第六十一話 『招く招かれざるに関わらず』

 トーゾーの屋敷には早朝から来客があった。

 ジェンタイである。

 ファス・トリバー式建築の中で一つだけ、草を織ったシージィ風の敷物が置かれた部屋。そこにジェンタイとトーゾーが座っていた。


「……それは、まことでございますか?」

「間違いないね」


 身体は畏まっているが掴みかからんばかりの勢いで問うトーゾーに、ジェンタイはあっけらかんと答えた。


「リンノが夜中に女の客を乗せてゴンドラを漕いでいた。行き先は領主の別邸。てことは、その客っていうのは……」

「カンムー副伯令嬢、イハル・レンドー様」


 トーゾーが絞り出すようにその名を呟いた。


「……我が娘がまさか、副伯様のご令嬢と知ってお運びしたのでしょうか」

「『誰か偉い人』を運んでいた自覚はあったはずだ。だが……」


 ジェンタイは敷物に座り直し、トーゾーの眼を見た。一瞬、懐かしさのようなものを感じるが、その原因を思い出している暇はない。


「問題はそれでは済まないんだ。実は昨日、コギョーと副伯が繋がっていることが判明した」

「コギョーと……領主様が……」


 トーゾーの脳裏で様々な因果関係が繋がる。はっと眼を見開くが、そのまま力なく膝に視線を落とした。


「……つまり、『新しいギルド』は、領主様のお声掛かり……」

「ああ、その通りだ。ギルドを私物化しようとしているってこと。だが、俺が危惧しているのは、リンノが副伯の娘と懇意にしているということだ」

「まさか……そんなことになっているとは……」


 トーゾーの視線を受け止め続けている膝には、彼の忸怩たる思いが滲み出ていた。やがて、彼は重そうな頭を上げた。


「リンノは……本当の子供ではありません」


 トーゾーはリンノの身の上について語り始めた。


 元々リンノは、領主であるウモンとメイドとの間に生まれた娘だった。

 しかし、体面を気にするウモンは自分のやったことを棚に上げてメイドとリンノを疎ましく感じていた。そこでウモンは、メイドを娘であるリンノ諸共トーゾーに下げ渡したのだ。

 ウモンの下で専属船頭として働いていたトーゾーは、嫌な顔一つせず二人を引き取って養うことにした。自分が断れば、乳飲み子を連れた母親など路頭に迷うに決まっていたからだ。

 こうしてメイドとリンノはトーゾーの家族になった。

 しかしウモンは、自身が忌避するメイドと関わるトーゾーのこともだんだん疎んじるようになり、ついには専属船頭の任を解いてしまった。

 申し訳なさが募ったのか、メイドは病を得て他界し、以来トーゾーとリンノは広い屋敷で二人暮らしを続けている。


「リンノは闊達で思いやりのある娘に育ったと思っていました。しかし、俺は娘の孝行心に甘えて、真水の調達も、夜の船頭仕事も止めずにいました……まさか、イハル様の夜遊びの片棒を担ぐような真似をしでかすとは……」

「待ってくれ、トーゾーさん」


 思い詰めるトーゾーを止めるジェンタイ。


「考え込むのもわかるが、今はまず『古いギルド』役員の娘が『新しいギルド』関係者の下から無事に帰ってきたことを喜ぼうじゃないか。いや……」


 トーゾーを慰めているうちに、ジェンタイの脳裏に新たな可能性が閃いた。


「イハルは副伯の悪事に荷担していない……のか?」

「悪事……ですか?」


 訝しがるトーゾーを横に、ジェンタイは思案顔で呟く。


「これまでリンノが無事に帰ってきていることを鑑みるに、イハルはウモンやコギョーの悪事に荷担していない可能性が高いね」

「それとリンノの夜遊びと、どういった関係が?」


 首を傾げるトーゾーに、ジェンタイはほっと息を吐いた。


「イハルに命を取られる心配はなさそうだってことだよ」





 ロベルクとセラーナが目覚めると、客室の扉の下に紙片が挟まっていた。折り畳まれた紙の内側には『よき旅を! ジェンタイ』という短い言葉が記されていた。


「ジェンタイはもう出掛けたらしいわね」


 手紙を拾い上げたセラーナに頷き返し、窓の外へと視線を移すロベルク。四階にある客室の大きな窓には、一目見ただけで高額な部材だとわかる歪み一つない透明な硝子が嵌め込まれていて、街を一望できる。彼の眼は最奥に広がる港へと注がれた。


「大して風もないのに、随分海が荒れているな」

「それも精霊の乱れが関わっているの?」

「恐らくね。怒りのようなものを、ここからでもはっきりと感じる」


 精霊力を感じられないセラーナは漠然とした不安を滲ませてロベルクに肩を寄せる。


 ロベルクは華奢な肩を優しく受け止め、白波を立てる海を暫し二人で眺めた。

 海は猛り、船を出せるような状態ではない。海岸線は湾にはなっていないので、海の荒れはカンムーの海運を直撃してしまう。


「……怒りの原因が水の精霊の虐殺だとしたら、怒りは徐々に収まるだろう」

「あとは街の人の行い次第、ってことね」

「そういうこと。さ、食事を摂って出発しよう」


 ロベルクはセラーナを階下の食堂へと促した。


 階下の食堂では朝食時とあって多くの旅人が着席して食事を楽しんでいた。高級な宿とあって、客層は高貴そうな装束の者や豪商といった面々だ。ロベルク達の服装はこの空間では浮いた存在だった。


