鉄砲の痕、引っ掻き傷、黒くべっとりとこびりついた血。巨人は未だ戦場の香りを漂わせていた。肩には7つの丸の家紋が刻印されている。無敵の武者。

 巨人が棒で、大地を打った。ドン、衝撃音が響いた。

 「静まれ!」

 紅の鎧の女が、口を開いた。

 「静まれ!一同!」

 「九鬼の一姫(いちひめ)である。皆の者、以後知り置け。」

 「後ろに控えるのは、九鬼の黒鬼兵じゃ。」

 姫は一同をゆっくりと見回した。

 「申し伝える事がある。以後、秀頼様後見はこの一姫が務める。」

 皆が、騒ついた。無理もない。豊臣一門でも、大大名でもない、海賊の、しかも女が後見人とは。

 「静まれ!」

 一姫は秀頼を見、そして促した。

 「姫の言葉は、よの言葉である。違えること無し。」

 一同は、平伏した。

 「続ける。吉川広家!此度はなかなか面白い芸を見せてくれたな。毛利秀元率いる軍は、家康討伐を命ずる。よろしいかな、輝元殿。」

 毛利輝元は、苦虫を噛み潰したような顔で、頷いた。

 「その綺麗な着物を、血と汗で染めろ。秀頼様の前に、家康の首を差し出すまで帰国は叶わないと思え。よいか、広家!」

 吉川広家は平伏した。西軍だが、参戦をためらった、動かなかった他の武将も同様に追撃を命じられた。


 「秀頼様は、いかに?」

 「秀頼様と九鬼は西国に向かう。西国で未だ家康に味方するものどもを討伐する。」

 全力で戦った諸将は、一時帰国し兵の再編成を。領地の多くが西国なのでそのまま西国討伐と決められた。

 「真田昌幸!」

 「はっ。」

 「此度はよい働きをした。そなたの欲しいものを与える。信濃一国、切り取り自由とする。」

 「はっ!、有難き幸せ。」

 切り取り自由。家康に味方した者も未だいるが、それらを皆討伐し、領地としてよいとの命令。

 武田が滅びて以後、苦難の連続だった。上杉、北条、徳川、大国に囲まれ戦っても、戦っても報われない。それが今、信濃40万石が手に入る。この時、太閤検地では尾張57万石、越後39万石。米所と思われている越後より石高は多い。

 「上田の事もある、急ぎ帰国せよ。」

 「はっ!」

  真田昌幸の顔は、喜びに満ちていた。

 軍議は終了となった。



 陣に戻ってすぐ、真田信繁に本陣へ来るよう使いが来た。父と兄は夜半にもかかわらず、陣を引き払い信濃へ帰国する準備を始めた。遅れれば、城を預かる徳川が何をするかわからない、時間との勝負。

 「後から来ればよい。先に行く。」

 信繁は真田隊を見送り、本陣へと向かった。



 戦乱で荒れた寺に、豊臣の本陣は置かれていた。

 既に石田三成、島左近が待っていた。

 「九鬼の姫が突然後見となるとは。我等が出陣した後、大阪で何があったのだろう。」

 信繁は、三成に問うた。

 「輝元殿は、苦虫を噛み潰したようで何も答えてくれなかった。配下の者に調べさせたところでは出陣後、20隻もの大型ジャンク船が現れ、城に入った。」

 「中華の大型船か。」

 「九鬼の本拠は、伊勢志摩ではないのか?」

 「いや、今は琉球にある。我等にはどうなっているのか、伺い知れない。」

 「その一団を率いていたのが、あの九鬼の姫で、瞬く間に城を抑えたそうだ。」

 島左近。「戦さに、ならなかったので?」

 「全く。どんな手を用いたわからぬが、淀君は受け入れた。」

 「ふむ。」

 「その後、あの黒鬼兵が遅れて来て戦いに参加。更に豊臣本隊を率いて秀頼様と姫が。おかげで戦いに勝利はしたが、解せぬことばかり。」



 「九鬼の一姫様が、お会いになる。」

 本堂。

 案内に導かれると、巨人が一人扉の前に立ち、警備していた。ギラリと光る赤い眼で三人を睨み、顎で行けと示した。

 島左近。「あれは、巨人の背中の家紋を見ましたか?あれは、二つ雁金紋ではありませか?」

 三成。「まさかとは思うが、所縁の者かも。」



 本堂の中は、多くの燭台が灯され明るい。中央に西洋式の椅子が置かれ、姫が座っている。あの鎧は脱ぎ、ゆったりとした衣をまとい、手には西洋のグラスを。赤い瞳は宝石のように美しい。天女のようだ。その美しさに皆は呑まれた。

