第百五話 『占領下での生き方』

 引きずり出された兵は血の気が失せ、既に死刑宣告を受けたかのような形相をしている。


「お……オレは知らなかったんだ……ただ……ウインガルド王国の為に……」

「よくやったぞお前たち」


 スピコ伯爵は縛られた兵に冷たい視線を突き刺すと、ロベルクたちに向き直った。


「わがイルグネはジオ帝国占領下で『共同統治』という極めて不安定な体制の下で運営されている。ジオ軍が駐留しているために、その費用を献上せねばならないのが頭痛の種でな」


 ロベルクたちを四十人余りのウインガルド兵が取り囲む。

 伯爵の左右に立っていた兵が一歩進み出る。

 精霊使いは火の精霊を呼び出す。

 伯爵は余裕綽々のていでゆっくりと自身の剣を鞘走らせた。


「だが、『五千人脱出行』の英雄と、その一味の首を差し出せば、今回の貢ぎ物は十分だろう……いや、今期に部下の首、来期にカルフヤルカの首を差し出し、ふた月分の貢ぎ物を町の予算に組み入れ、ウインガルド軍の増強に使うとしよう。よい手だ!」


 伯爵に倣って、兵士たちも抜剣する。


「ぐっ……この売国奴が……」


 歯噛みするアルフリスをスピコ伯爵はせせら笑った。


「違うな。私こそ、ウインガルドという国号を守った英雄だ。私が新たなウインガルドを興し、治める。古い英雄にはご退場願おう!」

「そうか?」


 切っ先が向けられているのを無視して、ロベルクが一歩踏み出した。


「本当にそうか? お前のような卑劣漢が、国土と臣民を守るために最後まで戦い散っていったウインガルドを名乗る資格なんてあるのか?」


 盲従していた兵士たちは思わずたじろぐ。

 ロベルクの無礼な言動に、スピコ伯爵は頭に血を上らせた。


「なんだ、この無礼な森妖精は。人間様の領地に土足で入ってくるな」

「それだ……」


 ロベルク全身から冷気が揺らめき出る。

 スピコ伯爵の言葉はロベルクの怒りに火を着けるに十分すぎた。


「妖精に寛容なウインガルドにあってその狭量。そのような者がウインガルドを名乗ったところで、ウインガルドの国是が守られたとはいえない。むしろウインガルドの名を汚す行為だ……妖魔が街を闊歩するジオにすら劣る。ジオ人に何を学んだんだ?」

「この寄生虫が……っ!」

「寄生虫……? 己が生きるため宿主に媚びへつらい、私利私欲のまま喰い散らかし、気に入らぬ者を殺す……ああなるほど、お前のことか」

「黙れ黙れ黙れぇっ!」


 喚き散らすスピコ伯爵。


「この数の差で何ができる⁉ 兵士たちよ、あの者たちは武器を持って庁舎に押し入ったため、討ち取る。だが半森妖精は殺さず捕らえろ。私が直々に、存分に痛めつけてから殺す!」


