第十七章  ふたたび祖国へ

第百三話 『故郷』

「だいぶ涼しくなったな……」


 ロベルクは背後の岩山を振り返りながら呟く。

 フルシャマルから砂砂漠、岩石砂漠と乾燥した地域を歩き続け、次いで東大陸と西大陸が衝突してできた山地に細く刻まれた街道を通り、一行はついにセラーナの故郷、ウインガルド王国の領土に足を踏み入れた。

 一帯が岩山になっている『地峡』と呼ばれる地域を抜けると、乾燥は鳴りを潜め、湿潤な空気と共に植物の気配が見え隠れするようになってきた。

 地峡の小さな町で雇った案内人が行く手を指さす。


「ここからは水と森林の土地だ。大砂漠とフェリエンの森みてえな異様な景色じゃなくて、水があるから植物が育つ、ってこった……まあ、これから夏だからある程度は暑くなるぜ」

「ヴィンドリアの砂漠は製霊力の異常だと聞いたことがあるけど、数日の旅でこう気候が変わると頷けるな」

「旦那、詳しいな」

「精霊使いなものでね」


 行く手には岩の灰色の終わりが見通され、土の地面と、草原、そして城壁が見えてきた。


「そろそろイルグネの町ね」

「夕方には着きそうですな」


 ウインガルド人の二人は昂ぶりが滲み出ている。

 一行の足取りは自然と軽やかになった。





 歩みが速まった一行は予定より早く、日が傾き始めたころには城壁が目視できるところまで辿り着いていた。城門はまだ開いており、城壁の内に入るための短い列がで

きているのが見て取れた。


「こっちだ」


 案内人に導かれるままに城門を逸れ、森が迫りつつある薄暗い場所へと向かっていた。


「暗がりに、城壁の穴がある。小さい穴だから魔物が進入する心配は殆どねえがな」

「怪しげね。報酬があんたの誠実さも買えているといいんだけど」


 セラーナが一瞥をくれると、案内人はびくりと肩を震わせた。


「も……もちろんだ。破格の報酬も道中の安全も貰ってる。これで裏切ったら『案内人』の仕事の信用にも関わらあ」

「そのくらいにしよう」


 ロベルクがセラーナを窘める。

 雑草を分け入ると、木々に隠された場所に城壁の穴はあった。瓦礫で巧妙に偽装してある。森と接触している上に城門からも離れており、そう簡単には発見されなさそうだ。敗戦後のため、森林の伐採や城壁の修復に手が回っていないことも一因となっているが。

 案内人の先導で、城門の穴に足を踏み入れる。一般的な人間がかがんで歩く程度の小さい穴だ。そもそも城壁というのは上に歩廊を作れる程度の厚みがあるものであり、この穴もただの綻びではなく、堂々と城門から入れない者たちが作ったものだから、快適な大きさにできるはずもない。子どもの姿をしているメイハースレアルは悠々進んでいるが、巨漢のアルフリスは進むのにたいそう苦労した。


 穴を抜けると、案内人は成功報酬を受け取って去っていった。先に去ることで「追跡などしない」という意思表示をしているのだ。

 町は占領下とは思えない落ち着きを見せている。戦から二年も経過しているというのもあるだろうが、それ以前に建造された建物も多数残っている。このイルグネは最低限の破壊でジオ軍によって落とされたことが見て取れる。


 裏通りからやや大きな通りに眼をやる。行き交う人々は兵士だけでなくイルグネの住民も見られる。生き残った人々には占領下での生活が定着しつつあるのだ。

 一方で兵士たちは奇妙な取り合わせだった。ウインガルド兵とジオ兵が混在した部隊が巡回しているのだ。兵たちは我が物顔で通りを闊歩し、他の住民は厄介事には関わらないとでも言うように道を開けている。

 首を傾げるアルフリス。


「どういうことでしょう?」

「ウインガルド人の自治……と考えるのは早そうね。ロベルクはどう思う?」

「偽りの安定……国を売って領主になった貴族がいる、と考えるのが自然か……」

「貴様、ウインガルド貴族を侮辱するのか!」

「しっ!」


 声が大きくなりかけたアルフリスを黙らせ、裏通りに引っ込む。


「……申し訳ない」


 項垂れるアルフリスの前に、フィスィアーダとメイハースレアルが立ち塞がる。


あるじの言っていることは間違ってない」

「三年も占領されていたはずの町なんだから、おじさんも警戒した方がいいよ」


 ぐうの音も出ないアルフリスを伴って、一行は今宵の宿を探すことになった。

 とは言え、表通りの立派な宿は領主の目が光っている可能性もあるので避けねばならない。セラーナに快適な逗留をしてほしいアルフリスは散々不平を並べたが、当のセラーナの説得によってようやく裏通りにある開店休業のような宿に泊まることを承諾した。




 

 翌日から情報収集が始まった。

 ナムダールから貰ったヴィンドリアの民族服は、目立たず町を歩くのにうってつけだった。

 西大陸は妖精への偏見や差別がないので、ロベルクは耳を隠してはいない。

 セラーナは一つに結んでいた黒髪を左右二つに結び直した。王女の顔などそうそう見た者はいないだろうが、念のためである。お忍びの時分に使っていた『ナセリア』という偽名を使うことにした。

 フィスィアーダとメイハースレアルは、目立っているのは神の衣だけなので、民族服で隠せば何の問題もない。

 セラーナとアルフリスは念のためフードで顔を隠すことにした。


 夕方前には全員が宿に帰ってきた。

 男部屋に一人と二柱の女が集まって、報告会が始まった。

 各々、情報の礼に買った屋台の食べ物などを手土産にしている。階下の酒場から持ってきた食事や飲み物などとともに、手分けして情報収集した内容を擦り合わせる。不確定な噂としては、ジオ皇帝ゼネモダスⅢ世が崩御したという話を皆聞いたが、それを匂わせるジオ軍の動きは見られなかった。


「セラーナとアルフリスにとって、気分のよい話はあまりなかったな」


 まずロベルクが口を開く。

 セラーナもアルフリスも既に予想していたのか、別段落胆の表情は浮かべていない。アルフリスに無言で促されたロベルクは話を続けた。


「まず、三年前にこの街を陥落させたのは、レイスリッド・プラーナス率いるジオ魔法軍だ」

「それは……俺も……聞いた」


 アルフリスが露骨に顔を歪める。力の抜き所を失い、苦々しい表情のまま肉にかぶりつく。

 フィスィアーダがそれに構わず話を継いだ。


「今となっては建物や城壁に殆ど被害を出さなかったレイスリッドに感謝する住民もいた」

「うぐっ……」

「それと、今の領主はカールメ・スピコっていうよ」

「スピコ……伯爵……」


 セラーナが反芻する。皆の話は彼女が仕入れてきた情報と一致していた。確実であろう。

 アルフリスが首を傾げる。


「スピコ伯爵は何故、占領下のウインガルドにあって領主を続けることができたのでしょう?」

「伯爵がどういう経緯で領主を続けているのかわかれば、今後の動き方も決まるわね」


 果実を摘みながら頷くセラーナ。


「露店も店舗も物価が高くて活気がなかったし、無茶な統治をしていそうね……」


 ロベルクも異論はなかった。領主の姿勢はこちらの安全度にも関わってくる問題だ。


「じゃあ、明日はスピコ伯爵の周辺の事情について調べてみることにしよう」


 明日の方針は決まった。

 一行はあと何日食べられるかわからない宿屋の料理を楽しむことにした。決して上等とはいえないが、旅を続けてきた者たちにとっては狩った鳥獣や保存食と比べれば安らぐことのできる味だった。

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