散る痣
進藤 夕端
短編
「この大騎士に立ち向かう勇士はここにはいないか!」
解らない、この痛み苦しみ。
それらから、ゆっくりと死という終わりに向かう今、もう後は目を閉じれば戦友とともに行けるはずだった。
でも
「ほう‥‥。立ち上がる者がいたか」
己は立ち上がっていた。理由などはすぐには出てこない。ただ、そこに立たなければという衝動があったのだ。
網膜は光をつかめず、中々自らに視界をよこさず、足は情けなくもガタガタとふるえて頼りない。息を一つ二つと吸うのも一苦労だ。
―――――だが立ち上がった。
名もなき青年は立ち上がった。
●
名もなき青年は兵士だった。
元々は田舎の豪農の生まれで長男ではなく三男として生まれた。
跡継ぎの長男・分家の次男では自分はと考えたときに、都から兵士募集の御触れが来た。どうやら我が祖国は周りの国と戦争をするらしい。
国の中では隣国とどこも接してないこの片田舎ではあまり現実感はなかったが、この場所でただ燻って兄弟の召使をするよりも国のために誰かのために働いた方が、自分の人生はましになるのではないか。
そう考えた。
行動は早かった。すぐに役人のもとに行き、志願し志願分の前金を家族に収めた。
すると、家に仕える人間の子どもの三男や四男、三女や四女なども同じように志願していた。
これは使用人が気を回したかと思ったが、別にそんなこともなく。
いくら、豪農とはいえ使用人の子どもがそんなに裕福な暮らしができて生きていける訳もなく、早い話が口減らしであった。
だが、そんな事情とは関係なくこちらにもプライドがあった。
自分が志願して使用人の子どもも志願したのだ同じ兵士になるとしても元主人として彼らを守らなければならないとそう考えた。
それが、十一歳の時であった。
●
心配する必要はなかった。
同じように一兵卒から始めたが彼らは手際が良いものが多かった。
元々農家は体力仕事だ。
だからではないが、力が年の割には強いものも多く彼らはずいぶんと可愛がられていた。
そしてこちらを元主人ということで気遣ってくれることもあり、こちらが守るというより守られることが多かった。
その影響か、軍事学校に入学が許されたときは自分も一緒に入学していた。完全なおこぼれであった。
そのせいか、周りの人間からは若様、若様とバカにされたものだが、実際、おんぶにだっこの人間を実力主義の軍社会でこいつは素晴らしいと評価するものは少ないだろう。
軍事学校では今まで大きな評価を受けている訳ではなかった、力の弱い者が頭脳で評価された。
確かにその者は日常でなぜ空は青いのかや、水はなぜ流れるのかなどを考えてこちらに尋ねてくるような変わり者だった。
そのたびに、青いということを考えるのならば色とは何かを考えてみると良いとか、水はなぜ流れるかというと全てのものは上から下へとおそらく引っ張られているのだろう。
それよりも、水はどこから来たのかを考えてみたらどうだなどという、適当な戯言を話しごまかしたものだ。
なにが、物は上から下へと引っ張られているだ。
それではまるで、見えざる手がこの体をこの大地に押し付けているようではないか。
自分は結局、調子の良いことしか言ってなかったのだ。
まぁ、そんな変わり者の人間が作戦本部などに召集されるとは思いもしなかった。
さらにそんな変わり者の影響で変なことに興味を持っていた人間も本部に呼ばれていた。
だと、言うのにだ。
自分たちはあなたの下で働きたいとか冗談をどこの部署からも声を掛けてもらってなかった自分に言うか普通。
すぐに蹴り出したものだ。
それぞれに少しばかりの金とお守りを渡しそれぞれの名前を胸に刻み送り出した。
それが十五歳の時だった。
●
卒業してからしばらくは何人かと一緒なことも多かったが、結局自分の周りにいた人間は一人になっていた、口やかましくまるで母のようにこちらを叱る男。
元は作戦本部に呼ばれそこで立てた功績で自分の部下になりたいと願い出てこちらに来た男。
こいつまさか、男が好きなタイプの人間でこちらを狙っているのではないかと疑いを向けたが、キチンとと言うのは変な言い方だが、こちらが見合いをセッティングしたら素直にその女と結婚し子どもにまで恵まれおった。
