第六十二話 『危うい宴』

 夕刻。

 日は落ちたとは言え、路地はまだ残光に照らされて人の往来も多い。


 漸く影が形を失い、熱気がその攻撃性を失った街路の端に、ロベルクとセラーナの姿はあった。

 二人の目の前には、石造りの巨大な建造物が聳え立っていた。中央街区の中では、副伯が住まう城の次に背の高い建物だ。高級感のある造りではあるが、どことなく普通の市民を遠ざけるような雰囲気があり、行き交う人々も何となく避けて通っているようにも感じられた。街路に面した入口には、威圧的な彫刻が施された観音開きの巨大な扉があり、その上に掲げられた銘板には豪快な書体で『海竜の牙亭』と書かれていた。


「ロベルク、入る前に言っておくわ」


 セラーナが小声で囁いた。


「何?」

「晩餐であたし達に出される食事には、毒が入っているかも知れない」


 ロベルクが頷く。


「そうだね。じゃあ、食事はお断りするかい?」

「いいえ。それでは警戒されるわ……できれば油断させておきたい。あたしは毒についてもある程度知識がある。あたしが食べたものだけ手を付けるようにして」

「わかった」

「じゃ、いきましょ」


 セラーナに促されて、二人は入口へと向かった。


 扉の前には大鬼の血でも混じっているかと見紛う大男の扉係が立ちはだかっていた。今朝までの宿と似たような衣服は着用しているが、気品と言ったものは感じられず、粗暴さが滲み出た男だった。


 二人は臆することもなく扉係に近づく。


「コギョーさんに招待されて来た」

「ふん」


 扉係は二人を一瞥すると、扉を開いた。


 玄関ホールは、小型のドラゴンの頭蓋骨や甲冑、武器の類が並べられ、安らぎとは無縁の装飾になっていた。

 カウンターに近づくと、整いすぎた身なりをした受付係が、口許だけ笑顔で頭を下げる。


「いらっしゃいませ。コギョー様は奥でお待ちです」


 ロベルク達は示された廊下へと歩みを進める。

 廊下は赤い絨毯が敷かれ、壁沿いには木製の欄干を模した飾りが伸びている。等間隔に並べられた木製のランタンが、床から天井に向けて光を投げていた。

 突き当たりには重そうな観音開きの扉が鎮座していた。扉の全面に蛇に似た海竜の彫刻が施されている。両脇には身なりを整えた扉係が小さな机と共に立っており、ロベルクとセラーナに刺すような視線を向けていた。


「武器をお預かりします」


 扉係はロベルクに両手を差し出す。


「ああ、そうか」


 ロベルクは背負い袋を下ろし、腰の剣帯から霊剣の鞘を外して差し出す。普通であれば、敵地と言っても差し支えない場所で武器を預けるなど、命を捨てるのにも等しい行為である。だが、ロベルクの霊剣は持ち主の呼びかけに応じて飛来する能力を持っているので、武器を預かるという行為はロベルクの攻撃を封じるという点で何の意味も持たない。


 霊剣を受け取った扉係は、柄に施された精緻な彫金を見て金銭的価値を妄想し、眼をぎらつかせた。が、それ以上の反応はせず、欲望を悟られぬよう苦心しながら隣の机に霊剣を横たえる。


 ロベルクがふとセラーナの姿を見ると、いつの間に外したのか彼女は武器や小袋の類は一切身につけていなかった。衣服こそ旅人のそれだが、パーティに招待された貴婦人の如く優雅な振る舞いを見せている。が、彼女の場合は袖や裾から様々な武器が現れるので決して丸腰ではないということは、この場ではロベルクしか知らない。


「お待ちしておりました。どうぞ」


 男が扉を開ける。

 中はちょっとした広間になっており、中央の大きな机には大きな燭台と、酒器が整えられていた。やはり装飾は威圧的で、客をもてなすというよりは主人の威勢を見せつける為の部屋といった趣だった。


「おお、お待ちしておりました!」


 奥の方に座っていた男が穏やかそうな声を上げながら立ち上がり、二人を出迎えた。黄色の前合わせの衣に灰色の短いガウンを羽織っている。背は小柄なセラーナよりさらに低い。草色の巻き毛を頭に生やしていることから、草原妖精の血が混じっているのがわかる。彼は揉み手をしながら会釈した。


