　漢文大系本、第3巻、65ページ。

　西暦223年。

〔後皇帝〕、名禅、字公嗣、昭烈皇帝子也。年十七年即位、改元建興。丞相諸葛亮、受遺詔輔政。昭烈臨終、謂亮曰、「君才十倍曹丕。必能安国家、終定大事。嗣子可輔、輔之。如其不可、君可自取。」亮涕泣曰、「臣敢不竭股肱之力、効忠貞之節、継之以死。」亮乃約官職、修法制、下教曰、「夫参署者、集衆思以広忠益也。若遠小嫌、難相違覆。曠闕損矣。」亮乃遣鄧芝使呉修好。芝見呉王曰、「蜀有重険之固、呉有三江之阻、共為唇歯。進可兼并天下、退可鼎足而立。」呉遂絶魏、専与漢和。

〔後（こう）皇帝〕、名は禅、字（あざな）は公（こう）嗣（し）、昭烈皇帝の子（こ）なり。年十七にして位に即（つ）き、元を建（けん）興（かう）と改む。丞（じよう）相（しやう）諸葛亮、遺（ゐ）詔（せう）を受けて政（まつりごと）を輔（たす）く。昭烈、終はりに臨み、亮に謂（い）ひて曰（い）はく、「君の才、曹（さう）丕（ひ）に十倍す。必ず能（よ）く国家を安（やす）んじ、終（つひ）に大事を定めん。嗣（し）子（し）、輔（たす）くべくんば、之（これ）を輔（たす）けよ。如（も）し其（そ）れ可（か）ならずんば、君、自（みづか）ら取るべし」と。亮、涕（てい）泣（きふ）して曰（い）はく、「臣、敢（あ）へて股（こ）肱（こう）の力を竭（つ）くし、忠貞の節（せつ）に効（なら）ひ、之（これ）に継ぐに死を以てせざらんや」と。亮、乃（すなは）ち官職を約し、法制を修め、教へを下して曰（い）はく、「夫（そ）れ参署は、衆思を集めて以て忠（ちゆう）益（えき）を広むるなり。若（も）し小嫌を遠ざけ、相（あ）ひ違（くわい）覆（ふく）するを難（はばか）らば、曠（くわう）闕（けつ）して損す」と。亮、乃（すなは）ち鄧（とう）芝（し）をして呉に使ひして好（よし）みを修めしむ。芝（し）、呉王に見（まみ）えて曰（い）はく、「蜀（しよく）に重（ちよう）険（けん）の固（こ）有り、呉に三江の阻（そ）有り、共に唇（しん）歯（し）と為（な）る。進みては天下を兼ね并（あは）すべく、退きては鼎（てい）足（そく）にして立つべし」と。呉、遂に魏と絶ち、専（もつぱ）ら漢と和す。

〔後皇帝〕（劉禅）は、名を禅、字を公（こう）嗣（し）といい、昭烈皇帝（劉備）の子である。十七歳のとき即位し、元号を建興と改めた。丞相の諸葛亮は、先帝劉備がのこした言葉をうけて、政事をたすけた。昭烈帝（劉備）は臨終にあたり、諸葛亮につげた。「あなたの才能は、曹（そう）丕（ひ）の十倍はある。きっと国家を安定させ、最後には（天下統一の）大事業を完成することができるだろう。後継ぎのわが子がたすけられるような者であれば、かれをたすけてほしい。もしだめならば、あなたが自分でとって代わって（皇帝になって）ほしい。」諸葛亮は涙を流して言った。「わたくしは、きっと全身の力をつくし、忠義の節度にしたがいます。それらがすべて終わったとき、残るのは死だけです。」諸葛亮は、そこで官職をひきしめ、法律や制度を修正し、教令をくだして言った。「いったい参署（物事を見比べて決定する役人）は、人々の意思をあつめて忠義の利益をひろめるものである。もし、ちいさな感情の行き違いがおこることを嫌がり、くりかえし検討することを面倒だとおもうならば、その職務は欠け落ちてだめになり、そこなわれてしまうだろう。」諸葛亮は、ついで鄧（とう）芝（し）を呉への使者としてつかわし、友好関係をむすばせた。鄧（とう）芝（し）は、呉王に謁見して言った。「蜀（しよく）には重なりあう険しい山々が固い守りとなっており、呉には三本の長江の流れが敵へのさまたげとなっていて、たがいに唇と歯とのように助けあう関係となっています。進み出てゆけば天下を併合できますし、退いて帰れば鼎（かなえ）の足のように三国がならび立っていられるのです。」呉は、そこで魏と国交を絶ち、ただ蜀（しよく）漢（かん）とだけ融和した。