まったく、これは独身の自分に対する嫌味かと思ったが見合いをセッティングしたのはこちらであり、まだ結婚してないのもこちらである。
ちなみに、同じようにこちらに出てきた人間の半分はすでに結婚しており、まだ結婚していない人間からは見合いをセッティングしてほしいとつつかれている。
まったく、セッティングしたらすぐに結婚が決まるとは、奴らはこちらを見合いの業者かなにかと思っているのではないか。
というか、まだ自分の結婚もまだなのにまさか元使用人の相手探しに苦労するとは思いもしなかった。
しかも、ただでさえそれが大変なのに上官の娘や息子達の面倒まで見られるか。
一応、出世をして私室を持てるようになったが出世したせいで面倒な仕事が増えたものである。
それが十八歳の時だった。
●
まさか一番難航していた婚約がスムーズに行くとは思ってなかった。
これで、結局独身は自分一人になってしまった。
しかし、一緒に出てきた村娘が伯爵夫人になると思ってなかった。
前から伯爵とその娘には相談されていた、だから後ろ盾はこちらで探すと言っていたのだがそれでうまく行くと思ってなかった。
その娘自身が武功を立てていたことも大きかったがまさか末端とは言え、王族の後ろ盾とは‥‥。
王家の紋章を背負い輿入れするその姿は様々な人間に注目されるに決まっていた。
しかし、これで困ったことが出来た。
いつも元使用人が結婚したらプレゼントを渡すのだが今回は王家の後ろ盾というか王族の養女で伯爵夫人だ。
相手のレベルに合わせた物でないと相手に迷惑がかかる。金が足りないのだ。
しかたない、ならばこの話に乗るしかない。少数の志願部隊に自分は手を挙げた。
今ならばなにか自分が死んで困るものはないのだ。
それが、二十一歳の時だった。
●
少数の志願部隊はかなり給金がよくすぐに結婚祝いを送ることが出来た。
きっと自分はこの部隊で死ぬだろう。
それは、最初の任務の時点で気づいた。
故に最初の任務が終わってすぐに任務の給金のほとんどと老後のために貯めた貯金で盾を一つ作った。
そして、その次の任務とさらにその次の任務での給金と生活に最低限必要なもの以外を売った金でまじないを込めてもらった。
見合い云々の時に出来た人脈を全力で使い国宝級の盾が出来たと自負をした。
そして、その盾を結婚祝いに送ったのだ。
いつも、口うるさく母のようにこちらを叱る男は夫婦は喜んだどころではなかったと言っていたがよく考えると、自分の給金でできる国宝級ってそんなのお手軽すぎるだろう。
自惚れが過ぎると自戒した。
それにしても、この口うるさい男はこの危ない部隊についてくるとは家族のことを考えろと叱ってやった。すると、そのままお返ししますと言われた。
同じ部隊の人間には違いないと笑われた。
そう言えばこの部隊には名前がない。
それは、この部隊はどうせ消えると最初の任務で分かったからだ。
だから、我々は名もない一兵卒で良いとそういうことだ。
だが、しかし一つまた一つと任務を重ね同じ火を囲み一食また一食と、共に人生を歩むと部隊に愛着も湧くものである。
誰かが一人言った。
「いつも、傷だらけだよな。俺たち。青痣だらけって名前どうよ」
それは、いつもお調子者で場を明るくしてくれる男だった。
道化のようにおどけてそれもまた冗談のようなものだったのだろう。
その時は皆も笑っていた。だがストンと『青痣』というものが胸に落ちた。
――――いつかは消える。ただし、その時の痛みは確かにあり少しの間は記憶に残る。だがきっと、いつかは消える。
『青痣』自分たちはその時から、青痣という部隊になった。
それはまだ、二十二歳になる前だった。
●
口うるさい男は四番と呼ばれていた。
部隊長が一番で副隊長が二番そして自分が三番だった。
別になんてこともなくこれは配属順でしかなかったが、名前を一々呼ぶ時間のない時は解かりやすくよく使っていた。
最近はこちらに様々な人間から手紙が届くことが多くなった。
それは近況の報告が多くとりとめのない話が続いていたが皆が元気であることが伝わったのでオッサンという言葉がまだ遠いのに老けたような気分になった。
