第百四話 『占領下の統治者』

「あー、領主様ね……」


 誰もが皆、似たような反応だった。

 口に出すことに危険が伴う、ということだ。

 住民は通常に近い生活を送っている。商売も行われている。たまに占領軍の妖魔兵が屋台で食事代を踏み倒している姿も見られたが、ジオ軍の悪評からすれば大人しい所業であったし、今はそれを止めることで目立つわけにはいかなかった。

 日中は兵士や家事をする者、そして子どもが目立つ。まともな働き手は職場や城外にいるか、戦死している。


「やはり偽りの安定か? どうも、皆もやもやするような口ぶりだな……」


 ロベルクは煙に巻かれているような感覚に困惑した。


「そろそろ出ましょ。あたしたちを妙に思っている視線も感じるし」


 セラーナの提案もあり三件目の酒場を出る。

 いつもどおり、最後にアルフリスが、殿しんがりを守るように戸口から出た――


「……カルフヤルカ卿?」

「!」


 誰の声でもない声をロベルクは聞いた。


「こっちよ」


 既にセラーナはアルフリスの袖を引き、路地裏へと導いている。


「ちょっ、どうなさったんですかお嬢⁉」


 アルフリスの動きが一歩遅れた。


「お待ち下さい、そこのヴィンドリアの方々!」


 確かにこちらを呼んでいる。

 ロベルクは内心舌打ちした。油断なく、ゆっくりと振り向く。

 そこには若いウインガルド兵がいた。三人だ。ジオ兵は混じっていない。年の頃は十五、六。セラーナとそう違わない。おそらく占領後に兵になった者たちだろう。


「何か?」

「いえ、そちらの背の高い方に見覚えがあったもので」

「このくらいの背の者は、冒険者を斡旋している酒場であれば見付けられるでしょう」

「確かにそうですが……」


 先頭に立った兵士は相槌を打ちながら、しきりにアルフリスのフードの中を覗き込もうとしている。経験が不足しているのか、ロベルクたちが全員戦闘態勢になっていることに気付いていない。じきに兵士は「ああ、やっぱり」と弾んだ声を上げた。

「やはりあなたはカルフヤルカ卿!」

「人違いでしょう」


 ロベルクが応対するが、自分たちの英雄を見付けた兵士たちは舞い上がってしまい、最早ロベルクのことは眼中にない。だがその眼は見咎めているのではなく、信奉者のものだ。


「『五千人脱出行』のカルフヤルカ卿! あのときのあなたの勇姿を目に焼き付けて、今まで仕事に励んできました!」


 兵士たちは、ヴィンドリアに到着できたのが一割であったことなど知らずにはしゃいでいる。

 奥歯を噛み締めているアルフリスのことなど意に介さず、兵士はぐいぐい迫ってくる。


「カルフヤルカ卿! 祖国ウインガルドのために力をお貸しください!」

「領主様はちょうど中央広場の庁舎にいらっしゃいます。どうかいらしてください! 領主様もきっとお喜びになります!」


 三人の兵士は羨望の眼差しを湛えてアルフリスを取り囲んだ。


「いや、俺は……」


 思いがけず憂国の士に出会って困惑するアルフリス。

 セラーナは目立たぬよう輪から外れて成り行きを見守っていたが、兵士たちの喜びが本物であると認める。ロベルクをそっと引き寄せ、耳元で囁いた。


「あたし、このままスピコ伯爵に会ってみようと思うんだ」


 ロベルクも周囲に聞こえないように答える。


「確かに伯爵の真意を探るのには確実な方法だけど、危険じゃないか?」

「スピコ伯爵はウインガルドっていう国の名前を守ってくれたんだもの、きっとそうするしかなかったんだと思うの。それに目の前の兵士たちみたいなのがいるようだし、ロベルクと一緒なら大丈夫でしょ?」


 急に頼られて、ロベルクは耳の付け根が熱くなるのを感じた。視線を落とすと、セラーナが満面の笑みで見上げている。


「……君のことは絶対守るつもりでいるけど、無理はしないでほしいな」


 算段を終え、頷き合う。

 二人はアルフリスの前に進み出て、大袈裟に畏まる演技をして見せた。


「ご招待を受けましょう、アルフリス

「何だと! どういうことだロベ……」

「ささ、部下のかたもおっしゃっていますし」

「ぶっ……部下じゃ……」

「部下でしょう、アルフリス様?」

「む……むむぅ……」


 セラーナがからかい半分で同意を伝えると、アルフリスもひとつ唸って覚悟を決めた。


「わかった。招待を受けよう」

「おお! 我らが英雄よ、ありがとうございます!」


 兵士たちの顔がぱっと明るくなる。

 一行は浮かれる兵士たちに先導され、中央広場にある庁舎へと向かった。





 庁舎の執務室では、カールメ・スピコ伯爵が床の絨毯に並べられた宝物や魔導器の数々を検品しながら歩き回っていた。これらは全て、北方にあるウインガルド第二の都市イルグナッシュへ送られる。イルグネがウインガルド人によって統治されるために、学問所であれば四十人は詰め込まれそうな執務室の半分を占める宝物を季節に一回、イルグナッシュを占領するジオ貴族に貢いでいるのだ。


