呪縛と吐露 私の懺悔

卯月響介

 つい数時間前、私はこのような質問をツイッター上に投稿した。



 自分の作品について誰かから「全く興味ないし見る気もないけど、応援します」って言われたら傷つきますか?

 もし傷つかないのが普通なら、それで鬱になってる私って異常ですか?



 フォロワー内外から何人かの方に回答を貰いました。ありがとうございます。

 やはり「傷つきます」、「堪えます」等の声がほとんどでした。

 

 あらかじめ断っておきますが、このエッセイはそれに対しての回答であり、私自身こうしてエッセイを書き記すのは、確立した創作論を語る資格を有しない限り、最初で最後となるでしょう。

 本来はメモとスクショ機能で、ツイッターにアンサーを出すのが筋で、こんなやり方は読者獲得のためのパフォーマンスじゃないか、と思われるかもしれません。

 ですが、小説家として、まだ微かにも誇りと自信があるうちに、そして24時間後には小説家生命にピリオドを打つかもしれない今の自分へのレクイエムとして、今回、このカクヨムという場所を選びました。



 単刀直入に言いましょう。


 「全く興味ないし見る気もないけど、応援します」

 言われました。


 でも、これが初めてではありません。

 私にとっては、これが「ありがたいこと」だと自らに言い聞かせてきました。


 逆に言えば、ちゃんとした感想やレビューを貰える作家さんは、ほんの僅か。吉原の花魁のような立場であり、それ以外の人には応援が来ることすら絶対にない。

 仮に感想やレビューが来ても、それは単なる冷やかしで、相手は自分の作品を読んでいない。いい加減に書き、いい加減に得点を入れている。


 本気で思っていました。


 その話と、ツイッターの質問がどう繋がるのか。

 これからお話ししたいと思います。

 あくまで私の過去の気持ちに整理をつけるための懺悔の場所です。「ひょうきん族」のように笑いを取りに行くわけでもないですし、×の合図で天井から水の代わりに硫酸が降り注がれても、逃げることなく浴びる覚悟です。


 ■


 私がネット小説へと足を踏み入れるきっかけ。それは高校時代、書いたはいいが筆を折った小説、それを綴った一枚のルーズリーフから始まりました。

 「源氏物語」を飛躍した解釈で描いた作品…のつもりでしたが、自分の中で何かが違うと、書くのを辞めました。

 しかし、文章が半分しか書いておらず、もったいないという精神から、そのルーズリーフを筆箱の中に入れ、メモ用紙として使っていました。


 大学に進学し、このルーズリーフをサークルの同期に見られたこと。

 それを見て、自分たちのオーダーを取り入れた新しい小説を書くように言われました。



 そうして1か月の時間をかけて書いたのが、「小説家になろう」に掲載した、私の処女作「混沌の乙姫~Xaos Princess~ 1.羅馬-first contact」

 イタリアのローマを舞台に、妖怪のハーフである少女と人魚の血が流れる少年の出会いを書いた(つもり)という内容。

 当時は、ネット小説なるものの存在は知らず、作品をルーズリーフに刻みこみました。


 私の過去のツイートを覚えている人は…この場合はいないと仮定しましょう。

 この小説、書いたはいいものの、誰にも読まれませんでした。

 オーダーした同期のメンバーは、小説をかいたこと自体を半笑いで受け入れ、パラパラとだけ見て、こういいました。


 「つまらない」もしくは「面白かった」


 ちゃんと読め。もちろん言いました。

 でもオーダーにイチャモンを付け、結局誰にも一文字も触れられることなく、小説の命は終わったのです。

 正味、私が自分で書いた小説を人に見せたのは、これが最初で、書いてほしいと言われたときは、本当に嬉しかった。

 中学のころからの趣味が実を結んだ。そう思いました。


 でも、現実は違った。

 嘲るための、単なる遊びだった。 


 失望した私に、光を与えてくれたのがネットという場所。

 ここなら、大勢の人に見てもらえる。感想ももらえるかも。

 私はルーズリーフから「なろう」に、徹夜で小説を移植し、ローマで撮った写真を添えて発表しました。


 直後、サークルで、あの言葉を初めて投げかけられました。


 「JUNA。お前の小説フォローしたから」

 それは嬉しかった。でも、その先におまけがあった。

 「でもな、お前の小説全く興味ないし見る気もないから。一応、応援だけはしとくわ」


 同期だけではない。先輩もフォローはしたものの、同じ言い分だった。

 先輩に関しては、後にお情け程度に感想をくれた。(今は削除されてますけどね)

