第九十七話 『力を失い――』
凶暴な光が遙か彼方の空中に消えた。
砂煙が晴れ、中から巨大な亀の甲羅のような氷塊が姿を現す。魔導像に面した部分には、二筋の轍が浅く刻まれていた。
急に氷の甲羅は霧散し、中からロベルクたちが姿を現す。
「防ぐだけなら問題ない、か」
「いちいちこんな守り方してちゃあ、手間取って仕方ないわ……」
セラーナが言い終える前に、背後で地響きが起こった。振り返ると、斜めに切り裂かれた背の高い建物群が次々と崩れ落ちるところだった。
「……建物はそうでもなかったようだね」
「あの『命ある者』には自制できない代物だよ」
緊迫感を増すロベルクたちを前に、シャハーブは大笑する。
『肩部二連装界子弩砲……素晴らしい破壊力だ! 建物の所有者が俺の信奉者だったときは、それなりの補償をすることにしよう!』
続いて魔導像は、腰部左右に備えられた若干細身の筒を構える。
『今度は四連装だ。黙らせてやる!』
先程より短い準備時間で、筒が子どもの悲鳴のような音と共に界子の矢を吐き出した。矢はやや小ぶりな分、雨のような数が降ってくる。
武器に精霊力を宿しているロベルクとフィスィアーダが咄嗟に矢面に踊り出し、界子の矢を斬り払う。矢は乾燥した地面に叩き付けられると砂塵を巻き上げた。
同時にアルフリスはセラーナの前に立ち塞がって大盾を構える。
盾は矢が当たるたび、みしみしと不快な軋みを上げた。
「鉄の盾だからな。何発防げるか……」
「アルマッハ・ティーヒエよ、この者の盾に力を分け与え下さい!」
身を挺したアルフリスの盾に、メイハースレアルが祈りを捧げる。盾が淡く橙に光ると、衝撃音は鞭で叩く程度の音に変わった。
「おお、盾が軽い! 神よ、感謝します!」
「ついでに
砂塵の先では、シャハーブが高笑いしながら光の矢をばらまいている。
『はっはっはぁ! 覇道の、為! 粉々に……なれぇ!』
光の暴風が止んだ。
砂塵が戦場から去る。
風景は一変していた。
門前広場の周囲は城壁よりも高い氷の壁によって覆われ、フルシャマルの市街と隔離されていた。戦場だけがまるで巨大な硝子の杯の底に沈められたような景色だった。
『この壁は……?』
「これ以上、街を傷つけさせるわけにはいかない」
「高さ、厚さ、強度、申し分ない」
「そして綺麗だねー。氷の王の力を使いこなしているよ!」
『馬鹿が!』
シャハーブが叫んだ。
『自分から逃げ場をなくして、死を確実にしただけではないか!』
「それはどうかな?」
ロベルクの声は大きくはなかったが、冷たく研ぎ澄まされていた。
「お前はフルシャマルに暮らす
大規模な魔法を行使して未だ精霊力を纏っている霊剣を一振りする。飛び散った精霊力が空気の割れる音を鳴り響かせ、魔導像の腰で魔法の矢を吐き出していた筒を斬り落とした。
「逃げ場がなくなったのは……お前だ」
『この無礼者が!』
魔導像が長剣を打ち下ろす。無造作な一撃だが、その大きさは城壁をも越える身長を誇る巨人用だ。石畳を穿ち、爆発的な石礫を撒き散らす斬撃は、ロベルクたちを防御一辺倒にさせるに十分な威力だった。
瓦礫の衝突を避けるために大きく動かざるを得ないロベルクたちに、シャハーブは容赦なく斬撃を放つ。
ついに、メイハースレアルを庇って回避の遅れたアルフリスを巨大な剣が捉えた。
耳障りな金属同士の衝突音。
爆発的な風圧。
「おじさん?」
狼狽えたメイハースレアルの声。
「アルフリスー!」
セラーナの悲鳴。
土煙が晴れた。
アルフリスは大盾で巨大な長剣を受け止めたまま、拳二つ分も地面にめり込んでいた。全身の筋肉は震える程に漲り、板金鎧を破裂させそうな勢いだ。
アルフリスが口角を吊り上げる。
「おいおい……そんなデカブツで、この程度の攻撃しかできないのか?」
一同はその姿に瞠目した。
「いや……アルフリスこそなぜ受け止めようと思った⁉」
「人間離れしてる」
「ほ……ほら!
