第三部

第十二章  砂漠の街、風化する祖国

第七十八話 『歩く水源』

 砂、砂、砂……

 見渡す限り砂の大地。なだらかな山と谷を描き、風紋を刻むそれは、あたかも黄土色の海原のようだ。

 砂漠の中を、隊商の列が進んでいる。複数の商人が寄り集まり、数十頭から成る駱駝の集団は、荒海を乗り越える船団にも似ている。

 初夏とは思えぬ強烈な日差しの下、隊商の面々は干涸らびたように顔を強張らせて……は、いなかった。


「いやあ、こんな快適な砂漠越えは初めてだ」


 一人の商人が、隣を歩く華奢な男に話しかける。


「いや。こちらこそ、砂漠の道案内をしてもらって助かる」


 男の返答も涼しげだ。


 商人は、ぎらつく太陽を見上げた。汗は一滴もかいていない。

 汗をかいていないのは他の者達も同じだった。

 隊商の周囲だけがひんやりとした空気に覆われ、春の高原を散歩しているかのようだった。


「……この涼しい空気、あんたがやっているんだろ。ありがたいよ」

「そのくらい、こちらも感謝していると思ってくれ」

「いえいえ、何を言います?」


 そこへ駱駝に乗った別な商人の男が声を掛けてきた。


「初めは、『魔法の水袋を譲れば移動中の水を保証する』などと依頼主へあなた方が出した条件を聞いて驚きましたが、実際ここまで水に困らなかっただけでなく、暑さまで凌げています。ロベルクさんはまさに歩く水源です。道案内を引き受けるだけでお使い立てしてしまいましたが、私から謝礼をお支払いしたくらいです」

