第28回 諸葛瞻、敗れて死す

 漢文大系本、第3巻、74~75ページ。

 西暦263年。


 ◯漢姜維、屡伐魏。司馬昭患之。遣鄧艾・鍾会、将兵入寇。会従斜谷・駱谷・子午谷、趨漢中。艾自狄道、趨甘松・沓中、以綴姜維。維聞会已入漢中、引兵従沓中還。艾追躡之、大戦。維敗走。還守剣閣、以拒会。艾進、至陰平、行無人之地七百里、鑿山通道、造作橋閣。山高谷深。艾以氈自裹、推転而下。将士皆攀木縁崖、魚貫而進。至江油。以書誘漢将諸葛瞻。瞻斬其使、列陣綿竹以待、敗績。漢将軍諸葛瞻死之。瞻子尚曰、「父子荷国重恩、不早斬黄皓、使敗国殄民、用生何為。」策馬冒陳而死。


 ◯漢のきやう屡〻しばしば魏を伐つ。司馬昭、之をうれひ、とうがいしようくわいをして、兵をひきゐて入りて寇せしむ。会、こくらくこくこくより、漢中に趨く。がいてきだうより、かんしようたふちゆうに趨き、以てきやうせまる。、会すでに漢中に入ると聞き、兵を引きてたふちゆうよりかへる。艾、之をつゐせふし、大いに戦ふ。維、敗れて走る。かへりて剣閣を守り、以て会をふせぐ。がい、進み、陰平に至り、無人の地を行くこと七百里、山をうがちて道を通じ、けうかくを造作す。山高く、谷深し。がいせんを以て自らつつみ、推しころがりて下る。将士、皆な木にぢ崖にり、魚のごとく貫きて進む。江油に至り、書を以て漢の将しよかつたんを誘ふ。たん、其の使ひを斬り、陣を綿竹につらねて以て待ち、敗績す。漢の将軍諸葛瞻、之に死す。瞻の子尚曰はく、「父子、国に重恩をひ、早くくわうかうを斬らず、国をやぶり民をそこなはしむ。生をつて何をか為さん」と。馬にむちぢんおかして死す。


 ◯蜀漢のきようは、しばしば魏を攻撃した。司馬昭はこれをうれい、とうがいしようかいに兵をひきいさせ、しよくかんの地に侵入して攻撃させた。しようかいは、こくらくこくこくから漢中にむかった。とうがいは、てきどうからかんしようとうちゆうにむかい、きようにであった。きようは、しようかいがすでに漢中に入ったとき、兵をひきあげてとうちゆうから帰るところであった。とうがいはこれを追いかけ、はげしく戦った。きようはやぶれて逃げ、帰って剣閣をまもり、しようかいをふせいだ。とうがいはさらにすすみ、陰平にいたり、無人の地を七百里も通り、山をけずって道をとおし、橋や建物をつくった。山はけわしく、谷は深かった。とうがいはじゅうたんにくるまり、押されて転がっていった。将軍や兵士は木につかまったり崖をつたったりしながら、魚のようにまっすぐに突っきって進んだ。江油にいたり、手紙で漢の将軍のしよかつたんを誘いだそうとした。しよかつたんはその使者を斬りすて、綿竹に陣をならべて待ちうけたが、やぶれた。漢の将軍のしよかつたんはここで死んだ。しよかつたんの子の諸葛尚は言った。「親子二代で国にたいへんな恩義をおっておきながら、さっさとこうこうを斬ることもできず、国を負けさせ民を殺してしまった(こうこうは、劉禅に取りいっていたしよくかんかんしん)。生きていたって何になろう。」かれは馬にむちうって敵陣に突っこみ、死んだ。

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