第九十話 『遺児』

 行方不明者が閉じ込められた水槽の一群。

 ロベルクとセラーナもそれぞれの人相風体を観察する。


「暑いヴィンドリア地方の人と、日焼け慣れしていないウインガルド人が混在している。こっちが……ウインガルド難民か」

「ということは、この辺の人たちはまだ生きている?」

「そうだね。最近、入れられた。われ……知ってる……」

「なぜ止めなかった⁉」


 ロベルクの剣幕に、メイハースレアルは思わず一歩後退った。


「我、遺跡を壊したり弱めたりすることはできないように呪いを掛けられているから」


 申し訳なさそうに俯くメイハースレアル。

 急にロベルクは年端もいかない子どもに詰め寄っている気になり、平静を取り戻した。


「そうか。それにしても御使いに呪い……恐るべき『帝国』時代の魔導技術だ……」

「『命ある者』でも実力者が束になってかかれば、御使いを千年程度封印することは可能ってことね」

「う……うっかりだよ、ついうっかり!」


 地団駄を踏むメイハースレアルを横に、ロベルクは指をこめかみにあてた。


「さて……どうやって救出したものやら」

「ぬおあ!」


 生きている、と聞いたアルフリスが突然背から戦斧を引き抜き、水槽に打ちかかった。


「ダメだよ!」


 メイハースレアルの鋭い制止が飛び、アルフリスは硝子の寸前で刃を止めた。


「神よ、なぜ止められる?」

「手順を踏んで装置を停止させないと、その人たち……死ぬよ」


 息を呑むアルフリス。


「で……では、どうすれば?」

「二つ方法があるよ。もっと下の階層に、中央制御室ってのがあるんだ。そこへ行って水槽の制御を切って、それから戻ってきて解放したい水槽を一つずつ開いていくんだよ」

「手間だな。だが、ここが大陸浮揚の要だとしたらそのくらい厳重に守る必要があったのだろうね」


 ロベルクは水槽の並んだ壁を見上げる。


「で、もう一つの方法は?」

「我を生命界から消滅させる……殺すってこと」

「それは却下だ。一つ目の方法でいこう」


 神――御使いとはいえ、子どもの姿をしたものを消滅させるのには抵抗がある。ロベルクの決断に全員が頷いた。


「案内を頼める?」

「もちろんだよ!」


 ロベルクたちは、巨大な遺体安置所になっていた動力室を後にし、メイハースレアルの案内でさらに深部へと向かった。





 一見すると壁にしか見えない――いや、確かに壁であった場所が、メイハースレアルの命令で扉へと変化し、それをいくつもくぐり抜けて、ロベルクたちは遺跡の深部へと歩を進める。

 他の冒険者が脚を踏み入れた形跡はない。動力室も含めて、深部は鉄壁の防御と偽装によって盗掘から守られていた。言葉を失う程の『帝国』・『浮遊大陸』両時代の技術と比べれば、上層部の武具や魔導器の類いなどがらくたに過ぎないということを思い知らされる。

 敵や罠に出会わないことに安心して、セラーナは道順の目印になるものをひたすら記憶し続けていた。

 いくつもの昇降機や崖を渡る床板などを乗り継ぎ、ロベルクたちは黄金で縁取られた大きな扉の前に辿り着いた。

 着くなりメイハースレアルは道を譲った。


「我は入れない」

「それも『呪い』って奴か?」


 ロベルクの疑問に頷くメイハースレアル。


「ここが全ての中枢だから。水槽の制御装置も、我の拘束装置もここで制御できるの。我がここに入れちゃうと何かとまずいでしょ?」

「確かにね」


 納得するロベルク。

 彼の横では、セラーナが罠の探索を行っていた。


「当然、元々の罠はないけど……後付けの罠もないわ」

「中に『命』が一つある」


 メイハースレアルが呟く。

 一同の眼が彼女に刺さった。

 ロベルクが金縁の扉とメイハースレアルの顔とを交互に見比べる。


「なぜ、こんなところに? いや……どうやって?」

「あいつがなぜこの部屋に辿り着き、入ることができたのかわからない。ここは血を登録した浮遊大陸の支配階級と技術者しか入れない筈なのに」

「血統と言えば子孫ね」


 セラーナが、首をかしげるメイハースレアルに即答した。


「で、あいつって?」

「最近この遺跡にやってきたの。我の力を勝手に使って近くの人を精霊力で繋ぎ、動力室に連れ込んだの」

「うーん……敵、だな」

「ろくでなし確定ね」

「罰当たり」

「同感としか言いようがありません」


 ロベルクたちは意見の一致に頷き合った。

 メイハースレアルが扉の前に立つ。


「制御室の魔導器の操作については指示を出すね」

「宜しく頼む。中の『命』が敵対的だった場合は排除するから」


 メイハースレアルは信頼感が芽生え始めた表情で頷くと、扉に掌をかざした。

 ゆっくりと左右に開く扉。

 道を譲るメイハースレアルの脇を抜けて、ロベルクたちは慎重に部屋へと脚を踏み入れる。


 小さな闘技場ほどもある八角形の部屋だった。

 それぞれの壁には巨大な硝子板と作り付けの机。硝子板には遺跡の様子を描いた精巧な絵や何かの記録のような図が、光りながら映っていた。

 正面の硝子板を見つめていた人間が、不意の侵入者に振り向く。


「お前はシャハーブ公子の側近……」

「確か……ザドリーといったかしら」

「まさか、ザドリー殿が浮遊大陸の民の末裔とは」


 ザドリーは眼の前に立つ面々を一人一人確認する。


「き……貴様等は屋敷をうろついていた冒険者共。何と、アルフリスまでいるのか……。ここまで辿り着くとは、何者かの手引きがあったのか……ん?」


 ザドリーはロベルクたちの後ろに立つ少女の姿を認めた途端、眼を見開いた。顔にみるみる血が上り、四肢が震え始める。あらん限りの憎悪を込めて口を開いた。


「メぇイハぁぁぁスレアルぅぅぅっ!」


 神に対する恐れも敬意もない、火焔を吐くような叫び。


「貴様が手引きしたのかぁっ!」

「そうだよ」


 素っ気ない返事に、ザドリーの怒りはさらに油を注がれた。筋張った手で短杖を構え、いきなり魔力を込め始める。


「エルセローム・トゥース!」


 短杖に嵌められた宝石が光り、魔力を強力に補助する。界子の礫が杖先から放たれ、扉の向こうに立っていたメイハースレアルへと襲いかかった。

 光の凶器に、メイハースレアルは羽虫でも払うように手を振る。光弾は蒸発するような音を立てて斜めに弾き飛ばされ、壁に当たって消えた。


「我は部屋に入れないし、汝は我を倒す力はないよね。でも、この侵入者たちはどうかな?」

「うぐっ」


 ロベルクたちに一瞥をくれ、呻くザドリー。彼は他人の精霊力や魔力を感知する程度の実力を持っていた。数歩後退り、机に尻がぶつかると、彼の眼に狂気が宿った。


「私はウルの民の末裔。ウルの技術を手中に収めた私に敵はない!」


 ザドリーは後ろ手で机にあった突起を押し込む。


「いけない!」


 メイハースレアルの叫びと同時に、天井から落下した物体がザドリーを遮った。

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