第六十三話 『海竜の牙亭』
ロベルクとセラーナは、コギョーの部下に客室まで案内された。
部下が引き下がると、二人は部屋の豪華さに軽く息を吐いた。二人用の個室であることは予想していたが、睡眠という目的を果たす為にしては無駄に広い。応接ための低い机とゆったりとしたソファが置かれた部屋には、棚に東西の酒と思われる瓶が並んでいる。寝室には一台で三人は眠れそうな寝台が二つ。そして、送水管で水や湯を出せる浴室まで完備している。人力か、もしくは魔法の力で水を屋上まで汲み上げ、上等な部屋に水や湯を送っているのだ。
「すごいわね、美術品までこんなにたくさん無造作に置いて」
セラーナは感心しながら小さな鳥の銅像を持ち上げて眺めると、寝台の横にある机に置いた。と、直後には葛籠を開けて中をまさぐっている。
「あった。ファス・トリバー式の夜着! 湯浴みが終わったら着て見せるね」
セラーナは夜着をばさりと広げると、壁の釘ではなく、鏡の上の装飾に掛けた。その後も彼女は、歓声を上げながら部屋中の装飾や備品を弄り回し、元あった場所とは別な所に散らかして回った。
「セラーナ?」
「(しっ!)」
ロベルクがはしゃぎ回るセラーナに唖然としていると、彼女は急に真顔に戻り、唇に指を当てた。その素振りを理解したロベルクの顔に、息が掛かる程にじり寄るセラーナ。
「(今、必要最低限の場所だけ、それとなく覗き穴を塞いだわ)」
「(何だって⁉)」
部屋の雰囲気に合わぬ物騒な話に息を飲むロベルク。
「(応接室の窓側と浴室は塞げなかったから、気をつけて。それと音は筒抜けだから)」
「(元々監視するつもりだった、ということか……わかった)」
ロベルクが部屋を見回すと、それとなく美術品が移動されたり、布が掛けられたりしている場所があるのがわかった。
「出発前にこんな素敵な部屋に泊まれるなんて、副伯様々よねぇ(副伯は、あたしたちが眠った隙を見て殺す気よ)」
「ありがたい。しっかり睡眠を取って、明日の旅に備えよう(やはり、そういう腹づもりだったのか)」
「折角こんなに大きな寝台があるのに、あたしのこと放っておいて眠っちゃうの?」
「ええっ⁉」
素っ頓狂な声を上げたロベルクの唇を、セラーナの指が塞ぐ。
「(違うわよ! 油断させているだけ!)」
「(あ、ああ。じゃあ……)セ……セラーナ。君のことを放っておいて眠る訳ないじゃないか」
「ロベルク、
セラーナは小さく微笑むと衣を脱ぎ始めた。
「セ……!」
「湯浴みして綺麗な身体になってくるから……覗かないでね」
「いや、あのっ!」
慌てて顔の前で両手を振るロベルク。だが結局セラーナが一糸纏わぬ姿になるまで視線を逸らすことはできなかった。
「(セラーナ、浴室は覗き穴が……)」
「(肌を見せるくらいで命が買えるなら、安すぎよ。大切なところは見せないから、安心して)」
言い残したセラーナは、大きなタオルを手に浴室へと向かった。
見送ったロベルクは寝台に座り込んだ。罪悪感に両手で顔を覆う。先だっての豪快な脱ぎっぷりを思い出すと顔を赤くなった。
(き……綺麗だった)
白磁の肌を思い出すたびに、血液が逆流するような感覚に襲われる。
(ああいうとき、どう答えればいいんだろう? ジェンタイはこういうの上手なんだろうな。いやいや、これは敵を欺く演技で……でも、何て言ったらセラーナは喜んでくれるんだろう)
杭で繋がれた動物のように考えがぐるぐると同じ所を回り続けている。
(いけないいけない)
邪念を払い、現在の状況を確認する。
セラーナが塞いだ覗き穴の位置を鑑みるに、この部屋の両脇は客室に偽装した監視室だ。それぞれの部屋に一名……いや、一つの覗き穴に一名ずつ監視者がいるとすれば、相当数の敵に囲まれていることになる。迎撃するにしても脱出するにしても、かなり面倒な状況に置かれているのは間違いない。豪華客室を楽しんでいる場合ではないことは確かだ。
と、浴室の扉が思わせぶりな音を立てた。
扉が細く開き、火照った身体にタオルを巻いただけのセラーナが姿を現す。覗き穴が塞がれて見られていないはずなのに、無駄にしなを作ってロベルクに近づく。
「ねえ、見てぇ」
鼻に掛かった甘え声を出すセラーナ。そのまま胸の上で巻いたタオルをはらりと床に落とし――壁に立て掛けてあった霊剣を掴んでロベルクに押しつけた。そのまま彼を押し倒すと、馬乗りになって耳元に唇を寄せる。
湯上がりのしっとりした頬がロベルクの頬に触れた。セラーナの体温が高まっているのを感じる。彼女の呼吸が早い。
「あの……セラーナ、さん?」
「(ちょっと興奮した?)」
「(いろんな所から血が噴き出しそうだよ)」
「ロベルク……女の子に恥をかかせないで(覗き穴から見えないように声だけで一芝居打って、油断させた隙に階段から逃げるわ。あたしの言う通りに動いてね)」
「(わかった)」
伝えることだけ伝えると、セラーナは僅かに名残惜しさを滲ませながらロベルクの胸の上から下りた。ロベルクが寝台から起き上がったのを見計らって、先程脱ぎ捨てた衣の小山へと向かう。そして、この歳にしてどこで会得したのかという濃密な色気の籠もった声を零した。
「ねえ、早くあなたも……」
「え? だって……」
「もう、焦らさないでぇ(違うったら! 早く剣帯を巻いて! そして剣を吊る!)」
もったりとした色気を含む声と鋭い囁き声とを交互に浴びせられ、ロベルクは思考が焼き切れそうになりながら慌てて身支度を始める。
横ではセラーナが何の恥じらいもなく――見ているのがロベルクだけだからというのもあるが――事務的に衣類を身につけていく。
「ああ、幸せ……もっと触れて……」
誰にも触れられていないのに、嬌声を上げるセラーナ。その間にも彼女はてきぱきと剣帯を巻き、今までどこに隠していたのか小剣を腰に吊る。
「セラーナ、綺麗だ……」
ロベルクは芝居でなく、そう思った。脱出という仕事に取りかかる為に張り詰めた顔つきをしているセラーナは、確かに美しかった。万端に準備した彼女の首筋に、一筋の汗が流れ込んだ。
音だけで部屋の様子を探らざるを得ない監視者達は、二人が油断しきって睦み合っていると思い込んでいることだろう。
その間にロベルクとセラーナは、廊下へと繋がる扉の前で身構えた。
「ロベルク……あたし、もうっ、幸せすぎて……! (さあ、脱出するわよ!)」
甘ったるい声とは裏腹に緊張の表情で見つめ合う二人。無言で頷き合い、三度目の頷きと同時に音もなく扉を開いて廊下へと飛び出した。
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