第17回 恵帝の崩御

 漢文大系本、第3巻、85ページ。

 西暦307年。

 なお、「帝在位十七年」から「是為孝懐皇帝」までの30字は、本来もっと下に現れるものであるが、分段の都合から私意をもってここに移した。後でまた本来の場所に注をいれる。


 ◯帝食麪、中毒而崩。或曰、東海王越鴆之也。帝昏愚。天下大飢、帝曰、「何不食肉糜。」華林園聞蛙鳴。帝曰、「彼鳴者、為官乎、為私乎。」左右戯之曰、「在官地者為官、在私地者為私。」方賈氏専政、時人知将乱。索靖指洛陽宮門銅駝、歎曰、「会見汝在荊棘中耳。」趙王倫乱後、諸王迭相残滅、天下大乱。◯帝在位十七年、改元者五。曰、元康、永康、大安、永興、永煕。太弟立。是為孝懐皇帝。


 ◯帝、めんを食らひ、毒にあたりて崩ず。或いは曰はく、東海王越、之をちんするなりと。帝、昏愚なり。天下大いに飢う。帝曰はく、「何ぞにくを食らはざる」と。華林園に蛙の鳴くを聞く。帝曰はく、「彼の鳴く者は、官たるか、私たるか」と。左右、之に戯れて曰はく、「官地に在る者は官たり、私地に在る者は私たり」と。賈氏、政をもつぱらにするにたり、時人、将に乱れんとするを知る。さくせい、洛陽の宮門のどうを指し、歎じて曰はく、「かならず汝のけいきよく中に在るを見んのみ」と。趙王倫の乱の後、諸王、たがひに相ひ残滅し、天下、大いに乱る。◯帝、位に在ること十七年、元を改むること五。曰く、元康、永康、大安、永興、永煕。太弟立つ。是を孝懐皇帝と為す。


 恵帝は麺を食べ、中毒して崩御した。一説には、東海王の司馬越が毒殺したのだとも言う。恵帝は暗愚であった。天下の人々が飢えているというのに、恵帝は「肉入りのかゆを食えばよいのではないか」と言っていた。華林園で蛙の鳴き声を聞いたとき、恵帝は、「あの鳴き声は、宮仕えの蛙か、民間のか」と問うた。お付きの人々はふざけて、「公の土地にあるものは宮仕えの蛙、民間の土地にいるものは民間の蛙ですよ」と言った。賈氏が政治を専横すると、当時の人々は、国が乱れようとすることを知った。さくせいは、洛陽の宮門前の銅のラクダの像を指さし、「必ずやおまえがイバラの中にころがっているところを見ることになろう」と言って嘆いた。趙王の司馬倫が乱を起こした後、各地の王が互いに潰しあい、天下は大いに乱れた。◯帝は十七年のあいだ帝位につき、五回の改元をした。それぞれ元康、永康、大安、永興、永煕という。太弟が即位した。これを孝懐皇帝という。

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