二章 一節 とうそうのこうてい

 乗り換えで利用する、そこそこ大きな駅。

 それなりに多くの人が行き交うホームの端にあるベンチ。

 各駅停車の後にくる急行を待つためにそこに腰掛けていると。

「こんにちは」

 藻間中瀬(もま なかせ)が歩み寄ってきた。赤ん坊がプールに漂っている写真、極めて有名なアルバムのジャケットのものだ、が印刷されたシャツにグレーのチノパン。やけに大きなリュックサックの紐をキッチリ引き締めて提げている。

「こういうパターンもあるの」

「君には二つの選択肢がある。そこのイスに張り付いて私に情報を乞うか、立ち去るか」

 一つ間をあけて腰を掛ける。

「君はやらなければならないことがある」

「三日も放置していきなりそれ」

「ここはたくさんの人が通るが、彼らの差異が君にはわかるかい」

「わからんね」

 即答する。

「わからないものだ。物体と生命の違いのように不明瞭だ」

「さいで」

「君は『違う』人を見つけるのだ。群体のなかから」

「そうかい」

「闘争は手段だ。入り口を覗いてさようならではさみしかろう。発見したら君がそいつに最もしたいことをするとよい。以上」

「俺が聞きたいことは答える気ないんだな。やっぱり」

 音もなく起立する藻間。

「一つ、答えよう。心して選ぶといい」

 ぬかるんだ校庭の一角みたいに汚らしく輝く瞳をしばし覗き込んでから、国松重石(こくまつ おもし)は起立する。

「少しは面白くなったかよ」

 藻間はポケットから畳んだニット帽を取り出して装着すると、黙って人混みに消えていった。



 「どうしたの」

 夕飯をすまし、壁一枚挟んだ実の弟、国松是井(こくまつ これい)の部屋を訪れる。

「確認したいことがあってな」

「なーんだそれ。変なの」

 是井は重石の二学年下の中学三年生。特別親しくもなく、険悪でもなく、世間の兄弟の疎遠さを考えると、互いに比較的関心を寄せている部類と言えようか。

「四日前の水曜日、俺はどういう行動をとってた?」

「奇妙なこと聞きなさんなよ。特に変わらなかったんじゃない」

 是井は話しながらも小冊子とノートを見比べ朱を入れている。

「可能な限り具体的に頼む」

「えー」

 ペンの尻でつむじを掻きながら考え込む。

「たしか、野球が始まってすぐに帰ってきたから時間は今日と変わらないかな。あとは……。そんな前のこと覚えてないってやっぱ」

 重たい空気を吐き出す重石。

「つまり数日経っても覚えているほど特徴的なことは何もなかったと」

「う~ん。多分ね」

 かさかさとペン先が走る音が続く。

「大変だな。塾の無い日もそうやって」

「自分もやったでしょ」

「俺とお前じゃモチベーションが違うからな」

「なにそれ」

 重石は学業成績が良かった。運動部に所属し、人並みよりは活躍した。人望も厚くはなくともふわふわと個人の視界に収まる程度のコミュニティには困らなかった。

 是井は学業成績が著しく優れていた。運動部に所属し、県下では名が知れた存在であった。人望が厚く常に人の輪の中心一歩横に自然と収まっていた。本人の思う最も居心地が良いところに落ち着いていた。

「いつかお前に言ってやりたかったんだよ」

「ちょっと面白い話になってきた? もしかして」

 回転イスを九十度回して、重石の鎮座するベッドと向き合う。

「なんでもかんでも面白くないんだろ」

「あらら……」

 そっと瞼を下ろす是井。

 臓腑がふわふわとして、身がすくむ感覚が重石を包む。無重力のいたたまれなさの中で、頭の隅がはっきりくっきりとクリーンになる。それがなんであるか、自然と知った。

「トリップ」

 二人、共々に、視界が加速する。

「嬉しいよ、兄貴」

 吹き飛ぶ時間の束が見える。

「そうか」

 瞳を閉じると、途絶える。

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覚醒 こまつかい @shimizu80

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