なぜ、こんなに手紙を読む余裕があるかと言うと四番が負傷し一時的に部隊が休むように言われたからだ。
医師が言うには四番は前線はもう無理らしい軸足を完全にやられたようだった。
それでも、付いてくると言った四番をつい引っ叩いてしまった。
これは、元主人とは言えやってはだめだろう。
だが、次の現場は四番が完全でも難しい現場なのだ。
そんな場所に連れていける訳がない。
子どももまだこれからなのだ、父と母両親で子どもを見守れとそれがお前の仕事だと言って四番の病室からでた。病室の外には四番の奥方が立っていた。
自分が頭を一つ下げ懐から袋を一つ渡したそこには傷を癒す薬草が入っている。
何も言わずその場を立ち去ると後ろから。
「お気をつけて!」
奥方と四番の声を背で聞いた。手を上にひらひらと振った。
それは、二十二歳になってすぐだった。
●
今回は仕事前に遺言のような物を書いて私室に置いてきた。
僕らが生きても死んでもこれがおそらくこの部隊最後の仕事だろう。
我が祖国は隣国に停戦を申し出た。
おそらくこれからの流れで共に出てきた皆が死ぬようなことはないだろう。
まじないの丸薬と仕込み針を口に含み戦場にでる。
自分たちは森林へと部隊を展開し接敵した。一瞬だった。
強大な魔法を受けて部隊は壊滅した。
一番若い自分を皆がかばい即死を免れたのである。
●
名もなき青年は力は上手く入らない手で剣を抜き、震える剣先を大騎士に向けた。
今にも膝から崩れ落ちそうなその姿は情けなく、向き合う相手からは笑いが漏れた。
だが、そんな部下を大騎士は咎めた。
それは、天を揺らすような声であった。
「今立ち上がった戦士を勇士を笑うとはなにごとかっ!その身、死に向かおうとも敵を見つめ剣を持ち立ち上がるその不屈は奴が強き者である証。それを!騎士が笑うなどあってはならぬ!」
名もなき青年の背丈ほどもある大剣をブンと振り、その剣圧で部下は腰を抜かしそうになった。
「今恐れたものはあの勇士よりも遥かに劣る。それを心に刻め!」
彼はこちらをまっすぐな目で見つめ、
「申し訳ない、我が部下の非礼を詫びよう」
余りにも澄んだ目をしていたために思わず名もなき青年は笑った。
引き攣ったような顔になったが、それは顔が上手く動かせずに変な筋肉が動いただけだった。
それは心からの笑いだった。
この高潔な大騎士に打ち取られるのなら自らの人生は捨てたものではない。どうせ死ぬのだ、それならば土産は多い方がいい。
頭が段々クリアになっていく体の痛みが脳に達してうめき声をあげてしまう。
「すまないが、無礼を承知で騎士殿のお名前をお聞きしたい。」
「貴様!名を聞くときは先に名乗るのが礼儀であろう。」
騎士のお付きがこちらを咎めるが大騎士はそれを制し、
「よい、我が名はドルド、ドルド・フォン・アストマール。武名轟く大騎士である!」
言葉の活力そしてその気迫なるほど。
青年はその名を聞いて納得した。
その名は大英雄、隣国いやこの大陸一の騎士、不敗の大英傑ならば。
「ドルド・フォン・アストマール殿。貴殿に決闘を申し込みたい。」
大騎士ドルドのお付きはまた無礼なと、こちらを睨み付けるがまたも大騎士は闊達に、
「よかろう!ならばそなたの名前を聞かせてもらいたい」
「私の名前はあなたの武名に相応しいものではなく、ただ自分はこの『青痣』という部隊と共に死ぬということを求めるもの。ならば、今は『青痣』としてあなたの武名に残りたい。」
ドルドは笑う。面白いとばかりに、またもお付きが何かを言いたそうしたがドルドの
「道化の振りはもうよい」
という一言で彼はこちらに頭をさげ下がった。
「よいだろう。その折れぬ心と『青痣』の名、我が武名の一つに加えよう」
目の前の大騎士は死に体の兵士を前に油断もせず、かと言って警戒をしすぎているわけでもなく、ただ悠然と自然体でこちらの全てを見ていた。
一つの動きを見ているのではない。
その目は凪のように穏やかに、これから起こる全部を受け止めるのである。
これまさしく武の極致。
ドルドの大剣は見るからに重く鈍い。
剣とは名ばかりの叩き付けてへし折る、そんな武器にも見える。
だが、そのドルドの静謐な剣気が、あの大剣はまるで羽のように軽く動きそして滑らかに鉄をも断ち切るのではないかとすら幻視させる。