「せめて半分だったらなぁ……」


 ぼやくスピコ伯爵。だが彼の衣は豪奢な刺繍の入った涼しげなものであったし、張り出した腹は占領地の傀儡としては立派すぎた。

 贅沢なぼやきを漏らしていたところへ、扉がノックされる。


「なんだ」


 伯爵が返事をすると、家宰が入ってくる。


「実は……」


 家宰は、兵たちがアルフリス・カルフヤルカ卿とその部下と思しき一行を発見し、庁舎へ案内した旨を伝えた。


「アルフリスだと?」

「は」

「なぜ、こんなときに……」


 スピコ伯爵は歯噛みした。自分が占領軍に尻尾を振ってウインガルド貴族にいることはわかっている。ジオ軍によるイルグネ落城から三年経ってようやく支配体制が確立した今、旧体制の英雄――いや亡霊であるアルフリスが現れては、今までの努力が水泡に帰してしまう。ジオ軍に多くの金品を献上をしてようやく築き上げた『毒にも薬にもならない無害な君主』像を疑われかねない。

 だが――


「……おい」


 スピコ伯爵は家宰を近付けた。


「は」

「広間にて丁重に接待する。寛いでもらえるよう、物騒なものは眼につかぬようにしておけ」

「承知いたしました」


 家宰は表情を変えることなく頭を下げると、執務室を後にした。

 残されたスピコ伯爵は窓から町を見下ろした。未だ住民は必要最低限の外出しかしていない。ジオ軍属の妖魔による狼藉が多く、治安は悪いままだ。また共同統治の体制を取っているため、兵の約半数がジオ軍である。人件費と賄賂だけでも相当の額になり、彼の頭を悩ませていた。

 だが、とスピコ伯爵は顔を上げた。


「もしかすると、潮目が変わるかも知れない……」


 伯爵はアルフリスを出迎えるべく、広間に向かって歩き始めた。





 ロベルクたちは庁舎の入り口で待ちぼうけを喰らわされていた。屋内で夏の日差しが届かないのはせめてもの救いだが、北国にやって来たとはいえ、気候に慣れてしまえばやはり夏は暑いものだった。


「お忙しいようだな。伯爵様にちょっとお目にかかるだけのつもりだったが」


 アルフリスが唸ると、先ほどの兵士が恐縮する。


「申し訳ありません。やはり貴族様ともなると、英雄のご帰還といった行事は盛大に執り行いたいものなのかも知れません」


 ふうん、と興味なさげにアルフリスが答える。

 兵士たちの恐縮も限界近くなったころ、別な兵士が一行を呼びに現れた。剣を下げた兵士は恭しく頭を下げると、一行を広間へといざなった。

 両開きの扉を抜け、広間へと入る。

 殺風景だ。

 絨毯などは敷かれてなく、石の板が敷き詰められている。装飾品はジオ軍が接収していったのだろうか。


(武器を預けなくていいのか……)


 訝るロベルク。だが、こちらが『五千人脱出行』の英雄一行だからか、相手がウインガルド貴族を名乗っているからかであろう、と疑問を思考の脇に遣ることにした。

 部屋の奥にはスピコ伯爵が装飾の施された椅子に座って待っている。その背後を精霊使い、左右を屈強な兵士が守っていた。

 案内役の兵士はスピコ伯爵とアルフリスに敬礼すると、横の扉から退出した。

 セラーナは目深にフードを被って顔を隠し、目立たぬように控えている。フィスィアーダは興味なさそうに突っ立っている。逆にメイハースレアルは周囲の壁や窓をきょろきょろと見回していた。

 一歩前に立ったアルフリスが立礼する。


「お目に掛かれて光栄です。アルフリス・カルフヤルカ男爵でございます」

「こちらこそうれしいよ、英雄殿。爵位は脱出時に得たのか?」

「亡命先での交渉に役立つだろうとのことで賜りました」

「おお、それは喜ばしい!」


 上機嫌で応じるスピコ伯爵。


「して、男爵殿の連れは、その四人だけか?」

「左様でございます……軍勢を引き連れて馳せ参じられればよかったのですが」

「いやいや、それでよいぞ!」


 スピコ伯爵は膝を叩いて喜んだ。


「カルフヤルカ男爵が来てくれたのはとてもありがたい。我がイルグネの町も安泰だろう!」

「ねえ」


 後ろできょろきょろしていたメイハースレアルが口を挟む。


「右の壁の裏にある二十一個の命はなんだろう?」

「!」


 スピコ伯爵の笑顔が引き攣る。


「な……なんの話かな、お嬢さん?」

「左の窓の向こう、同じくらいの数の気配……殺気」


 フィスィアーダも、別段身構えずに異変を察知する。


「そして……」


 ロベルクは同じく殺気を感じているセラーナを背後に庇う。


「……内密に精霊を召喚しようとしても感知できるし、それはあまり好意的なやりようではないな」

「ふむ」


 スピコ伯爵は笑顔を消す。ロベルクたちを見回しながら、大きな宝石の付いた指輪を嵌めた手を気怠そうに振った。

 同時に左右の扉から兵士が溢れ出す。そこには、ロベルクたちを庁舎に案内した四人の兵の捕縛された姿もあった。

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