第八十九話 『ウル遺跡』

 ヴィンドリア国内に限らず、エトラルカ大陸で『遺跡』と言えば、多くは六百年余り前に終焉を迎えた『浮遊大陸時代』の遺跡である。文字通り、エトラルカ大陸が西と東に分かれて空中に浮遊していた高度な魔法文明時代の遺跡であり、貴重な学術的遺産であるとともに製法の失われた強力な武器・魔導器の宝庫でもある。持ち帰られた物品は、莫大な富や力を与えてくれることも少なくない。故に冒険者はウルを目指し、前線基地であるフルシャマルは発展してきた。


 遺跡に入った瞬間、ロベルクは僅かな空気の変化を感じた。


「……外と感じが違う。精霊の均衡が崩れた状態で安定している。それに魔力……界子の感じが……」

「よく気付いたねえ、お兄ちゃん」


 無駄に跳ねながら言葉を返すメイハースレアル。


「この遺跡はね、生命の精霊力が強く働き、他の九つは抑えられるように調整されているんだよ! そして遺跡全体に『瞬間移動』を阻害する結界が張られているんだ!」

「凄い技術だな。たった六百年程度前なのに、未だ僕達は浮遊大陸時代の技術に並ぶに至っていない」

「さ、こっちだよ」


 一行はメイハースレアルに導かれるまま、広い廊下を進む。

 遺跡は、吹き込んだ砂や崩壊した装飾品が散らばり、物寂しい廃墟の様相を呈していた。一方で、高い天井や太く継ぎ目の見当たらない柱などの荘厳さや精緻さなどから、浮遊大陸時代の高い技術力を垣間見ることができた。

 見上げたセラーナが嘆息する。


「すごい……何に使われていた施設だったのかしら」

「知りたい?」

「うん」

「ここはね……」


 メイハースレアルが振り向きざまに腕を一振りすると、天井に埋め込まれた魔法の照明が冬の月のように青白く灯り、通路の全体像を冷たく浮かび上がらせた。


「!」

「ここは、東エトラルカ大陸を浮遊させるための、制御施設だよ」


 三人と一柱が、声も出せずに息を飲んだ。


「……フィスィアーダ、知っていたかい?」

「ううん。われは、そのずっと前の『神々の封印』時代に封印されてしまったから」

「何故……そんな重要な情報が……周知されてないの?」

「それは……お姉ちゃんの眼で確かめてもらわないと、説明しにくいなぁ」


 メイハースレアルは一瞬考え込むと、ばつが悪そうに笑った。

 幼い――外見だけだろうが――御使いに導かれ、危なげない足取りで通路を進む。

 怪物がでるでもなく、また罠の類が仕掛けられているわけでもなく、退屈なほどに順調な探索だった。当然、彼女が怪物との遭遇を回避し、罠の位置を全て把握しているからである。もし遺跡が、探索する者全てにこんな厚遇をしていたら、あっという間に財宝は取り尽くされ、フルシャマルも街道から外れた寂れた街になってしまっていたことだろう。


 程なくして、一行は巨大な両開き扉の前に辿り着いた。

 高さ、幅とも小型の巨人族なら屈まずにくぐれそうな大きさだ。透明な水晶か硝子と思われる材質で作られているが、表面の波打ちや像の歪みなどはなく、現在の技術で作るとしたら山妖精の腕利き職人が莫大な金と時間を費やす必要があるだろう。それほどまでに透明で滑らかな扉だった。それだけに、中の様子もよく見通すことができた。

 そこは見上げるような高さの天井を持つ巨大な円筒形の部屋だった。床の面積はちょっとした貴族の庭園ほどもある。数階層を吹き抜けにしたような壁一面には無数に並んだ円筒形の水槽と、それに繋ぎ止められて意識を失っている人々の姿。まるで人体で飾られた聖堂のようだ。