 たった五人の旧体制派を八倍の戦力差で取り囲んでいるスピコ伯爵は、揺るぎない勝利を確信していた。

 一方でロベルクたちは一様に困惑していた――たった八倍の一般兵で取り囲んで一体何をしようとしているのか、と。


「この数の差でなにかするのか……」


 手加減する情を完全に失ったロベルクの袖をセラーナが引く。


「ん?」

「殺しちゃ駄目。ウインガルドの臣民だから」

「でも、相手はやる気だぞ?」

「伯爵を追い払えば、やめてくれるかも。ね、ロベルクお願い」

「ううん……じゃあ脅かしてみようか」


 気乗りしない様子で、ロベルクは氷の王シャルレグを召喚する。

 早速、スピコ伯爵の背後に立った精霊使いが恐慌をきたし、背後の壁に激突した。


「知っているということは、先に逃げられる機会を得られるということだな」


 急に恐れおののいた精霊使いを横目に見たスピコ伯爵は激高した。


「なんだ! 初の実戦というわけでもあるまい! 自慢の火の精霊はどうした⁉」

「あ……ああ……」

破落戸ごろつき上がりが臆病風に吹かれおって! 貴様には高い給金を払っておるんだぞ!」


 スピコ伯爵が罵詈雑言を浴びせるが、精霊使いは壁に背を張り付けて、恐怖に震えるばかりであった。


「使えぬ奴――」


 息を巻くスピコ伯爵を遮って両開き戸が開いた。

 扉を突き破らんとする勢いで兵が駆け込んでくる。


「伯爵様、一大事です!」


 兵はロベルクたちの前を素通りしてスピコ伯爵目掛けて疾走すると、転がるように平伏した。


「騒々しいぞ! 今からそこの連中に身分の差というものを教えてやらねばならんのだ!」

「独立派の襲撃です!」

「なんだと⁉」


 耳を澄ますまでもなく、外から喧噪が近づいてくる。


「護衛はなにをして――」


 スピコ伯爵の怒声をかき消すように、両開き戸から全身黒ずくめの集団が乱入してきた。数はざっと二十。兵士のほぼ半数だ。しかし、虚を突かれた兵士たちは包囲を崩してしまう。

 黒ずくめのひときわ大柄な男が太い声で威圧する。


「我々はウインガルド義勇軍だ。祖国奪還のため、傀儡政権からアルフリス・カルフヤルカ卿の身柄を奪いにやってきた」

「な……な……なんだと!」


 兵士たちはロベルクたちの包囲を解き、スピコ伯爵を守る陣形をとり始めた。


「お、俺を奪いに⁉」


 場違いに顔を赤らめるアルフリス。

 セラーナはそれを見逃さず、彼を肘でつつく。


「英雄ってことね」


 状況が変わったのを見たロベルクは仲間に視線を送る。


「いい機会だから、僕たちも退散しよう」

「そうね」


 ほかの面々も頷いた。

 そうと決まれば話は早い。ロベルクが目の前の床を氷結させると同時に、一行は踵を返して広間から逃亡した。

 黒ずくめの集団はロベルクたちの行動の早さに呆気にとられていたが、まるでしんがりを守るようにロベルクたちから一息遅れて退散する。

 追おうとした兵士たちは、夏場の室内に突如として発生した氷盤に足を滑らせ、一斉に尻餅をついた。





「待ってください!」


 追っ手をまくために裏通りへ飛び込んだロベルクたちの背後から声がかかる。

 一行が速度を緩めると、じきに黒ずくめの集団が追いついてきた。

 集団の二番目を走っていた大柄な男が一歩前に出て両の手のひらを見せ、害意がないことを表した。


「『五千人脱出行』のカルフヤルカ卿!」


 大柄な男は先ほどのウインガルド兵よりははしゃぐのを控え、相手に聞こえる程度の小声で話しかけてきた。


「いや、俺は……」

「お戻りになったのも、なにか思うところがあってのことでしょう。ですが、我々の仲間にお顔だけでもお見せいただければ、士気の向上に繋がります。代わりといってはなんですが、我々からは、最近のウインガルドに関わる情報をお聞かせいたします……そのくらいしか出せないのですが、何卒」


 セラーナは相変わらず目立たぬよう輪から外れて成り行きを見守っていたが、フードの下からもごもごと声を出した。


「あたし、ウインガルド義勇軍に会ってもいいと思うんだ」


 驚くロベルク。必死で声量を落として答える。


「さっき危険な目に遭ったばかりじゃないか!」

「スピコ伯爵のことは残念だったわ。でも、今度は伯爵に敵対する組織だし、国を何とかしようとしている人たちよ。それにロベルクと一緒なら大丈夫でしょ?」

「……無理はしないでほしいな」

「情報は大事」

われはどっちでもいいよ」

「お仲間もそう言っていることですし」


 皆がセラーナの意見に同調しているのを聞き、大柄な男も再度勧誘する。


「……わかった」


 アルフリスも首を縦に振るしかなかった。

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