この大騎士の武名に加わる時はきっと痛みすら感じないのだろう。
こちらは、最後の名として『青痣』を名乗ったのならばその部隊の名に恥じない死に様でしめたいものだ。
「大騎士殿一つ失礼する」
大騎士殿に断り、まじないの丸薬を口に入れ胃に嚥下する。
元々は口の中で転がして薬効を出す丸薬を一気に飲み込んだために腹の底が燃えるように熱くなる。
だがまだだ、まだこれでは。
さらに一つ二つ丸薬を飲み込む。
「魔力の廻りを良くするための丸薬かね。だが、その使い方は‥‥。」
「反動が出るでしょうね。ただ、傷の治りは良くなります。」
全身の血管が魔力の活性化により青白く発光する。
膝の震えは収まり呼吸は安定する。
肩や腕などの感覚も正常に近い。
ただし、身体の奥底で命が急速に燃えていくのが、炎の音が聞こえる。
億に一つの勝って生きて帰るという可能性もなくなった。
この命の灯火は確実にこの戦いで消えるのだ。
いつか来ると思った終わり。
勢いで退路を断ったがすぐに後悔が襲う。
だが、後ろからこちらを追う悔いを振り払うように前を見る。
こちらを見つめる純然たる力がそこにはあった。
死の臭いが鼻の奥をくすぐる。
これは己の身体からの臭いだ。
ならばと、腹をくくった。いや違う腹をくくったのではない。
大騎士ドルドの剣気と自らの死期によってなにもかもを取り払われたのだ。
戦友の槍を拾う。
これは、あの『青痣』の名前を付けた、お調子者の槍だ。
話せば明るいが武具の手入れは人一倍気にする奴だった。
ならば、この槍を使わせてもらおう。
森林用の短槍を左手に持ち右手で剣を上段に構えた。
変則的な構えであるが大騎士はただ、こちらを見つめるのみ。
「もうよいのか?」
言葉は短く大騎士は問うた。
「これよりは、死で語りましょう。」
「うむ、そうであるか‥‥。では、尋常に勝負!」
●
ゆるりと大騎士が身を揺らした瞬間、『青痣』は動いていた。
いや、それ以前から動いていたのだ。
大騎士は剣も構えていなかったが『青痣』は剣を一つの道具として準備していたのだ。
即ち剣を打ち合うのではなく、大騎士に向かって投げたのである。
上段よりも後ろから、指、手首、肘、肩そして腰が回転し力強い線を描きながら刃は大騎士に向かう。
だが、大騎士の動きは簡単だった。
身を揺らす動きで剣が軽やかに跳ねた。
浅く開いた足を一歩も動かすことなく、その跳ねる流れで剣を弾いてしまったのだ。
筋力を使っている訳ではない。
そうではなく重心の移動だけで重く巨大な剣を羽のごとく扱っているのだ。
そして、その重心は今前を向いた。
大騎士はその足を軽やかに進む。
駆ける。
進む足の音も軽くその重さを感じさせない。
実際は重戦士のその巨体が『青痣』へと襲い掛かる。
ただ、『青痣』も大人しく剣をくらう訳はない。
『青痣』は槍を両手で取り回し、大騎士に一つ二つと突きを入れる。
大騎士はそれを大剣の柄であったり籠手で受け流す。
槍の刃は柄で籠手は刃の腹を叩きこすり受け流すのだ。
その動きに迷いはなく淀みもない。
そして、大騎士の左脇腹を狙った突きは大騎士の大剣に打ち払われた。
『青痣』の槍は自らの右手側に流れた。
大騎士は打ち払った動きから剣を回転させて右の上段から打ち下ろしを打ち込む。
上から襲う剣筋の澄んだ線を『青痣』を見上げた。
『青痣』は自らの身が右に流れたそれに逆らわず体を右に振った。
●
大騎士は『青痣』が己の剣から逃れるためにこちらの左側に体を移動させたのを見た。
体勢が崩れながらのその移動を大騎士は中々やると思いながら見た。
が、だからこそ早すぎる決断だと惜しいと考えた。
右からの振り下し普通のものならばこのタイミングで避けられれば外すだがこの武名轟く大騎士の我ならば。
右からの振り下しが中段まで達した時点から左へと重心をのせ、横に跳ねるように一閃を振るった。
●
『青痣』は右に流れた身を黒い風が追いかけて来るのを感じた。
右に流れた身の重心を右足から体の中央そして左足に乗せて体勢を整える。
左からの黒い風には、流れた槍を持ち替えることで引き戻し大剣の腹にくぐらせてかち上げた。