『何だと⁉』
「ふごあーっ!」
呆気にとられたシャハーブが魔導像の動きを止めていると、アルフリスは盾で長剣を押し返した。
アルフリスは隙を見逃さず、脚部に渾身の斬撃を叩き込んだ。大剣は装甲に弾かれ、重い音を響かせる。
「ふんっ! ふんっ! ふんっ!」
アルフリスが大剣を叩き込むたび、魔導像に振動が響いて上半身が揺れた。
『うおっ!』
遂に魔導像は体勢を崩し、城壁の歩廊に手をついた。
『糞っ! 糞っ!』
毒突くシャハーブ。
脚部装甲が開き、再びクロスボウが太矢を撒き散らす。
「まだ足掻くのか!」
「ロベルク、油断しないで!」
セラーナは太矢の嵐を斬り払いつつ、袖から短剣を取り出して投げる。
「セラーナ、何を?」
「見てて。少しは効果があるはずだから」
撃ち終えたクロスボウを収納しつつ、身を起こそうとする魔導像。が、
『な……何だ?』
腕が動かず、再び城壁へ倒れ込む魔導像。
ロベルクが間合いを広げながらセラーナに声を掛ける。
「どんな手品だ?」
「関節の装甲の隙間に短剣を差し込んで、動かなくしたの。力尽くで動かしたら多分動くと思うけどね」
「いや、一息吐けたよ」
ロベルクは一瞬笑みを浮かべ、再び魔導像に向き直った。
「しかし、硬い相手だ。時間が掛かるけど、もう一度精霊魔法との多重攻撃を掛けるか……」
言いかけてロベルクは、氷壁の向こう側にナヴィドの姿を認めた。
急いで穴を開けると、同時にナヴィドが厚い氷壁の反対側から叫んだ。
「許可が下りた! シャハーブの命については気にするなってよ!」
その言葉に、ロベルクは破顔した。
「ありがたい! 五つ数えたら攻撃する。ナヴィドもできるだけ逃げてくれ!」
「こっちは気にするな。頼んだぞ!」
言いながらナヴィドは背を向けて全力疾走を始めた。
四半瞬ほども見送ったロベルクは、起き上がりつつある魔導像を注視しつつフィスィアーダに呼びかける。
「フィスィアーダ!」
「剣を通して理解したよ。我が
ロベルクは頷くと仲間に向かって叫ぶ。
「みんな、フィスィアーダのところに集まってくれ!」
仲間たちがフィスィアーダの周囲に集ったのを確認すると、ロベルクは足元に氷柱を発生させた。氷柱はロベルクを持ち上げると、ようやく立ち上がった魔導像の目線の高さまで彼を持ち上げる。ロベルクは霊剣を魔導像の眉間に向けた。
「お前には過ぎた玩具だ。破壊させてもらう」
『馬鹿め。たかが一精霊使いの力で、古代の魔導像が倒せるとでも思っているのか? 盾を薄く削っただけで調子に乗るな!』
「馬鹿はお前だ」
ロベルクに冷気が集まり始める。それは
「一度有効だった攻撃がもう一度放たれるとは思わないのか? それともさらに強力な攻撃の存在は?」
『やかましい!』
魔導像の長剣が氷柱を薙ぎ払う。
ロベルクは直前で跳び退き、背後の氷壁に飛び移った。切っ先を魔導像へ向けると、氷の王シャルレグが先程よりも強力な精霊力を迸らせながら実体化した。
「巨人の槍兵団の如く、流星雨の如く、その重く鋭利な穂先は全てを大地に繋ぎ止め、その冷気は全てを凍てつかせる……」
ロベルクが言葉をひとつ紡ぐ度に、大気は熱砂の土地であることを忘れたかの如く冷え切り、あらゆるものは凍り付いていった。
『異常低温? くっ、武器が動かない』
「御者台に当たらないことを祈れ……」
ロベルクがゆっくりと霊剣を振り上げる。
視界の下端でフィスィアーダが仲間を守る氷の壁を完成させたのを認めると、ロベルクは霊剣を振り下ろした。
「蹂躙の極光!」
遥か高空に幾筋もの氷の柱が出現する。それは陽光を乱反射して虹色に輝いていた。美しい光の筋はしかし、一つ一つが巨木の如き大きさを誇る氷の銛だ。
数百を数えようかという銛たちは回転を始め――
それらは雷光のような速さで氷壁に囲まれた戦場へと打ち込まれた。
刹那の間を置いて、街中が悲鳴のような風切り音と大地を穿つ爆音に包まれる。
少し遅れて、地鳴りが建物を揺らした。
静寂の中、砂漠を渡る熱風が戻り、靄が晴れた。
氷壁に囲まれた門前広場は、無数の氷柱が乱立する透明な森林と化していた。もし小さな虫が冬の霜柱を下から見上げたら、このような景色だったことであろう。
最も氷柱の密度が高いところに、魔導像はあった。
全身を覆っていた自慢のレグリス装甲は強力な精霊力と回転力を伴った氷の銛に貫かれ、ボロ布のように引き千切られている。立っているのが不可能な状態でありながら、全身をいくつもの氷柱で固定されていた。
たった一体で街一つを壊滅の危機に陥れた古代の魔導像は、恐怖と破壊の爪痕を残してようやく動きを止めた。それはまるで、城門を破壊して民を危機に陥れた罪人が磔刑に処された姿のようだった。
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