第百六話 『王国の今』

 ウインガルド義勇軍のアジトは酒場の裏口を抜けて薄汚れた裏通りをしばらく歩いた先にあった。

 廃倉庫だ。

 相当傷んでいる。雨風を防げれば御の字といったところだ。雑多に物が置かれているかと思えば、板材が立てかけられていて部屋としての区切りを作っている場所もあり、見た目は貧民街の延長といっても差し支えない。だが、復興も大して力を入れていない町の現状では、このような廃倉庫などは警備の目も行き届かない。抵抗勢力の根城としては打って付けと言えた。


 埃臭い通路を進んでいると、武具の手入れや食料の運搬などをしていた者が振り返り、アルフリスの姿を認めると歓声を上げる。

 その波は徐々に広がり、三十歩も歩かぬうちに義勇軍の面々に遠巻きにされて見世物状態になってしまった。


「静まれい!」


 大柄な男が義勇軍を制する。


「これからカルフヤルカ卿と話をする。皆は持ち場へ戻れ!」


 義勇軍の構成員は三々五々、輪から離れて倉庫のそこかしこに散っていく。


「これがカルフヤルカ卿の評判です。顔を見ただけで士気が上がる……それがあなたなのです」


 アルフリスは唸った。

 王国脱出の指揮を執るのに、自分以上の地位を持つ者がいなかっただけだった。ヴィンドリアに無事到着した難民は、出発時の一割。成功とは言いがたい。そんな自分に、英雄として祭り上げられる資格はあるのか、と。


 一行はそのまま、たくさんの椅子が乱雑に置かれた広い場所へ案内される。

 そこで黒ずくめの集団は黒い頭巾を外した。

 常に先頭を歩いていた、やや細身の者が握手を求めてくる。


「ようこそ、ウインガルド義勇軍の本部へ」


 よく通る高めの声。女性のようだ。ウインガルド人特有の白い肌は日焼けして機敏そうな印象を醸し出している。橙色の眼は意志の強さを感じさせた。

 アルフリスはその手を握る。身長差は頭二つ分アルフリスが高い。


「アルフリス・カルフヤルカだ」

「リーシ・ヒルヴィ」

「よもや、ヒルヴィ副伯の……」

「今はただのリーシ・ヒルヴィです。リーシとでもお呼びください」

「では俺のこともアルフリスと呼んでもらいたい。それと堅苦しい言葉遣いもなしだ」


 短い自己紹介の後、リーシは一行に椅子を促す。

 リーシは一行に正対する位置の椅子を見つけると、どっかりと腰を下ろした。

 五人に注目される中、彼女は口を開く。


「第二王女が亡命した直後に、首都リアノイ・エセナが陥落したのは知ってるわね」

「うむ。その後、第二皇子ヴォルワーグがやってきて、総大将レイスリッド・プラーナスを排除して占領軍の全権をを掌握した」


 一行の中で一番最近までウインガルドにいたアルフリスが代表して答えた。

 リーシが話を続ける。


「そう。その頃だとヴォルワーグは貴族の処刑を始めていたと思うけど、あなたが脱出してしばらくたった頃、処刑は完了した」

「…………」


 セラーナがゆっくりと気取けどられないように俯く。

 完了とはつまり、眼につくすべてのウインガルド王侯貴族たちを処刑し終えた、ということだ。


「現状、イルグネはジオに賄を贈って領主の座を保ったスピコ伯爵の支配下。北のイルグナッシュはヴォルワーグ皇子の支援者であるサンバース家が占領中。極北のメタレス大神殿は侵攻を免れた。北東に位置する常雪とこゆきの山脈の向こうにあるラーティの街は情報がなく不明」