そのまま、左の足をたたみ重心は乗せたまま右足を横に伸ばし身を低くして剣風をくぐった。
とっさであったためにまたも体勢が崩れたが一度の脅威は逃れたのだ。
だが、黒い風がぐるりと回転しもう一度こちらの身切り伏せに来た。
●
大騎士は感心していた。あのような立ち合いを決闘で見るとは思わなかった。
なればこそ、次で切り伏せると先ほどよりも剣速は増し空気をも切り裂く。
だが次もまた、『青痣』は死を免れるのであった。
●
大騎士の斬風に体勢の崩れた今のままでは切断される。
その光景がありありと『青痣』の頭には浮かんでいた。
考えるこの一手で死なないための方法を、活路はどこにある。
『青痣』は槍を大地に突き立て上へと登り避けた。
跳んだ先に活路はないかも知れないが今を生きるにはこれしかない。
宙に浮いたまま『青痣』は短剣を抜き放った。大騎士は槍を切断していた。
自らの代わりに斬られた槍を見て戦友に礼を思った。今度は大騎士の身が流れていた。
鉄すらも切り裂く達人それは隙であるかどうかも解らないが『青痣』は短剣を突き立てる。
しかし、大騎士の剛力。今まで重心で操っていた大剣を片手の筋力で制御し、空いたもう一方の手で『青痣』の短剣を弾く、そしてそのまま『青痣』の腕を捕らえた。
『青痣』は自らの腕が捕らえられたことで腕がもう使えなくなることを悟った。
グキリと骨が砕かれる音がした。
ならばと、腕を取られたまま大地へと両足が戻ってきた時にはもう一度跳躍し残った手と足でこちらの骨を砕いた大騎士の腕に組みついた。
立ち技での四の字固めである。
巌のような体山のように力強い筋肉を絞めるために、首まで足を伸ばして極めようとしたらこちらの体ごと振り払われた。
●
ごろごろと身を転がし、もう一度立ち上がろうとすると力が入らない。
まるで、大騎士を前に最初に立ち上がった時のようだ。
風を斬る音が聞こえた。
とっさに、頭を振って体を揺らす。
だが、力の入らない身体では大きく移動できずに右手と左手が落ちた。思った通り痛みすら感じない。
顔を上げた。そこには静かな目があった。
「『青痣』と名乗った貴殿に頼みがある。貴殿の名を聞きたいのだ。」
静かな声は真摯だった。
『青痣』の名しか名乗らないと言った、こちらを気遣いながらの言葉だ。
「――――――。それが、片田舎の農家の息子の名です。」
これぐらいはいいかと思ってしまった。
きっとこの大騎士はこちらの思いを分かってくれるだろう。
「なるほど‥‥。」
頷いた大騎士は満足そう笑い、
「貴殿の名は忘れてしまった。故に我が武名には『青痣』を刻もう。」
「かたじけない。」
大騎士は構わんと短く言い剣をゆるりと構えた。
その目は、今も油断がない。
それなら、こちらの命を取るために最後まで全力を出してくれるというならばこちらも最後まであがいて見せよう。
喉の奥から血が上ってくるのを感じるあばらが肺に刺さっているのだろう。
剣先が動き出そうとするタイミングで口に貯めた血液をまるで霧のように吹きだす。
予想外だったのだろう剣を盾に構えて距離を取ろうとした大騎士に仕込み針を飛ばした。
●
火に照らされたその場はいつの日かわからぬ任務の合間であった。
火を皆で囲み肩を組んで酒を飲み歌い笑った。
己はその場では皆からの手紙を読んだり手紙を書いたりしていたような気がする。
これは、幻覚であろうか‥‥。
ふと、こちらの肩を掴んできたものがいた。
それは、あのお調子者で笑いながらこちらに酒を勧めてくる。
そうだ、いつもこんな風に手紙を読んでいたら、このお調子者に酒を勧められて手紙を扱ってられなくなって最後は笑って皆で肩を叩きあった。
気が付けば、一番二番と呼ばれた者たち、一緒に戦った部隊の友たちがこちらを見ていた。誰ともなく、始まりは一人だったかもしれないし、みんなでだったかもしれない。
「いつかは消える『青痣』
されど我ら『青痣』
すすむ我ら『青痣』
傷をつくる『青痣』
いつか消える『青痣』
忘れられる『青痣』
されど我ら『青痣』
消える我ら『青痣』。」
一人また一人と歌が進むにつれて立ち上がり闇へと進んでゆく、皆進む者を止める訳でもなく、ただ、頑張れと言うようにお互いのこぶしをぶつける。