「私はコギョーと申します。メニディ商会という店を経営しております。今朝は部下が失礼を致しました」

「一介の旅人に晩餐を振る舞うとは、随分羽振りがいいんだな」


 ロベルクはコギョーの愛想など意に介さず、部屋を見回す。

 コギョーより上座に、もう一人の男がいた。てらてらと滑光る明らかに高級な生地で仕立てた銀色のガウンを着ている。その身は座っていても、戦を経験したであろう逞しい上半身と短く刈った暗赤色の髪、そして蒸留酒に浸したような薄琥珀色の肌は、精気が漲っていた。


「私が招待したのだ、精霊使いと……盗賊のお嬢さん」


 上座の男は事務的に告げた。

 小男が控える。


「この御方は、カンムー副伯ウモン・レンドー様です」

「ほう……」

「このたびはご招待いただき恐悦に存じますわ、副伯様」


 ロベルクが何か言おうとする前に、セラーナが完璧な宮廷式の挨拶を披露した。

 気をよくしたウモンは自ら立ち上がり、席を勧めた。


「私は精霊魔法については素人だ。しかし、自慢の精霊使いであるサールードが戦いを避けるほどの精霊使いとなると、ちと興味があってな。旅の途中とは聞いておったが引き止めさせてもらった。許せ」


 セラーナは周囲に気取られない一瞬で、床、壁、天井を見回した。大まかに罠がないことを確かめると、ロベルクに眼で合図する。

 ロベルクも付近の生命の精霊力を探るが、コックや給仕と思われる人数しか把握できなかった。


「ファス・トリバー式の大皿料理を中心にご用意いたしましたから、気兼ねなくお召し上がり下さい」


 大皿、という表現は毒を混ぜることができないということを暗に示している。コギョーの言葉に反応して四人の給仕が現れた。酒を硝子の杯に注ぎ、前菜を取り分けていく。小皿や杯に細工は見られない。


「偶然の出会いに」


 ウモンが杯を掲げる。

 ロベルクとセラーナもそれに倣った。


 不穏な晩餐が始まった。

 セラーナが、何の疑いもないような速さで足つきの杯を摘み、口許へと運んだ。杯を傾けるまでの一瞬で観察し、匂いを確かめ、唇で触れて毒を確かめる。誰も気づかない程自然に毒味をして、するりと透明な液体を喉に流した。


「あら……このお酒、美味しいわよ」

「ファス・トリバー式の蒸留酒です。お口に合いましたか」

「ええ……相当値が張りそうな味わいね」


 ロベルクはセラーナとコギョーの遣り取りを聞き、杯の中身を口に含む。甘やかな薫りが酒精と共に鼻を抜けた。


「これは……異国情緒だな……」


 ロベルクは飲み過ぎに気を配りつつ、セラーナが食べた料理だけを選んで口へ運ぶ。どの料理もリグレフとは違った味つけでありながら、抵抗なく食すことのできるものだった。

 あつものが用意された頃、ウモンが机上に添えられていた手巾で口を拭った。


「さて……本題に入ろうか」


 その言葉に、ロベルクとセラーナも食事の手を止めた。


「私がお主等を招待したのは、この街の新たな産物についてだ」

「産物、とは……水の霊晶のことでしょうか?」


 ロベルクの問いに、ウモンは頷く。


「私が召し抱えた精霊使いの話によると、精霊の力は巡るものだから、しっかり循環させれば霊晶を大量に作成しても環境に影響はないという説明だった。しかし、産業を立ち上げるのと時を同じくして、運河の水質汚濁や海の荒れが目立つようになった。実力のある別な精霊使いの話も聞いてみたいと思ってな……若干無理矢理ではあったがお主達を招待した」


 ロベルクはその話に苛立ちを覚えたが、それを隠して口を開いた。


「僕はその考え方には賛成しかねます。精霊は、それぞれが意思を持ち、『命ある者』とわかり合うことのできる存在であると考えています。精霊魔法は、術者と精霊との交流が深ければ深い程、その力は強大になっていく。そこに精霊の意思があると考えるのが自然でしょう。運河の汚れも海の時化しけも、精霊の悲しみや怒りの現れだと思います」