 キャラの名前も間違え、性格もアベコベ、ストーリーもデタラメ。

 絶対読んでないだろ。

 そんな感想も、最後に、こう締めくくられていました。

 

 「頑張ってください。応援しています」


 正直悔しかった。

 同時に全てが否定されたような気がした。

 今まで自分の手で生み出してきたものは、もしかして価値のないものだったんじゃないか。

 小説なんて、書いても、ちゃんと読んでくれる人は世界中で自分だけ。

 私は産業廃棄物を垂れ流しているんじゃないか…と。


 私はサークルで、再度柔らかくですが、言いました。

 ちゃんと読んでほしい。


 答えはこうで、今でも覚えています。


 「小説なんて、読もうが読まれようが、どうでもいいじゃないか。

  ファンがいるんだ。皆、お情けでポイントと感想入れてるんだ。

  有難いと思え。

  お前の小説は、流行とは真逆なんだ。

  読まれたければ、テンプレだ。

  異世界へ送れ。殺し合わせろ」


 私には覚悟がなかった。

 読んでほしい。それは率直な感想だった。

 現に2章の難波編を書き始め、ヒロインの数も増えた。

 彼女たちを殺し合わせることが、できなかった。

 脳内で天真爛漫に動き回る少女を、血だまりの中で息絶えさせることができなかった。


 同時に、僅かながら入っていたポイントが、全部、嘲笑に見えてきた。

 みんな、私の小説なんて読んでくれていない。

 全部、お情けなんだ。

 転生物を書けない、三流作家に投げられたあぶく銭なんだ。


 私は自分の中で絶望を感じた。

 でも、心の中にはまだ、書きたいという感情は残っていた。

 誰も読んでくれない。それでも自分のオリキャラの冒険談は書きたい。


 私は必死の精神力で、嘲笑という半ば被害妄想的な恐怖を歪曲し「ありがたいお言葉」として受け入れ、核心的なところでは自分を自傷させながら、それに気づかないふりをして小説を書いていました。

 小説を書いているとき、私は心の傷を忘れられる。

 でも、そこに刻まれたポイント、そして、ふと来る、自身の創作物の宣伝がメインの感想を見て、現実を思い出す。

 受けた痛みを消すために、小説を書く。


 まさに、それの繰り返しでした。


 しかし、傷を消すための小説活動は、自らの捜索範囲を蝕み…いや、単にプロットを作らず、次から次へと流れてくる情報を詰め込み過ぎたことによる破綻かもしれません。


 4.5を最後に、混沌の乙姫の執筆は止まりました。

 その後も「セルリアン・スマイル」、「ガルザ・ブランカ」と思いついた小説を書く日々。

 同時期にツイッターを開設すると、今度はDMからフォロワーさんが声をかけてきてくれるようになりました。




 今思えば、それが自身への負担に拍車をかけていたのかもしれません。


 「小説を読みあい、お互いに評価しあいませんか?」


 何件も来る、その言葉に、私は了解の意を表し、小説のアドレスを送りました。

 相手の小説。興味深く拝見し、一言の感想と共にポイントを添えて、読了。


 その時、思いました。

 相手も私の小説を読んでいるのだろうか。

 「小説読ませていただきました」

 この言葉は、別に読んでいなくても送ることはできますし、ポイントもただ単純につけることができる。

 完結していない作品に、高評価がつく。

 果たして、それは本心か、それとも単純作業か。

 結局のところは後者の意識、思考が大きかったのでしょう。


 同時に、私のペンネーム、執筆活動が、ある事故によって拡散し、更に多くの人から好奇の目で見られ始めました。

 痛く、気持ちの悪いマスターベーション。

 そのイメージが強く、否定的であるとともに、それを肯定的にもとってくれる人も僅かながらいました。


 これが、時限爆弾になるとは知らず。


 私の意識は、更に否定的となっていきました。

 絶対に私の創作は評価されない。されたとしても、絶対に喜んではいけない。と。

 喜べば痛い目を見る。大バカ者なんだ、と。

 


 自分が評価をした周りのフォロワーさん、作家さんが、応援イラストを貰ったり、書籍化するのを目にするたびに、私の創作に関するネガティブイメージは、次第に大きく、創作する楽しみでは最早補えなくなり始めていました。