 三人へ顔すら向けず、グラスの中の赤ワインをもてあそびながら言った。

 「よくまいった。」

 「はっ。」

 「そなたらのおかげで、戦いに勝った。大坂城も手に入れることが出来た。感謝している。」

 信繁。「秀頼様の出陣が無ければ、勝てませんでした。いかにして、淀君を説得されたので?」

 「茶々は、わたしには逆らえない。」

 何を言っているのか、この姫は。

 「久しぶりよな、治部、信繁。」

 姫は、妖しく微笑んでこちらを見つめていた。

 信繁。「何処かでお会いした事が?」

 姫。「忘れたか?治部も信繁も、まだ小僧であったからな。」

 どう見ても、二人より姫の方が若く見えるが。

 「、、、、!!!」

 三成が気づき、動転した声で尋ねてた。

「もしやあなたは、市姫様では!」

 信繁。「まさか!」

 左近。「!!!」

 「茶々はわたしの娘、秀頼はわたしの孫。」

 左近もその名は知っていた。市姫、織田信長の妹、近江の浅井長政に嫁し、三人の娘を産む。浅井と織田が戦い、浅井家は滅亡したが、娘らと共に生き残る。本能寺の変の後、柴田勝家に嫁す。羽柴秀吉(豊臣秀吉)との戦いになり、柴田が負けた時、娘三人のみを落ちさせ、自らは夫柴田勝家と共に越前北ノ庄城で自害した。秀吉も恋い焦がれた、戦国一の美女と皆は言った。

 「姫様は越前北ノ庄で自害されたと、」

 「生きている。」

 「それに淀君様よりお若く見えますが?」

 「何故かな、それは本人の私でもわからぬ。のう。」

 振り返ると、いつのまにか巨人が本堂に居た。巨人はゆっくりと兜を取った。

 日焼けしたような赤黒い顔、強い意思を示すような口、真っ赤な眼。

 三成。「あなたは!柴田勝家様!」

 巨人は肩を揺すった。

 「許せ、勝家は言葉が話せぬ。たが、秀吉に仕えていたそなたらに再会した事、面白がっている。」

 「驚きです。再びお会いするとは。」

 「信じられません。」

 「まあ、そう言うことよ。さて三成、この先徳川はどうでると。」

 「はい。各地の拠点を抑え、味方する諸大名も残ってます。一気に江戸までは無理かと。調略で力を削るのが上策と。」

 「期待している。しかし、機が熟すにはまだ時間が掛かるだろう。領地の佐和山で軍備を整え、ひとまず大坂城へ入れ。」

 「西国討伐を先に?」

 左近。「加藤清正ですか?」

 「それもあるが、秀頼が行けば降るであろう。むしろこの際、九鬼にとって邪魔なものを片付けたいと。」

 「それは?」

 「村上水軍。」

 日本海賊の王者。瀬戸内海を勢力圏としている。

 「村上水軍は、毛利と、」

 「実際は独立独歩だが、毛利の配下とされる為、九鬼もやりにくかった。しかし、この際一気にと。」

 「もしや、その為に毛利の本隊を東に、」

 「邪魔なものは居ない方が良い。後で毛利も感謝するであろう、板挟みにならず。」



 兵が一人。

 「よろしいですか、姫様。」

 「よい、中へ。信繁、そなたを呼んだ訳を教えよう。」



 戸板に載せられた武将が何人もの兵に担がれ、運び込まれた。全身血まみれで、無残な姿だが、まだ生きている。だがもう、助かるまい。

 「!!!、義父上!」

 信繁は瀕死の武将に駆け寄る。 それは大谷吉継、真田信繁の妻の父。

 「吉継、起きよ!」

 信繁。「しかし、」

 苦しみにうめきつつ、吉継は頷いた。信繁を払い、ゆっくりと上体を起こした。

 一姫は吉継の前に屈むと、顔を覗き込んだ。吉継は戦の傷だけでなく病にも侵され、血膿にまみれ、瞼はただれ、見えているかも定かでない。

 「良き男よ。」

 姫は微笑んだ。

 「男の中の男。吉継よ、そなたに褒美を与えよう。」

 一姫は吉継の唇に唇を重ねた。予想外の行動に皆は声もない。


 「鬼よ!」

 柴田勝家が近づき、背中に負っていた槍を構えた。とっさに島左近は、信繁を羽交い締めにし、制した。恐らくもう、助かるまい、ならば苦しむよりも楽にしてやる方が。

 姫は小刀を出し、小指を切った。血が滲み、美しい赤い球となる。吉継の顎に手をかけ、上を向かせると、眼に血の球を落とし、微笑んだ。一歩下がるや、勝家が槍を斜に構えて、空を斬り裂いた。槍の穂先が吉継の首を斬り、血が飛ぶ。姫の顔や着物にも血飛沫が飛んだが、姫はじっと見ている。首は落ち、胴体はゆっくり前に倒れた。

