第七十七話 『本流へ還る』

 神殿の正門から出たロベルク達を出迎えたのは、抜けるような青空と小さな白い雲に相応しい、穏やかな海だった。

 一行は氷の橋を渡って港へと戻る。

 岸壁では氷の御使いフィスィアーダが、氷の橋に精霊力を注ぎながらロベルク達の帰還を迎えた。


「草木を愛でる者……ロベルクよ。よく戻った」

「フィスィアーダ、ありがとうございました」

「おかげで帰ってこられました」


 ロベルクとセラーナが同時に頭を下げる。

 フィスィアーダはその姿をみて、「うむ」と唸ると、何事かに気づいて町並みの方へ向き直った。


「仲間がやってきたようだ」


 その言葉を聞いてロベルク達が視線を向けると、人混みの中からシャンリンとクイントが飛び出してくるところだった。

 シャンリンがロベルクの手を握る。


「よく戻ってくれた。中の様子はどうだった?」

「ザンモ主教という者が多くの若い男女を生け贄にして力を高めていた。どうやら領主の切り札だったらしいが……そいつが領主を喰った」

「喰った……⁉」


 眼を丸くするシャンリン。


「ああ。さらなる力を得るため、霊晶ごと領主を喰ったんだ。だから領主は死んだが死体はない。霊晶は吐き出させて海へと返した」

「そうか……」


 シャンリンは穏やかに揺蕩たゆたう海を眺めて呟いた。そして徐にクイントに視線を送る。


「クイント、神殿内部の検索を。生存者がいれば救助してくれ」

「承知しました、様」


 クイントが人手を呼ぶ為に去る。


「ジェンタイ?」

「ああ、大抵の場合はジェンタイと呼んでくれ」

「わかった、ジェンタイ」


 皇太子シャンリンから司祭ジェンタイへと戻った彼は、ロベルクに笑いかけた。


「ロベルク、セラーナ、ノルビット。改めて、今回の騒動解決に力を貸してくれて、礼を言う」


 その言葉に、一同は顔を綻ばす。


「君とこんな短い期間で信頼関係を築けたことは、僕にとっても収穫だった」

「『妖精に助けられた』って、宣伝しなさいよ」

「こちらが礼を言わねばならぬところだ。海妖精の集落は移住せずに済みそうだ」


 たった数日の冒険の仲間は、言いたいことを言っては笑い合う。

 四人の視線には絆が生まれていた。


 一段落すると、ジェンタイが街へ繋がる大通りを指さした。


「さあ、例の宿に食事を用意させてある。疲れを癒やそうじゃないか!」

 波乱を見守った太陽は徐々に傾こうとしていた。





 翌日。

 ロベルクとセラーナ、そしてジェンタイは、トーゾーの屋敷を訪れた。

 寝台にはトーゾーが半身を起こし、横にはリンノが控えている。


「こっ、これは皇太……」

「よい」


 痛みを押して床に平伏しようとするトーゾーをとどめながら、ジェンタイは部屋に入った。


「トーゾーさん、具合はどうですか?」


 ロベルクが恐縮しているトーゾーに呼びかけると、ようやく彼も落ち着きを取り戻して寝台に座り直した。


「ジェンタイ様の部下の方がいらっしゃって、生命の精霊魔法で治療してくださった。あとは骨が完全にくっつくまで、二・三日安静に過ごさねばならんそうだ」

「ジェンタイ様々ね」


 セラーナが感心していると、トーゾーも頷いた。

 会話中、しばし黙っていたジェンタイが口を開く。


「ところで、トーゾーさん。あなたのその名前、偽名ではないか?」

「! ……いたた……」


 トーゾーが肩を振るわせ、傷に響いたと見えて身を縮ませる。


「いや、あの、決してそのような……」

「いや」


 しどろもどろなトーゾー。

 だがジェンタイは彼の姿が朧気ながら記憶に残っていた。


「あなたは男性だが覚えている。あなたの本当の名前はトーグ・ルー。元シージィ海軍提督。幼い俺のお守りと、海戦の基礎を教えてくれた人だ。違うか?」

「…………」


 とどめを刺されたかのように黙り込むトーゾー。

 暫しの沈黙が流れた。


「……やれやれ」


 トーゾーが骨張った顔の無精髭を撫で回し、徐に口を開いた。


「殿下の聡明さには敵いませんな。確かに俺はトーグ・ルーです。二十年くらい前に、訓練中に事故を引き起こし、責任を取って退役したルーです」

「やはり……ルー将軍」


 呟くジェンタイ。


「お父さんが……シージィの将軍?」


 リンノが驚きのあまり反芻する。 

 頷くトーゾー。


「俺は事故の責任を取って軍を辞め、ファス・トリバーへと移り住んだ。そしてこのカンムーで操船技術を認められ、船頭の仕事にありつくことができたんだ」


 重い沈黙が流れる。

 特にリンノにとっては衝撃が大きく、眼を見開いている。

 ジェンタイは場の空気を振り払うように話を続けた。


「実はその後の調査で、部将の数人が責任逃れのために、全ての責任をあなたに押しつけたということが判明したのだ……」


 そしてトーゾーの眼を正視し、改めて口を開いた。