「行商から行商の特技を貰い、精霊使いが精霊使いの特技を提供したまでだ」


 返答する華奢な男――ロベルクは、微かな笑みと共に返答した。

 護衛の一人が、荷を満載した駱駝の反対側から声を掛けてきた。


「海沿いの道の方が、日数は倍になるが安全だろうに……こんなお嬢さんがたをつれて、そんなに急いでるのかい?」

「ああ。旅に足止めは付き物だから、急げるときに急いでおきたいんだ」

「ふうん。ま、訳は聞かねえけどよ」


 護衛は眩しそうに、ロベルクに寄り添う二人の少女を眺めた。

 一人は日光を避ける長衣から、上等な絹を思わせる黒髪が見え隠れしている。

 もう一人は藍色の衣から手足を惜しげもなく晒しているが、氷像のように白い肌は日焼けの兆しさえない。


「……で」


 ロベルクの横を歩いていた黒髪の『お嬢さん』――セラーナが、背後を守るように付いてくる少女へ振り返った。


「何でフィスィアーダがいるの?」

「何で、って言われてもな……」


 二人旅に水を差されてご機嫌斜めなセラーナに迫られ、ロベルクは困ったように微笑んだ。


「霊剣の封印を二度も破っているから、強制力が弱っているのだ」


 藍色の衣の『お嬢さん』――フィスィアーダは、不機嫌さに反応した様子もなく己の状況を説明する。


「そういうことを聞いてるんじゃありません」

われあるじの側にいると、汝は何か不都合があるのか?」

「え? え?」


 逆に問い返されて、セラーナは言葉に詰まった。


「いえ……その……」

「ああ、汝は主に懸想している発言が見られたな。我の姿も女性型ゆえ、奪われる不安をもっているということか」

「えっ? ……そ、そんな……ねえ?」


 からかわれたセラーナが縋るような視線をロベルクに向ける。

 二人の会話を微笑ましく聞いていたロベルクだったが、話を振られて二人の少女を交互に見た。


「セラーナ、なに慌ててるの? フィスィアーダも、久しぶりに長期間顕現できたからって、命ある者をからかって遊ぶのは程々ににしてください」


 窘められたフィスィアーダは、つと眼を逸らした。


「承知した……が、二人が我にだけよそよそしいのは何とかならぬのか?」

「え?」


 ロベルクとセラーナは同時に声を発した。二人には御使いであるフィスィアーダがそんなことを気にしていたことが意外だった。


「だって、ねえ」

「フィスィアーダは、女神だし……」

「我は疎外感を感じている」


 会話を聞いていた先程の護衛が腹を抱えて笑い始めた。


「あっはっは。セラーナ嬢ちゃんも十分女神だよ」

「ふふっ、お上手ね」


 セラーナは可憐に微笑みを返す。

 フィスィアーダはロベルクに向き直った。


「二人は我に対する言葉遣いが固い。セラーナとあの護衛が話すようにできないのか?」

「ああ、そういうことですか」


 ロベルクは答えてから、自分の言葉遣いを振り返った。


「……うーん、確かに。フィスィアーダさえよければ、僕達も砕けた物言いにしようかな」

「いいわね!」


 しっかり話を聞いていたセラーナが、ロベルクの腕に絡みついてきた。


「だったら、フィスィアーダも言葉遣いを改めないとね」

「う……うむ。だが、一体どうすれば……」

「じゃあ、取り敢えずセラーナの話し方でも真似ることにしようか」

「うむ……」


 一瞬よりさらに短い間に、フィスィアーダの瞳に理知の光が巡った。そして口を開く。


「我もあるじと一緒に歩いたってよいではな……いいでしょう?」

「僕?」

「あ……」


 ロベルクとセラーナはほぼ同時にフィスィアーダの顔を見つめた。


「何かおかしなことを言ったか?」

「いや――」

「フィスィアーダ、あなた……ええっ?」

「ん?」


 フィスィアーダは首を傾げた。

 顔を赤らめておろおろし出すセラーナ。

 一方ロベルクは、清々しく微笑んだ。


「いいね、フィスィアーダ。とても『命ある者』的だ! たまに歩くと気持ちがいいね」

「ロベルク、そうじゃないの! 彼女はね――」

「あー、暑い暑い」


 駱駝の反対側から護衛の声が割り込んできた。


「折角ロベルクが涼しい風を作り出してくれているのに、急に暑くなってきやがった」

「え? あ……あの……」


 頬を染めてロベルクから腕を放すセラーナ。

 相変わらず首を傾げるフィスィアーダ。

 会話が途切れたのを見計らって、鞍上の商人が遠くを指さした。


「遥か左前に雲が湧いているでしょう。あの辺りに『フェリエンの森』がありますな。森の姿が見え始めるとオアシスも増えてくるので、そこで一泊し、北方へ向かう集団と西方へ向かう集団にわかれます」

「フェリエンの森から北方というと、ウル遺跡か」


 ロベルクの言葉に、商人は軽く驚く。


「お詳しいですな」

「いや、書物で読んだだけなんだ。しかも相当古い」

「ほっほ。長い時の流れにより得た知識と経験こそ羨ましいですな」


 この商人は半森妖精であるロベルクにも好意的に接してくる、余り多くない類の人間だ。彼のお陰で隊商内の雰囲気もよく、ロベルクは精神的に快適な旅の時を過ごすことができていた。

 和気藹々とした空気が広がっている所へ、離れたところでつまらなさそうにしていた別の護衛の男が聞こえよがしにぼやいた。


「あーあ、半妖精が女を二人も侍らせてイチャイチャと護衛しやがって、やってらんねぇぜ!」


 そのまま隊伍から離れる男。

 雇い主である商人が見咎める。


「どちらへ?」

「鳥捕りだよ、鳥捕り!」

「お気をつけください。この辺は巨大蟻地獄の目撃例がありますから……」

「うわっ、何だこれ!」


 商人の注意喚起と砂丘の裏に消えた護衛男の叫びが響いたのは、ほぼ同時だった。


「し……沈む! 助けてくれぇ!」

「本当に出たのか⁉」


 ロベルクは砂丘の頂上に向けて走り出す。

 セラーナとフィスィアーダも後に続く。


「これは!」


 小高い砂の丘から見渡すと、眼前にはすり鉢状の穴が十カ所ほども口を開けていた。

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