第3回 庚子入洛の予言

 漢文大系本、第3巻、77ページ。

 西暦274年~279年。


 時呉主皓不修徳政、而欲兼并、使術士筮取天下。対曰、「庚子歳、青蓋当入洛陽。」蓋謂銜璧之事。而皓不悟、用諸将謀、数侵盗晋辺、抗諫不聴。抗卒。祜請伐呉。議者多不同。祜歎曰、「天下不如意事、十常七八。」惟杜預・張華賛其計。祜病、求入朝面陳。晋帝欲使祜臥護諸将。祜曰、「取呉不必臣行。但平呉之後、当労聖慮耳。」祜卒。以杜預為鎮南大将軍、督荊州軍事。呉主皓淫虐日甚。預表、請速征之。表至、張華適与帝碁。即推枰斂手、賛其決。帝許之。


 時に、呉主かう、徳政を修めずして、あはせんと欲し、術士をして天下を取るをぜいせしむ。こたへて曰く、「かうとしせいがいまさらくやうるべし」と。けだたまふくむの事をふも、かう、悟らず、諸将のはかりごとを用ゐ、数〻しばしば晋の辺に侵盗し、抗、いさむるも聴かず。抗、しゆつす。、呉をたんことを請ふ。議者、多く同ぜず。、歎じて曰はく、「天下、意のごとくならざる事、十に常に七八」と。・張華、其の計に賛す。、病み、入朝を求めてめんちんす。晋帝、をしてぐわして諸将をせしめんと欲す。曰はく、「呉を取るは、臣の行くをひつせず。だ呉を平らぐるの後、まさに聖慮をらうすべきのみ」と。しゆつす。を以て鎮南大将軍と為し、けい州の軍事を督せしむ。呉主かう淫虐日〻ひびに甚だし。預、へうし、速やかに之を征せんことを請ふ。表至るとき、張華、適〻たまたま帝とす。即ちへいして手ををさめ、其の決に賛す。帝、之を許す。


 そのころ、呉主のそんこうは、徳のある政治を行わずにいたが、天下を併合しようと思い、占い師に天下を取ることを占わせた。その答えは、「かのえとしに、せいがい(青い傘を差した皇帝の車)がらくように入るでしょう」というものだった。思うに、これはたまを口にくわえる(降伏する)ことを予言していたのだが、そんこうは気づかず、将軍たちの謀りごとを採用し、たびたび晋の国境に侵入して略奪を繰り返し、陸抗が忠告しても耳を貸さなかった(273年)。陸抗は死んだ(274年)。ようは呉を討伐することを願い出たが、相談役たちは多くが賛同しなかった。ようは嘆いて、「世の中の事は、常に七、八割が思い通りにならぬものだ」と言った。ただと張華は、かれの計略に賛成した(276年)。ようは病気になると、朝廷に入ることを求め、直接に陳情した。晋帝は、ように、病床につきながらでも将軍たちを監督させようとした。ようは、「呉を取るのには、私が行かなくてもよいのです。ただ呉を平定した後に、きっと陛下のお知恵を煩わせることがあるでしょう」と言った(呉を平定した後のことを考えていたのである)。ようは死んだ(278年)。を鎮南大将軍とし、けい州の軍事を監督させた。呉主そんこうの度を過ぎた残虐さは、日に日に悪くなった。ひよう(皇帝への請願書)を書き、速やかに呉を征伐したいと願い出た。そのひようが着いたとき、張華はちょうど帝と碁を打っていたが、ただちに碁盤を押しやって手を引き、その決定に賛成した。皇帝はその請願を許すことにした(279年)。

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