「ごゆっくりどうぞ」


 給仕はジェンタイから前金を貰っていたのか、宿の格式に対して言わば異分子であるロベルク達に嫌な顔一つせず朝食を並べていく。


「これから暫く保存食だから、楽しむことにしましょう」


 セラーナが完璧な作法で食事を口に運ぶ。

 ロベルクもそれに倣ってファス・トリバー風の料理を味わう。


「……?」


 セラーナが急に食事を止め、水で口を潤す。

 ロベルクは彼女の変化に気づき、直後には食堂全体の空気の変化を感じ取って食事を止めた。


 食堂の入口に、剣呑とした気配を垂れ流す男が立っていた。


「僕達に用があるんじゃあないといいのだけど」

「折角の出発日だし、厄介事には関わらずに済ませたいわね」


 だが、二人の期待を裏切って男は真っ直ぐに二人のテーブルへとやってきた。


「よう、お二人さん」


 否応なしに食堂の空気が張り詰め、会話も疎らになった中、男は全身から滲む殺気とは裏腹に、軽薄な挨拶をしてきた。


「ちょっといいか?」

「よくない」

「あたしたちは、あんたに何の用もない」


 身も蓋もなく切り捨てる二人に、男は一瞬たじろぐが、気を取り直して空いている椅子の背もたれに寄りかかる。


「こっちには用があるんでね。謎の騎士と連んでメニディ商会を嗅ぎ回っていたお二人さん?」


 聞き覚えのある単語に、二人の目がすっと細められる。身体こそ動かさないが、ロベルクの身の周りは薄ら寒い気が立ち込め、逆にそこにいるはずのセラーナの気配はゆらゆらと希薄になっていく。


「……成程。より片づけやすそうに見える僕達から始末しようという魂胆だね?」

「い……いやぁ」


 男は、二人の放つ異様な気配の前には自分の殺気など児戯にも等しいことを思い知らされ、それでも余程仕事熱心なのか、やはり軽薄な――幾分卑屈さが混じった――微笑を浮かべた。


「うちの主、コギョーさんはお前さん方のことをそりゃあ高く買っておいでだ。そこで今夜、晩餐に招待したいと仰っている」

「晩餐、ね」


 ロベルクはその言葉を反芻する。どこからどう考えても罠の臭いしかしない。自分達は街を発つ身であり、一応の問題解決は為された。また、今後のことはジェンタイが動いているようだ。ロベルクとセラーナがこの街に留まって問題に関わり続けることに何の利点もない。


「断る」

「ああ、そう言うんじゃないかとおもったぜ」


 男は相変わらずへらへらしている。そして相変わらず不穏さを滲ませていた。


「もし断ったら……これを二人に差し上げろと申しつけられている」


 男は懐から何かを取り出し、机に置いた。

 セラーナがそれを見た途端、物質化したかのような殺気が彼女から放たれ、男を貫いた。

 男の軽薄な態度は吹き飛び、まるで本当に刃物で刺されたかのように血の気が失せ、喉から恐怖の音が漏れる。


「ひっ!」

「そう……わかったわ」


 それは人形だった。小さな木彫りの猫の人形。寸胴に作られ、胴体に草が絡むような美しい文様が刻まれている。だが、愛嬌ある表情を浮かべていた筈の頭部はねじ切られ、欠落していた。

 セラーナはゆらりと立ち上がり、今にも喰い殺さんばかりの形相で男に迫る。


「場所と時刻は?」

「か……『海竜の牙亭』。中央街区にあるメニディ商会の裏手にある宿だ。じ……時刻は晩の鐘から半刻(約一時間)後」

「必ず、行くと、伝えなさい!」


 セラーナは、一言一言を男の耳に突き刺すように発音した。

 男は射竦められたように顔を逸らせず、震えに抗うように後退りする。


「わ……わかっ……」

「それと……三つ数える内に消えて。さもないとあなたをこの人形と同じ姿にしてやるわ!」


 不快な情報を持ち込んだ男に憤りを叩きつけるセラーナ。


「わかった! 俺は只の伝令なんだ!」

「一つ!」


 セラーナが数を数え始めた途端、男は全速力で食堂から駆け去っていった。

 セラーナは溜息を一つ吐くと、優雅な仕草に戻って椅子に腰掛ける。そして不憫そうに人形を撫でた。


「……ごめんロベルク。またウインガルドへの到着が遅れちゃう……でも、放っておけない」

「大丈夫。僕も同じ気持ちだった」


 ロベルクの翠緑色の瞳が気遣わしげな色を浮かべる。


「……もう巻き込まれているのなら、全ての膿を出し尽くしてから出発するのも悪くない」


 セラーナはロベルクの優しさに包まれながら、満ち足りた表情で頷くのだった。

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