第百二話 『奸話仇弟(2)』

 西エトラルカ大陸の北東部に位置するウインガルド。

 現在はジオ帝国の侵攻を受け、その支配下にある。


 占領統治する第二皇子ヴォルワーグの元へゼネモダスⅢ世崩御の知らせが届けられたのは、水月みずつきの半ば頃であった。

 異常な速さである。早馬が昼夜を問わず駆け通し、何頭もの馬を犠牲にして訃報を運んだ。


「先んじられたか……」


 ヴォルワーグの口から思わず言葉が漏れる。自分も弑逆を企んでいたということを告白する言葉だったが、誰の耳にも入らなかったのは彼にとって幸運であった。

 軍全体に混乱が広がった。

 絶対的求心力を失った帝国。


 ――能力は劣るが長子であり帝都ジュマールを押さえるルーノか。

 ――第二子ではあるが辣腕のヴォルワーグか。


 忠誠と義理、そして渦巻く打算が多くの将兵を去らせ、多くの将兵を呼び寄せた。

 最も混乱を招いたのは、三十年前からゼネモダスⅢ世に付き従っていた古参の大将軍が出奔したことだった。

 帝国全体にもたらした大きな動きは隠蔽できるほど小さなのものではなく、占領下のウインガルド国民は新たな混乱の予兆に首を竦めた。





 数日後、早馬としてはまともな期間を経て、次の知らせがもたらされた。


「『ジオ帝国皇帝ルーノⅠ世』陛下からです」

「!」


 ヴォルワーグは危うく取り次ぎの文官の首を刎ねかけた。


「寄越せ」


 柄頭から手を離すと同時に衝撃は鳴りを潜め、手紙を受け取るときには既に落ち着きを取り戻していた。

 封蝋を破り、顔色一つ変えずに手紙を読み進めるヴォルワーグ。だがそのはらわたは煮えくりかえっていた。


「使者は殺さず帰せ」


 文官を下がらせると、入れ違いに二人の腹心が入室してきた。

 一人はフォラントゥーリ府主教。闇神フェル・フォーレンを象徴する黒いローブに身を包んだその身からは足音すら立たない。フードを目深に被っており、表情を窺い知ることもできない。

 もう一人は女性だ。背はさほど高くないが、上品な物腰でフォラントゥーリの後を静かに歩いていた。蠱惑的な黒い獣皮の胸当ては片方の肩当てが長く突き出しており、その上で切られた亜麻色の髪が揺れている。微かに森妖精の血が入っていることを思わせる細面の美女であったが、その眼は感情を宿していなかった。

 謁見室の扉が閉まるのを確かめると、フォラントゥーリが切り出した。


「兄君はなんと?」

「ウインガルドはくれてやるがお前の帰る場所はない、だとさ」


 羊皮紙を握り潰すヴォルワーグ。


「簒奪者が、もう皇帝気取りだ」

「ですが皇子、ジオ帝国は簒奪で皇帝になった御方がとても多い。お父上とて……」

「確かに父上は腐敗していたとはいえ先帝とその腰巾着共を皆殺しにした。だがそれは実力あってのことだ。混沌に飲まれつつもそれを調伏し、力を手に入れて帝位を奪い取った。だがルーノはどうだ? 騙し討ちに近い所業ではないか」

「……いかにも。故に帝国を完全に掌握するには至らなかったようです」


 フォラントゥーリのくぐもった声に嘲笑の色が混じる。


「帝国からは殿下を頼って続々と将兵が入国しておりますぞ」

「だが同時にルーノを頼って続々と出国している者共もいる」

「見る目のないことでございますな」

「ああ、全くだ」


 頷くヴォルワーグ。


「フォラントゥーリ府主教……いや、闇の御使いフォラントゥーリ。兄ではなく、俺を選んでくれたこと、感謝するぞ」

「いえいえ。殿下の心の方が遥かに良質な混沌をもたらすことは、見るものが見れば明らかでございましょう。お父上の心身に根を張った混沌を継承したのは、明らかにヴォルワーグ殿下でございますれば」

「レサーレ大将軍も、よく来てくれた」

「恐れ入ります」


 レサーレと呼ばれた女性が無機的に頭を下げるのを見て、ヴォルワーグは満足げに鼻を鳴らした。

 帝国七軍のうち、三軍は大将軍の出奔で混乱中。二軍は第一皇子ルーノに付き、残りの二軍が第二皇子ヴォルワーグに付いた。皇太子を定めていなかったとは言え、第二皇子であるヴォルワーグに二軍も味方したのは上出来と言えた。


 しかし、これで彼の退路は断たれた。

 現在、首都リアノイ・エセナは城壁内をジオ軍の駐屯地として占拠し、ウインガルド国民は壁外の宿営地から労働に通うという暮らしを強いられている。お世辞にも良好な生活環境とは言えず、野獣や魔物の被害も少なくない。滞在していた王侯貴族はほぼ殺し尽くし、犯し尽くした。今までのジオ軍の占領政策は皆殺しと入植が基本であったため、それで何の問題もなかった。

 だが、ルーノの手紙が状況を一変させてしまった。新たな本拠地として運営していくとなると話は別だ。この地に根を下ろし、被占領民の力を利用して内政と生産を充実させていく必要がある。兄は占領地の運営で弱体化したヴォルワーグを討ち、ジオとウインガルドの二国を我が物とする魂胆であろう。一方ヴォルワーグが支配するウインガルド王国は、過去を踏襲した政策で被占領民の忠誠はないに等しい。そんな状態から領地運営をせねばならないヴォルワーグは、帝位争奪の序盤から出鼻を挫かれた格好になっていた。

 占領地を掌握して自分の国にせねば、彼の未来は破滅が確定する。


(なにか……なにか人心を手早く掌握できる策は。くっ……煮詰まってきた。ちょっと女でも抱いて……)


 気分転換に漁色にふけろうとしていたヴォルワーグの脳裏に、ふと初恋の女性の顔が浮かんだ。その姿ははっきりと像を結び、同時に絡み合った問題が解けていくのを感じた。


「フォラントゥーリ、殺した王侯貴族の中に、はいたか?」

「いえ、行方不明との報告を受けております」

「よし。俺は第二王女と結婚する。出頭させよう」

「は……」


 フォラントゥーリは困惑した声を漏らしたが、その身はヴォルワーグが発し始めた混沌の力をひしひしと感じていた。


「兵共が八方手を尽くしていますが、未だ捕縛できていません。なにか秘策でも……?」

「うむ!」


 ヴォルワーグが口角を上げる。


れを出せ」

「して、内容は?」

「『第二王女セラーナ・シルフィーネに出頭を命ずる。出頭する日まで一日一名の女性を連行し、命果てるまで夜伽をさせる』と」

「面白うございますな」


 フォラントゥーリの声は喜びの色を帯びていた。


「早速、全土に布告いたしましょう」

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