「何て……異様な部屋だ」

「ふふっ」


 メイハースレアルは悪戯が成功したような笑顔を浮かべた。


「これが真相。関係者は終結が近付く戦に自暴自棄になり、全員が二度と喋れない状態になってしまった」

「死んで、あの水槽に入れられてしまったということか?」

「ううん、そうじゃないよ」


 想像が追い付かないロベルクに背を向けるメイハースレアル。

 扉に掌をかざすと、低く重い音が辺りに響いた。

 同時に、扉が開き始める。

 微かな屍臭。

 扉の不自然な動きに圧倒されるロベルクたちを前に、メイハースレアルは無造作に部屋へ進入し、振り返った。


「あの人たちはね……生きたまま水槽に入れられてたの」


 手招きするメイハースレアルに導かれ、一行は恐る恐る部屋へと脚を踏み入れた。


「生きたまま……って、何のために?」

「浮遊大陸は、多くの優秀な魔術師や精霊使いの力を使って空に浮かべていたんだけど、それを補助し、無限に生命力を供給していたのが、我ってわけ。つまり、彼らは浮遊大陸の動力源」


 元々、大陸を空に浮かべることを発案したのは、東大陸の者たちであったそうだ。

 『浮遊大陸の時代』よりさらに前、『帝国の時代』と呼ばれていた当時、世界は文明の絶頂にあり、それを証明するために各国は覇を競い、戦に明け暮れていた。

 東エトラルカの人々はそれに倦み、空へ逃れようとした。万を数える魔導師や精霊使いが、戦で命を散らすよりはと己の力を動力源として浮遊装置の一部となり、彼らの生命維持には神を――御使いメイハースレアルを捕らえて封印し、管理させるという狂気の手段で装置を運用した。

 計画は成功し、東エトラルカ大陸は空へと昇った。

 だが、戦から逃れることは叶わなかった。

 空中にある東エトラルカ大陸の威容は、彼らの平和への声明に反し、他国の眼には脅威と映った。

 いずれ各国は東エトラルカに蹂躙される――

 戦慄する国家群の中で、大陸浮揚の技術開発に漕ぎ着けたのは、現在の西エトラルカ大陸にあった国々だった。彼らもまた大陸を浮揚させ――

 ふたたび戦が始まった。

 浮遊大陸時代は、空に浮かぶ二つの大陸による長い戦の時代といっても過言ではない。

 強力な武具が無数に作られ、多くの者が命を落とした。

 浮遊大陸の管理者たちは、ある者は前線で命を落とし、またある者は浮遊大陸の存続のために自ら水槽へ入った。

 長い間続いた戦は、二つの大陸の衝突と墜落によってようやく終息し、浮遊大陸時代も幕を下ろすこととなった。


「お伽噺だと思っていた。では、この人々を水槽から解放すれば、浮遊大陸時代の技術や文化が復活するかも知れないのか?」


 アルフリスの問いに首を振るメイハースレアル。


「みんな肉体としての限界を迎えて死んでしまってるの。形は無事だけど、魂――生命の精霊はもう残っていない」


 ロベルクたちは、大陸の浮揚のために命を絞り尽くされた人々を暫し追悼した。

 敬虔な時間を見守っていたメイハースレアルは、それぞれが祈り終えたの確かめてから奥を指さした。


「最近連れてこられた人は、この奥にいるよ。こっち!」


 しめやかな時は完全に消え去り、空気が再び張り詰めた。

 弱い光に照らされた、あまりに保存状態のよい死体が壁画のように並べられた大広間を、三人と二柱は言葉もなく進む。扉から円の中心を挟んで反対側の壁に、照明の色が異なる水槽が並んだ一角があった。


「あれは!」


 アルフリスが弾かれたように駆け出す。

 彼を追って一行が水槽群へ辿り着くと、そこは周囲と明らかに衣類の意匠が異なる集団が並んでいた。


「兵士、破落戸ごろつき……明らかに専門の魔術師や精霊使いではない風体の者が混じっている」

「この辺りの人たちだけ、衣の意匠がヴィンドリア風ね」


 ロベルクとセラーナの横を、アルフリスが通り過ぎ、水槽の一つに触れた。


「……難民集落からいなくなった人だ」


 全員の視線がアルフリスに突き刺さった。

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