 リーシは淡々と語る。感情を乗せないのは、怒りや悲しみに支配されないためだろう。


「あと、ここ最近の出来事で大きなものというと……ゼネモダス皇帝の暗殺かな」


 こともなげに言ったリーシの言葉は、ロベルクたちに衝撃をもたらした。


「ゼネモダスの死因は……暗殺……?」


 リーシが大きく頷いた。


「ゼネモダス体制が急に終わりを告げ、ジオはルーノ体制に、ウインガルドはヴォルワーグ体制になろうとしている。兄皇子のルーノの派閥に属している将兵が続々帰国していて、ヴォルワーグ派の将兵がこちらに向かっている真っ最中なの。でも、一つ言えることは……今、ジオが多少なりとも混乱し、巨大な一つの岩だったジオ軍が真っ二つに割れているってこと」


 沈黙が流れる。


「それで……この町にカルフヤルカ卿が来ているという情報を得て迎えに行ったのだけど、今一歩の差で伯爵方の兵に先を越されてしまったというわけよ」

「慌てて助けに行ったのだが……手を貸さずとも大丈夫だったように見えた」


 常に二番手にいる大柄な男が付け足した。


「そこまでしてもらえるとは……」


 感嘆の息を吐くアルフリス。


「いや。あなたにはそれ程の価値があるのよ。さっき義勇軍の構成員に取り囲まれたときも見たでしょう? 実力だけじゃない。その名と偉業は、味方にとっては千人の援軍のごとく士気を上げ、敵にとっては眠りを妨げるほどの呪いとなっている……」


 一気にまくし立てたリーシは一息つくと、改めてアルフリスの双眸を覗き込んだ。


「頼みがある。あなたの名と顔をお借りすることはできないだろうか……できれば力も」


 その視線の重みにアルフリスの巨体がたじろぐ。

 リーシは視線を外さず話を続けた。


「我々はこのこの混乱こそ好機と捉えて、準備を進めてきた。ようやく、スピコ伯爵の私兵と同数の、五百人の兵力を集めることができた」

「好機……」


 アルフリスが唸るように反芻する。

 ロベルクもまた心の中でその言葉を繰り返していた。

 本当にそれはウインガルドにとって都合がいいことなのだろうか。

 確かに好機かもしれない。兵力は仮に野戦であれば技量の差で伯爵の私兵を凌駕するだろう。よしんば攻城戦になったところで、アルフリスの人望と求心力、そしてロベルクたちの戦闘力や工作力を加味すれば、義勇軍が勝利することは可能だろう。

 問題はその先だ。イルグネで反撃の狼煙が上がれば、リアノイ・エセナのヴォルワーグ皇子が大軍勢で鎮圧にやってくることは想像に難くない。また、東大陸とを繋ぐ唯一の陸路である地峡の支配権を失うことになるルーノ皇子とて黙ってはいないだろう。ジオ軍は半数になったとしてもその兵力と戦闘力は圧倒的だ。イルグネの一城を落として終わる問題ではないのだ。

 そしてヴォルワーグ皇子は――


(すっごく気持ち悪い奴)


 ロベルクは、リグレフの戦いでセラーナがふと漏らした言葉を思い出していた。そんな最悪の評判を持つヴォルワーグ皇子が、奪還されたイルグネによりどのような悪辣な手を打ってくるのか。常軌を逸した者による常軌を逸した行動に対する危惧があった。


 アルフリスもまた、ことはイルグネだけで収まる問題ではないことに思い至っていた。

 彼とて義勇軍の面々同様、ウインガルド復興のために舞い戻ってきたという自負はある。しかし、既に英雄に祭り上げられつつある彼にとって、『名と顔』を出すということはすなわち旗印になるに等しい。先程はリーシがいたく買い被っていたが、いざ実際に祭り上げられてみると「自分は果たしてその器なのだろうか」という不安感が溢れてくるのだ。