 「義父上!!」

 わかっている、わかっているが、信繁は泣いた。

 普通、槍は突くもので心の臓を一突きすると思っていた左近は、以外に思った。

 何故、首を斬る。、、、あの龍の浮彫の槍は見覚えがある。日本号ではないか。確か太閤殿下が福島正則に与えたものではないか。

 日本号。『槍に三位の位あり』と言われる正三位の位を持つ天下三名槍の一つ。皇室御物であったが、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、福島正則と伝わった。

 槍は持ち手によりこうも違うのか、妖しさに青白く光り、血を滴らせていた。



 「信繁よ。」

 姫は信繁を見ていた。

 「吉継は死んだ。死して、新たなる旅立ちをする。泣く事はない、祝え。新たなる旅立ちを最後まで見届けよ。」



 白い着物、白い布で顔を隠した者が入ってくる。うやうやしく吉継の首を取り、出て行く。信繁は両脇から兵らに掴まれ引き摺られるように連れていかれた。

 「何をする。離せ。」

 「では、離しますが。姫様の御命令で、立ち会ってもよいとのことなので。こちらへ、」


 案内されたのは、寺内の隅にある小屋だった。小屋の隙間から、数えきれない白い光が何本も漏れていた。戸が開かれ中に入ると、眩いばかりの白い光に包まれていた。

 中には何人もの、首を運ぶ者と同じ服装の、白い着物の者達がいた。

 中央の台には巨大な熊が横たわり、熊の身体には何本もの管が繋がれ、ガラスの容器から赤い血が注がれていた。体は白い布で包帯され手当されているが、頭はグチャグチャで酷い状態だった。息をしていない。



 信繁は眼を見張り、驚いた。何が始まるのか?

 熊の首が切り離される。続いて、様々な見たことも無い器具を用いて、あろうことか吉継の首を熊の体に繋ぎ始めた。

 ありえない!

 やがて、首の切断面をきれいに縫い付けると、小瓶の薬を嗅がせた。

 ピクンと体が反応し、震えた。胸が上下に動き、呼吸を始めた。


 「こちらへ、」

 吉継が眼を開き、こちらを見ていた。

 「ありえない!これは!南蛮の魔術か、これは!」

 「いいえ、姫のお力です。」

 吉継の眼は、赤く燃えていた。



 戦いからほぼ一週間が過ぎた。

 曳馬野城(浜松城)。家康が今川攻略で拠点とした。武田との三方ヶ原の戦いにゆかりの城で、北条滅亡、関東入封後の天正18年(1590年)から、秀吉の家臣堀尾吉晴、その次男堀尾忠氏が12万石で在城した。吉晴は関ヶ原の戦いの前、他の大名の争いに巻き込まれ傷を負い、隠居地の越前府中に帰ったまま。息子の忠氏は東軍に味方し、山内一豊と共に城を提供し、自身も戦いに東軍として参戦した。関ヶ原では、西軍の中々動かない長宗我部盛親の出撃を牽制していたが、主戦場から離れていたため、からくも離脱し城に戻った。逃げ戻った西軍の兵で城は大混乱となっていた。


 深夜、一人の雑兵がむっくりと起き、浜へと降りた。浜に隠してあった小舟に飛び乗り、外海に漕ぎだした。沖に出ると、松明に火をつけて大きく振った。

 それを覗き見る男がいた。男は親指を上に立てた。

 チカチカと光が海面に点滅し、気づいた雑兵は、そちらへと更に漕ぎよせた。

 突然、海が泡立ち渦を巻く。小舟はその渦に巻き込まれた。下から突き上げられ、何か黒く大きなものに乗り上げた。ためらうこと無く、雑兵はその何かに飛び移った。その中央部に櫓のようなものが見られ、櫓から何人もの人が現れ、小舟で来た男を櫓の中に引き込んだ。小舟は静かに暗い海へと消えていった。