「成程」


 ウモンが心底感心した様子で杯をあおる。給仕がすかさず酒を注いだ。


「では……精霊の怒りを静める為の生け贄について、どう考える?」


 生け贄、という言葉に、ロベルクの眼光が冷気を帯びた。

 アルタナの蒸し焼きを食べながら話を聞いていたセラーナも表情こそ変えなかったが、内心に軽蔑の情が湧き出していた。


「生け贄……」


 ウモンの言葉を反芻してから、ロベルクはゆっくり語り始めた。


「生け贄というのは、ある精霊を鎮める為に価値の似通った生命の精霊を差し出すことによって交渉する行為です。僕の見立てでは、ここまで怒りが強くなっていると、仮に交渉者に近しい者の命を差し出しても、鎮めるのは難しいのではないかと思います。それよりも、霊晶の採取を今すぐ止めて、在庫の霊晶を海にでも流した方が、精霊力を釣り合わせやすいのではないでしょうか」

「ふむ……」


 考え込むウモンに、慌ててコギョーが擦り寄る。


「ウ……ウモン様⁉」

「コギョー、わかっておる」


 ウモンは二三度頷くと、ロベルクとセラーナに向き直った。


「今宵は、実に興味深い話を聞くことができた」


 ウモンの顔は満足そうではあったが、気持ちが変わったというよりは知的好奇心を満足させたといった表情だった。


「食事の続きと行こうではないか」


 ウモンの号令で給仕が動き始め、料理の続きが供された。

 四人は大した会話もなく食事を進める。

 ウモンは考え込みがちに。

 コギョーは不安そうに。

 ロベルクとセラーナは毒を確かめつつ慎重に。

 結局ここまでにセラーナが手を付けなかった料理は、海生軟体動物であるレッサークラーケンの煮物だけだった。毒の類は一切なく、寧ろ二人は一流の料理人が作り上げるご馳走に舌鼓を打っていた。


「……さて」


 料理も一段落したところで、ウモンは再度話を切り出した。


「精霊使いよ、お主の話も一理あると思った。だが私も、街の発展という旅の途中でな。お主等も早めに旅立った方が、不快なものを見ずに済むだろう」

「副伯様のお考えはわかりました」


 ロベルクも自分の話がウモンの考えを変えられなかったことを理解する。


「今宵はお招きに預かり、ありがとうございました」


 ロベルクとセラーナが頭を下げると、副伯も鷹揚に頷いた。

 と、コギョーが思い空気に耐えられなくなった様子で何度か手を打った。


「さあ、折角の晩餐でございます。互いの栄達をお祈りして、最後に食後酒で締めといたしましょう! 飲み過ぎても大丈夫です。今宵はこちらの宿に、お二人のお部屋を用意しておりますよ!」


 給仕が食後酒の杯を配る。

 終始安全で美味な食事を満喫したセラーナは、上機嫌で杯を唇に運んだ。と、急に満面の笑みを浮かべて立ち上がる。


「これ美味しい! ロベルク、あなた大して飲めないんだから、あたしにちょうだい!」


 セラーナはそのままロベルクが持とうとしていた杯をひったくろうとする。が、杯の脚を指先で引っかけて零してしまった。


「あ……おほほほ」


 セラーナが恥ずかしげに自分の椅子に戻り、しおらしく座る。


「ちょっと、酔ってしまいました。用意してくださったお部屋はどちらでしょうか?」


 一瞬の出来事に呆然とするロベルクを横に、セラーナは急に酔いが回ったかのように背もたれにしなだれかかっていた。


「……はい。只今案内させますよ」


 一瞬遅れてにこやかに返事を返すコギョー。だが、振り返って給仕を呼ぶ彼の目には憤怒の炎がふいごで吹かれたように燃え上がっていた。


 ロベルクとセラーナが去り、広間の扉が完全に閉じると、ウモンは眉根を寄せてコギョーを近づけた。


「奴等は危険だ。折を見て……消せ」


 コギョーは恭しく頭を下げた。

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