第27回 司馬昭、曹髦を廃す

 漢文大系本、第3巻、74ページ。

 西暦260年。


 ◯魏主髦、見威権日去、不勝其忿曰、「司馬昭之心、路人所知也。」率殿中宿衛蒼頭官僮、鼓譟出欲誅昭。昭之党賈充入、与魏主戦。成済抽戈、刺魏主髦、殞于車下、追廃為庶人。僭位七年、改元者二、曰、正元、甘露。司馬昭迎立常道郷公璜。是為魏元帝。常道郷公元皇帝、初名璜、燕王宇之子、操之孫也。年十五即位。改名奐。


 ◯魏主ばう、威権の日〻ひびに去るを見、其の忿いかりにへずして曰はく、「司馬昭の心は、路人も知る所なり」と。殿中の宿衛・蒼頭・官僮を率ゐ、鼓譟して出でて昭を誅せんと欲す。昭の党の賈充入り、魏主と戦ふ。成済、くわき、魏主ばうを刺す。車の下にいんす。追つて廃して庶人と為す。位を僭すること七年、改元する者二、曰はく、正元、甘露。司馬昭、常道郷公璜を迎立す。是を魏の元帝と為す。常道郷公元皇帝、初めくわうと名づく。燕王宇の子、操の孫なり。年十五にして位に即く。名をくわんと改む。


 ◯魏主のそうぼうは、威権が日々に失われてゆくのを目にして、怒りを我慢できず、「司馬昭の心は、道行く人も知っている」と言った(司馬昭が帝位を奪おうとしているのは明白であるとの意)。そして宮中の警備員や下男や給仕係を率い、太鼓を打ち鳴らして出て行き、司馬昭を倒そうとした。司馬昭の党の賈充が宮中にはいり、魏主と戦った。成済はほこを引き、魏主そうぼうを刺した。かれは車のもとで死んだ。そうぼうの位は後から廃せられて庶人とされてしまった。7年のあいだ帝位を僭称し、元号を二度改めていた。それぞれ正元、甘露という。司馬昭は、常道郷公の曹璜を迎えて即位させた。これを魏の元帝という。常道郷公元皇帝は、もともとこうという名であった。燕王の曹宇の子で、曹操の孫である。15歳で即位し、名をかんと改めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る