 中は明るく、狭い空間に何人もの男がいた。赤い髪の紅毛人、南蛮人、黒人など様々な人種がいた。指揮官の前に立つと雑兵は敬礼をした。

 「ご苦労。ツクトック少尉。」

 言葉は英語を使っていた。

 「艦長、報告します。」

 「肩苦しい挨拶は無用だよ。それより長い間の探索任務、大変だね。」

 「もうほとんどジパング人です。」

 「体が冷えたろう、飲むかね?」

 「はい、ウイスキーなんて久しぶりです。いつ飲んだか忘れてしまいました。」

 「君は、イヌイットの出身と聞いたが?」

 「はい、なのでこの任務につきました。」

 イヌイット、新大陸の北極点近くに住むエスキモー諸民族の一つで、日本人と同じモンゴロイド。

 「そう言われる艦長も、」

 艦長と呼ばれた男は、黒髪で短く刈った髪に羽飾りを付けていた。

 「スー族だよ。あの大平原が懐かしい、何処で道を間違えたのか、」

 艦長はニヤリと、肩をすくめて見せた。

 「で、陸の様子はどうなってる。」

 「はい、関ヶ原で家康が負けました。」

 「ふむ、困ったな。我々が手にする記録とは、大きく掛け離れてしまった。今後、どうなるのか予測がつかない。本国に報告して指示を仰ぐしかあるまい。」

 「全く、」

 「ところで、この艦はどうかね?」

 「初めて見ました。こんな船が出来るなんて信じられません。」

 「U1級Uボート、我が国初の潜水艦だ。技術の粋が詰まっている。」

   全長 42.39m

   全幅  3.75m

   喫水  3.17m

   排水量(水上/水中) 238t 283t

   速度(水上/水中)  10.8kt/8.7kt

   水上航続距離 1500海里/10.0kt

   水中航続距離   50海里/ 5.0kt

   (1海里=1852m 1kt、1ノット=1時間に1海里進む速度)

   兵装 45cm魚雷発射管×1

   乗員 14名

 「素晴らしい!我が国の誇りです。」

 少尉は壁面のプレートを見た。

 三頭の鷲のマーク、刻まれた文字は、

 U.S.I. United States of Inca

(ユナイテッド ステーツ オブ インカ インカ合衆国。)

 ソナー手が叫んだ。

 「イルカの声が!」

 艦長は弾かれたように走った、

 「ハッチを閉めろ!急速潜航!すぐにこの場を離れるぞ!」



 丹後宮津城 細川11万石の拠点。東軍として戦った細川忠興は、命からがら、城に戻ってきた。部屋で一人の女性が待っていた。

「玉、玉ではないか!」

 忠興は仰天した。忠興の妻、明智玉。父はあの明智光秀。本能寺の変後、一時は幽閉、側女を何人も持つなど玉にはつらくあたってきた忠興だが、玉の美しさゆえ手離すことは出来なかった。父無き後キリスト教に改宗し、細川ガラシャと言われる、美女だった。