 社会人となり、小説を書く時間が減っていくのも原因だと、今振り返れば思います。

 それでも書きたかった。

 書き続けた。

 自分の傷を隠すため、痛みを見ないことにするため。


 その意識が、楽しいを上回り始めていました。 



 ある日、ふと思ったのです。

 これだけ未完の作品を連発している。

 書きたいと思って書いているはずの作品。


 じゃあ、私が本当に書きたかったもの。

 書いて嬉しかったものはなんだ。

 自問自答が始まりました。

 

 そう。その結論が原点回帰。

 「混沌の乙姫」のキャラや世界観をベースに、新しい作品を書いてみたらどうか。

 自分が心から楽しい、そう思って作り上げたキャラたちを、もう一度蘇らせてみたらどうか。


 「クロス・ノクターン」の連載を始めました。

 一度、しっかりとした感想を貰ってみてはどうかとWEBアマチュア小説大賞様にも応募しました。


 ツイッターでは騒動となって賛否両論ありましたが、私は正直、救われました。


 「ファンタジーではありますが、実在の国を舞台にした物語です。

ヨーロッパやアジア各国、それにアメリカと世界中の国々が関わる『怪奇』な事件を解決していく探偵事務所の活躍。そのスケールの大きさにびっくりいたしました。まるで良質なハリウッド映画や海外ドラマのような雰囲気を感じました。


まだ序盤も序盤ですので、正直申し上げて感想を述べるのは厳しいものがございます。


登場人物も多く、ぎゅっと設定や描写がつめこまれておりますので、頭の中にそれらを叩きこんでいるうちに、終わってしまいました。


できれば「STORY.1」の終了までは読みたかったです。


スケールの大きな物語を、ありがとうございました。(原典)」



 実際、泣きました。

 初めてちゃんとした感想が貰えた。

 「読みたかった」その文字が嬉しかった。


 書ききってやる。

 

 でも、また、あの言葉が…出てきたのです。


 「全く興味ないし見る気もないけど、応援します」

 身内からの言葉。

 

 更に、いつも「これ、小説に使えるよ」と、少し高いが貴重な古本をいくつも紹介してくれた友。

 「読んだことある?」

 そう聞くと

 「え?全くないけど?」

 即答。




 もう、何もかもが信じられなくなってきた。

 月をまたぐ度に増える仕事量。

 クレーム。

 破綻したモラル。

 人間関係。

 残業。


 小説を書く時間も疲労と時間の中で揺らぎ、作品をこれっぽっちも読んだことないけど、心から応援しているというファン、そしてリップサービスか本心か猜疑心しかなくなった嬉し泣きの感想。



 全てが私の中で壊れ、気づけば日々あふれ出してくる闇をツイッターで吐くようになっていました。

 でも、このままでは私が物理的な意味で死んでしまう。


 その前に、私が抱いていた鬱の根本的な原因の一つを解決しよう。

 そうすれば、救われるのではないか。


 これが、ツイッターに投稿した質問。それが出てきた真意であります。


 ■


 こうして、全ての、そして端から見れば省略によって幾分か破綻している、Z級作家…いいえ、もう作家と名乗ることすら、殺人以上の重罪ではないかと思い始めている私の懺悔を終え、多少の偏頭痛を感じている今…思うことは一つ。



 私は、この作品を、「クロス・ノクターン」を完成させるべきなのか。

 寄せられる評価を、そのまま受け取っていいのだろうか。

 


 しかし、この投稿の数時間後、実家から来訪している母親完全主権による我が創作部屋の一掃が行われ、保管されている全ての書籍、プロット、資料及び趣味であるミニカー、写真、アニメグッズ、映画DVDの類い一式が完全にゴミとして廃棄される最悪の結果に至れば、この問題は最早、考えるだけ無駄となるでしょう。


 仮にそうなれば、私は一切の創作生命を絶つつもりです。


 誰にも一生理解されない事が決定事項であるのなら、最早、自らを殺し、展開していた全ての世界を刻み捨てるしかないからです。


 では、そうならなかったら?

 「捨てる」と言っていた母親が、譲歩してきたら…。

 小説を書ける環境が、今までと変わらなかったら…。


 押し寄せる不安と孤独、闇から今更抜け出せる術はあるのか。

 自己否定の塊である自分が誰かに助けを求め、自分の主張をし、相手を傷つけない感想を述べることができるのか…。



 ただの未来予測の域を出ない葛藤は、これまでにしておきましょう。


 最後に、ここまで読んでくださった皆様。

 私の小説を、嘲笑でもいい、読んでくださった方々に。



 ありがとうございます。

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呪縛と吐露 私の懺悔 卯月響介 @JUNA

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