そうやって、見送って行く。
ついに歌う人間は自分一人となった。
やれやれと大地から腰を上げて闇へと進み、歌う。
「いつか消えた『青痣』
痛み忘れ『青痣』
残らぬ傷『青痣』
明日もきっと『青痣』
だから我ら『青痣』
消えた我ら『青痣』
死せる時も『青痣』。」
ふと、後ろを見た。
誰もいなくなったたき火がゆっくりと小さくなり灯りは無くなり、星と月だけが、我らのいたその場を照らす。
なんとなくだった、皆がいなくなり静かになった広場に向かって、
「おーい。四番。いや、
―――――。お前には迷惑かけたなぁ。
最初はこっちが面倒みてたのに、いつの間にかお前にこっちが叱られることが増えたんだよな。
きっと、小言はまだあると思うけど今度きくよ。
お前はまだこっちに来るな。
お前はすぐにこっちを追ってくるからな、こっちはしばらく一人で大丈夫だから。
――――――。お前は城を建てたいって言ってそっちに行くとは思わなかったよ。まあ、昔から物作るの好きだったからな。
でも、お前は前線の指揮官にしたかったて上司が愚痴ってたぞ。
そこらへんを取りなすの大変だったんだからな。
だから、ちゃんと夢叶えろよ。
ただ、前言っていた俺の名前を建てる城に付けるってのはやりすぎだろう。
ほどほどでいいんだよ。
―――――――。お前の結婚は大変だったけど、いい相手と結婚できてよかった。
正直今でも心配なんだ、大変だろう伯爵夫人も、お前貴族社会に馴染めてるか。
俺は貴族のことは余り詳しくないから俺のできることで応援してるから。
あの盾でお前たち夫婦の子どもがちゃんと育つようにまじないを込めてもらったからな。
――――――。作戦局は大変だって言ってたけど、そこにいるお前滅茶苦茶楽しそうだからな。
うらやましぞ。
お前は昔から病気がちで最初出てきたばかりの時は風邪引いて死にかけたよな。せっかく、奥さんがちゃんとそういうの管理してくれるんだから言うことちゃんと聞けよ。長生きするのが作戦局の強みなんだから。
――――――。お前は自分がみんなと同じように前線に出て戦えないのを俺に謝ってきたけどな、昔も言ったけど料理を作って支えるのも立派な仕事だろう。
最後にお前の料理食いたかったけどまあ仕方ないな。
もしかしたら、そのうち食いに行くかもしれないなその時はびっくりしてもちゃんと料理食わしてくれよ。
――――――――。―――――――。幼馴染のお前らがくっ付くんだかくっつかないんだかをしてる時はホントにイライラしたけど、一番最初にカワイイ子どもを見せてくれたから許す。
ダンナの方は、ヘタレてるからヨメに引っ叩いて貰って立ち上がるし。
ヨメは、くそ真面目でダンナに緩めてもらわないと止まれない。
いいコンビなんだから、ケンカを少なくしなさい。
――――――。お前は手のかからない子だったな。
結婚も紹介して欲しい所決めてたしな。
だけど、お前はなるべく手のかからない子でいようと思ったんだよな。
もっと、頼ってくれて良かったんだぞ。
一人で頑張ってばっかりだと俺は寂しかったからな。
いいか、これからはもっと頼りなさい。
――――――。まさか、お前が俺たちの中で一番暴れん坊だったなんて今のお前しか知らない人には信じられないよな。
今じゃ、おしとやかな都の華とか言われてんだろう。
堅苦しいの嫌になってんじゃないか。
いつも、頑張り続けるのは大変だろう。
ちゃんと、周りに愚痴って息抜きしろよ。お前は一人じゃねぇ。
――――――。お前が田舎貴族の大領主とはな、一番下の甘えん坊が一城一国の主とはねぇ。
お前の名前は俺を助けてくれることが何度もあった。
いつも喜んで名前を貸すもんだから心配になるわ。
お前はもっと慎重になりなさい。」
息を吸う、きっと最後だ。
「みんな、今までありがとう。先に行っとくから、皆は数十年後か数百年後にでも話を聞かせてくれ。じゃあ、またな。」
また歌い出す。そして歩む。
「いつかは消える『青痣』。
されど我ら『青痣』――――――――。」
夜の広場には誰もいない。
散る痣 進藤 夕端 @yunohasi
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