「トーグ・ルー。処分は行われ、あなたの名誉は回復された。俺の元に戻ってきてはくれまいか……皇太子府海軍指令として」


 今度はジェンタイが提示した地位に一同が驚いた。

 皇太子府海軍司令は、皇太子が擁する海軍を束ねる長官だ。シャンリンが皇帝に即位した暁には海軍総督になる、出世が約束された地位である。

 トーゾーはゆっくりと寝台から降りると、ジェンタイに向けて片膝を突いた。


「勿体ない御言葉、痛み入ります。しかし、今の俺には大切な家族……娘がおります故……」


 リンノが顔を輝かせた。


「お父さん! 私のこと、これからも娘と呼んでくれるの?」

「勿論だ。今までも、これからも」


 トーゾーはリンノへ視線を向けると答えた。


「リンノこそ、俺をまだ父親と思ってくれるかい?」

「当然よ!」


 リンノはトーゾーの頭に抱きついた。

 暫く温もりに浸っていたトーゾーだったが、やおらジェンタイに向き直った。


「こういうわけでして……」

「そうか……そうだな」


 ジェンタイは心底残念そうに一歩引いた。

 その様子を見ていたリンノは、トーゾーに絡めていた腕を離すと、彼へ静かに語りかけた。


「お父さん、私はお父さんがシージィでお仕事をしたければ、それでいいんだよ?」

「リンノ……」


 思わぬ言葉に、じっと娘の目を見るトーゾー。

 リンノの眼差しが本気であるのを認めたトーゾーは、再度ジェンタイへと向き直った。


「仕官の件につきましては、もう少し猶予をいただきたいと存じます。娘と……新たにカンムーを治めることになるであろうイハル様とも話し合わねばと思っておりますので」

「よかろう。『色よい』とは言わん。あなたの判断に任せる」

「ははっ!」


 トーゾーは深々とこうべを垂れた。


「さて……」


 話が終わったと察して、ロベルクはセラーナに退席を促した。


「名残惜しいけど、僕たちもそろそろ行かねば」

「そうね」


 二人は頷き合うと、トーゾーとリンノに正対した。


「では、トーゾーさんもリンノもお元気で」

「ああ。ロベルクとセラーナも達者でな。旅の目的が達せられることを祈っているよ」


 トーゾーはゆっくりと立ち上がる。ロベルク達が退室するのについて、部屋の入口まで見送った。


「ロベルク、セラーナ」


 ジェンタイは部屋を出ようとする二人を呼びかけた。


「前も言ったが、二人に何かあったときは、今度は俺が助けにいく。俺と……シージィ帝国がな」

「ありがとう、ジェンタイ」

「当てにしてるわ」


 二人はジェンタイと頷きを交わすと、トーゾーの病室を後にした。

 玄関までついて行くリンノに、トーゾーが呼びかける。


「リンノ、ロベルク達を北門まで送ってやれ」

「うん!」


 運河の安全が戻ってきた。

 リンノは満面の笑みで頷いた。





 北門。

 ロベルクとセラーナはリンノとの別れを惜しんでいた。

 リンノはロベルクとセラーナの顔を交互に見て、恥ずかしげに口を開いた。


「私、これからお姉ちゃんに頼んで、礼儀作法を習おうと思っているの」

「それはいいわね」


 賛同するセラーナ。


「あなたはイハルさんとも親しいし、今後、イハルさんと関わる機会も増えるでしょうからね」

「ええ!」


 リンノのはじける笑顔には未来が垣間見えた。彼女はそこで声を落とし、しかしはっきりした声で宣言した。


「私、礼儀作法を身につけて、ジェンタイ……いえ、シャンリン様のお嫁さんになる!」

「ええーっ!」


 突然の結婚宣言に、ロベルクとセラーナは素っ頓狂な声を上げる。二人は周囲の視線が集まるのを感じて慌てて口を押さえた。


「い……いいんじゃないかな」

「そ……そうね」


 ロベルクとセラーナは銘々に、賛同しきれない気持ちを隠して肯定して見せた。

 未来の展望に満ちたリンノはそれには気づかず、言葉を続けた。


「ロベルクとセラーナもお幸せに!」

「げほっ!」


 むせるロベルク。

 セラーナは慌てふためく半妖精の腕に絡みついた。


「リンノ、お互い幸せになりましょ!」

「うんっ!」


 セラーナと、暫くして落ち着きを取り戻したロベルクは、リンノに手を振り、カンムーの街を後にした。





「セラーナ」


 道中、周囲に他の旅人がいないことを確かめると、ロベルクはセラーナに話しかけた。

 セラーナはうれしそうにロベルクを見上げる。

 ロベルクは顔が火照るのを感じつつ、決意して言葉を紡いだ。


「セラーナ……僕は、君を幸せにしてみせる」


 ロベルクの決意を聞いたセラーナは今まさに幸せを噛み締めているかのように、ロベルクの翠緑色の瞳を見つめ返した。


「違うわ。幸せになるの」

「……そう。そうだね」


 ロベルクは照れ隠しに空を見上げた。

 二人の行く先には、空と海が青さを競うように広がり、乾いた道を照らしていた。

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