「一晩、考えさせてもらえないか……」


 アルフリスはようやく言葉を絞り出した。





 入念なことに義勇軍が宿の安全性を確認してくれたので、ロベルクたちは引き続き昨日と同じ裏通り沿いの宿に宿泊することができた。夕食は今夜も部屋に持ち込みだ。

 ひっきりなしに溜息をつくアルフリス。食べ物も喉を通らない――とまではいかなかったが、ちびちびと肉を囓りながらちびちびと酒を啜っている。心ここにあらずといった様相だ。

 肉を食べ終えた串で皿を突いては僅かなソースを口に運ぶアルフリス。

 階下の小さな喧噪を伴奏に、串が陶器を突く音がゆっくりと拍を刻む。

 見かねたセラーナ杯を置き、彼に正対した。


「アルフリス、どうしたの?」


 崇拝者の声に、アルフリスはようやく己のおかしな行動に気づき、串を置いた。ゆっくり一呼吸すると、口を開く。


「実は……リーシ殿のお誘いについて悩んでおりました」


 日中に出会った革命家の名前を出すアルフリス。ロベルクたちは寛いだ心を引き締め、アルフリスに注視した。

 アルフリスはますます重くなった口をゆっくり開いた。


「俺はずっと、お嬢専属の近衛騎士として生きてきました……ですが、昼間の出来事と、俺の『名と顔』に政治的価値があるということを聞いて、不覚にも心が揺らいでしまったのです」


 串を握りしめるアルフリス。

 セラーナはその姿をただ無言で見守った。口元には慈母のごとき柔らかい笑みを浮かべ、澄んだ夜空のような瞳でじっとアルフリスを見つめる。小さな身体から、全てを包み込むような優しさが溢れていた。そのつややかな唇が開かれ、話の続きを促す。


「アルフリス、どうしたいの?」


 その言葉は懊悩するアルフリスの耳に天啓として届いた。


「俺は……」


 そこで改めて一呼吸置くと、アルフリスは自分に言い聞かせるように答えた。


「俺は、一人のウインガルド人として、祖国を取り戻したいと思っています。そのための第一歩として、イルグネの奪還に加わりたい。俺が奪還の力になれるのなら、そこで力を発揮したいという気持ちはあります。しかし俺はお嬢一人のための騎士。目の前にお嬢がいらっしゃるのに、それを差し置いて町を取り戻すための戦いに身を投じるなど……」


 再び黙り込むアルフリス。自分が身命を賭して守らねばならない王女と、王家に仕える騎士として捲土重来を果たすこととの狭間で心が揺れ動いているのだ。


「じゃあこうしましょう、アルフリス」


 セラーナが立ち上がる。立ち姿から放たれる威厳は姫や女盗賊のそれではなく、王者のものだ。


「ここはあたしのために一肌脱いでくれないかしら。あなたにはウインガルド義勇軍の顔として注目を浴びてほしい」

「し……しかし」

「アルフリスが義勇軍の旗印として派手に立ち回ってくれれば、ジオ軍の視線は義勇軍へと集中する。そうすればあたしやロベルクが目立たず立ち回ることができて、相手の柔らかい横っ腹に刃を突き込むことができるわ」

「しかしお嬢……」

「あたしは大丈夫。ううん……あなたの目立ち方次第ね。短い旅だったけど、あたしが大丈夫なことはわかってもらえたと思っているのだけど」

「それは勿論でございます。実力だけでなく、人としてお強くなられた」


 アルフリスはこうべを垂れる。その巨体はセラーナの威厳にひれ伏すことに慣れていた。

 言葉を飾るのが苦手なアルフリスだからこそ信じられる。セラーナは彼の賛美の言葉を笑顔で受け取った。


「あなたほど勇名と地位とを兼ね備えた人物はいない。表と裏からジオを叩くために、やってくれる?」


 セラーナの言葉に、アルフリスは椅子から降り、片膝をついた。


「ははぁっ、命に……いえ、必ず生きてご命令を完遂いたします!」


 アルフリスはその身に気炎がみなぎるのを感じていた。

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