 「お帰りなさいませ。大変でございましたね。」

 「自害したと、」

 大坂玉造の細川屋敷で、人質にとろうとした西軍に囲まれ、屋敷もろとも爆薬で自害したと聞いていた。

 「おあいにくさま、生きております。殿を残して死ぬなどと。のう、秀清。」

 家老の小笠原秀清が、平伏していた。秀清は万一の時、玉の介錯を命じられていた。

 秀清。「殿、申し訳ございません。殿、お話が、」

 玉姫。「よい、秀清。もう、よい。下がっておれ。殿と大事な話しがあるゆえ。」

 「しかし、」

 「玉が無事でなにより、話は後で聞く、」

 「はっ、」

 秀清は、下がっていった。

 「戦では負けたが、そなたが無事で本当に良かった。」

 「殿に再びお会い出来て、玉は嬉しゅうございます。」

 「戦いに負けてしまった。徳川内府殿が勝つと信じていたが。やがてこの城にも西軍が攻めてこよう。」

 「その事にございます。元々細川家は足利将軍家の家臣、足利を裏切り織田に、織田なき後は豊臣、そして此度は徳川に。」

 玉は忠興を優しく包み込み、耳元でささやいた。

 「裏切れば、よいのです。徳川を、」

 忠興はピクリと反応した。

 「その時その時で生きるため、主人を変えてきたのです。何より生き残るが、大事。」

 「しかし、許してもらえるであろうか?」

 「大丈夫、わたくしには策がございます。良き肴を用意すれば、よいのです。」

 「そ、そうだな。茶器を出そう。この忠興、利休七哲の一人。惜しまず、豊臣、毛利だけでなく西軍諸侯に配るか。手段は選ばず、」

 玉の甘い香りが、忠興を酔わせる。抱きしめられた忠興には見えなかったが、玉の顔は妖しくにっこり微笑み、その眼は赤かった。

 「これ、殿に酒を、」

 「はい。」

 小姓が酒を運んできた。


 程なく。

 大坂城。本丸に隣接する西ノ丸。かつて家康が秀頼を補佐するという名目で入っていた西ノ丸に、九鬼一姫は居た。

 「細川の玉姫様が、お見えですが、」

 一姫は肌の透ける薄絹の衣をまとい、横に寝そべりくつろいでいた。

 「よい、会おう。」

 侍女に案内され、玉姫は小姓を一人伴い入室、平伏した。一姫とは異なり、戦さ支度で、ただ上に鮮やかな模様の赤い打掛を羽織っていた。

 「一姫様、お会いいただき感謝の言葉もございません。」

 「よく参ったな。」

 「玉が今日あるは、一姫様のお陰でございます。更に此度は夫、細川忠興の不始末をお詫びに参りました。豊臣家への御恩を忘れ、家康に味方するなど決して許されない事でありますが、何卒御慈悲を持ってお許しいただければと、伏してお願い申し上げます。もしお許し頂ければ細川家、粉骨砕身、一姫様の為に働く所存にございます。」

 「苦労が絶えぬな。」

 「一姫様、何卒よしなにお取り計らいを。本日はつまらぬ物をお持ちしましたが、御受け取り頂ければ幸いです。」

 錦の布で覆った献上品を、小姓が前へと差し出した。

 「なかなか美しい小姓じゃな、」

 「お目に留まりましたか、ご挨拶せよ。」

 「はい、佐々木小次郎と申します。以後お見知り置きを、よろしくお願い申し上げます。」

 「何か特技は、」

 「はい、剣術を少々。姫様のお役に立てれば、幸いでございます。」

 「覚えておこう。」

 玉。「一姫様、よろしくお願い申し上げます。」

 玉は三方の上の錦を取って見せた。

 一姫の片方の眉が少し上がり、そしてにこりと微笑み、玉姫を見た。

 「なるほどな、確かにつまらぬ物だな。しかし、細川家の本意が現れている品じゃ。わかった、良き様に取り計ろう。」

 「ありがとうございます。」

 「して、その戦さ支度は。」

 「はい。義父、細川藤孝の仕置の為にございます。」

 細川藤孝。足利幕府の家臣であったが、明智光秀と共に足利義昭を織田信長に繋ぎ、織田の天下布武への道に貢献し、丹後11万石の大名となった。関ヶ原の戦いでは、息子忠興とは別に三男幸隆ら僅か5百の兵と共に、丹後田辺城に立て篭もった。田辺城は西軍の小野木勝重、前田茂勝らの率いる1万5千の兵に攻められていた。

 「しぶといな、藤孝は。さすが乱世を生き抜いただけはあるな。」

 「今となってはただの、頑固爺。細川家にとっては、迷惑なだけにございます故、皺首を刎ねてまいります。」



 玉姫が下がった。

 一姫。「私は玉の利発さに期待している。勤めを果たしてくれるであろうか。のう、どう思われる忠興殿。」

 一姫は、三方に載せた細川忠興の首に話しかけた。



 大坂城外、たくさんの細川家の家紋、九曜紋の旗が動く。玉姫率いる細川隊3千が田辺城へと向かった。紋の一つ一つの黒丸は星を表す、星紋と言われる種類の家紋。九鬼の七曜紋は北斗七星を表す。細川の九曜紋はかつて織田信長より下賜された。



 大坂城、本丸地下。通路を進むと、大きな石で封印された場所があった。しかし今、その石は二つに割られ、人が出入り出来るようになっていた。その場所にただ一人、柴田勝家が仁王立ちで警備していた。封印のその奥も、通路が長く伸びている。最深部。一つの部屋があり、室内は数え切れない燭台で明るい。中央に石の大きな台があり、全裸の男が横たわっていた。男は鍛え抜かれた身体で、汗をかいていた。薄絹の一姫は、瓶から香油を手のひらにとり、男の体全体に優しく塗った。そして甘えるような目で、直立する男根を刺激し、男の上に跨りひとつになった。薄絹を脱ぎ捨て、身体を動かし続けた。

 「我が君よ、我が愛しき君よ。」

 一姫の顔は、喜びに満ちていた。しかし、男の両手は身体の側で姫に触れようともしなかった。男の身体には何本もの管が繋がれ、ガラスの器から赤い血が体内に注がれていた。そしてこの男には首が無かった。あるのは、ただ首から下の身体だけだった。

 「必ず、取り戻してみせます。必ず。我が君をこのようにした者共を決して許さない。」



 姫が快楽に溺れる声は、警備する勝家の耳にも聞こえた。仁王立ちのまま全く微動だしない勝家だが、大きく見開かれた両眼から血の涙が流れ、頬を伝っていた。


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沙羅双樹演義 赤神龍 @redshenron

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