第五十六話 『霊晶を作るということ』

 ロベルク達は海妖精の先導するがままに、暗い街路を走った。


 案内されたのは、街外れの城壁だった。

 川の水を運河に導く為、城壁に大きな半円の穴が空いている。トンネルのように見えるのは城壁の厚みが相当のものになっている証左だ。穴には格子が嵌め込まれ、侵入者を拒んでいた。暗い半円の穴からは、運河よりは確かに澄んではいるが精霊の息吹は感じられない水が吐き出され、運河へと注いでいた。


 両岸は石組みで補強してあり、その外は疎らに雑草が生えたちょっとした広場になっている。

 広場では数人の男女が、馬車の車輪ほどもある直径の鍋を焚き火に掛け、それを囲んでいた。浮浪者のような出で立ちだが、武器を携帯しているのを見るに、偽装であることは明らかだ。

 広場を囲む建造物は一様に朽ちており、暫く使用されていないのが見て取れた。つまりこの広場は、人目を憚る行為をするのにうってつけ、ということになる。


 四人になった一行は水路の周辺が見渡せる廃倉庫の壁に隠れた。


「海妖精よ、ここで間違いないのか」


 ロベルクが問うと、彼は頷いた。


「そうだ。私は数ヶ月、あの商人と精霊使いを観察してきた。周囲から視線が遮られるこの水路で、身の毛のよだつ霊晶作りが行われる。見ろ」


 海妖精が鍋を指差す。


「あの鍋には何も入っていない。空焚きした鍋に、召喚した水の精霊を押しつけるのだ」


 ともすれば怒りに震えそうになる海妖精の姿を見てセラーナが感心する。


「それを見ながら相手を泳がせていた……海妖精さんも辛かったわね」

「うむ。はらわたを引き裂かれる思いだった」

「ところで海妖精殿……」

「ノルビット」


 ジェンタイの言葉を遮る海妖精。


「私の名前はノルビットという」

「おお」


 それを聞いたジェンタイが相好を崩した。


「ノルビットか。呼びやすいし、名前を知っていた方が共闘しやすい。俺のことはジェンタイと呼んでくれ」


 ロベルクも振り返って名前を確かめる。


「ノルビット、宜しく頼む。僕はロベルク。こっちはセラーナだ」

「うむ。共に水の精霊を救おう」

「しっ」


 静かな盛り上がりを見せようとしていた男達をセラーナが黙らせた。


「ゴンドラが到着したわ」


 セラーナが眼で指し示す。

 先程のゴンドラが広場に隣接した船着き場に係留される。そして、反対側の運河からさらに別のゴンドラが二艘現れた。一方には、貴族然とした身なりのよい太った男が護衛を連れて乗っている。そしてもう一方は全て武装した一団だ。


「……精霊使いがいる」


 ノルビットが囁く。

 ロベルクが頭数を数えた。


「ああ。武装していない者の内、貴族風でない奴……四人か」

「力だけならお前の方が上のようだが……やれそうか?」

「戦士も十人いるから、不意打ちしたいな……」

「待ってくれ」


 ロベルクの発案を小声で止めるジェンタイ。


「現場を押さえてから断罪したい」

「……何とかする。けど、戦士の相手が重くなるかも知れないぞ?」

「俺の方も何とかするさ」


 ゴンドラの一団が全員上陸するのを見計らって、ロベルクが風の精霊に水音だけを遮るよう命じる。すると水路から流れ込む水の音が消え、薪の爆ぜる音に混じって倉庫からやってきた精霊使いと身なりのよい男の声が小さく耳に届いた。


「今回の売上金を預かってきました」

「ふっふっふ、毎度よい働きをしてくれる。お前達から献策のあった井戸についても、地味ながら確実に金を生む。副伯様もお喜びだ」

「コギョー様から、船頭ギルドの掌握につきまして何卒よろしくと申しつかっております」

「トーゾーのことであろう? 先日は悪運強く邪魔が入ったが……こちらに任せておけ」


 流れてくる会話を耳にして、ジェンタイは笑みを漏らした。


「おやおや、揃いも揃って面白い話を披露してくれるもんだね」


 交誼を確かめ合うと、貴族は金袋を大事そうに抱えてゴンドラへと戻っていく。一人の精霊使いと船頭を兼ねた戦士が後に続いた。乗船するときに、精霊使いが振り向く。


「……お前達、しっかり働けよ。水をしっかり消すのだ」

「貰った分はやらせて頂きますよ、サールード様」


 サールードと呼ばれた精霊使いは軽く頷くと、そのままゴンドラに乗り込み、貴族の向かい側に腰掛けた。彼の「出せ」という合図で、貴族達を乗せたゴンドラは音もなく滑り出していった。


 貴族を見送った一団は鍋を囲み始めた。精霊使いを前面に、その後ろでは戦士達が武器を地面に置き、革袋の口を広げて立っている。


 召喚が始まった。

 三人の精霊使いが地下水道から流れ出たばかりの水、そして夜空に向かって呼びかける。が、一向に姿を現す気配がない。


「くそう……水の精霊を使いすぎたんじゃないか?」

(その通りだ、馬鹿共が)


 精霊使い達の愚痴に、ロベルクが内心で毒突く。


 暫くの間と不機嫌そうに呼びかけていた精霊使い達だったが、漸く水路の下からどろりとした水が這い上がってくる。それは召喚された不本意さを全身で表現しつつ、のっそりと空中に浮かんだ。


「……始めるぞ」


 精霊使いが周囲の戦士達に声を掛けると、空焚きされた鍋に指先を向ける。


「飛べ、一直線に」


 水の精霊はぷいと顔を背けるような仕草をし、それでもその身を一本の水の槍へと変化させる。次の瞬間――


「っ!」


 赤熱した鍋に槍が衝突し、蒸発音と共に激しい水蒸気を吹き上げた。


 ロベルクは奥歯を噛み締め、セラーナは眉尻を一瞬吊り上げ、ジェンタイは目を剥く。そしてノルビットは眼を背けていた。


 直後に、砂利や土を叩く小さな音。水の精霊が生命界で存在を維持できなくなり、霊晶になって砕け散った音だ。


「……もういいだろう。やるぞ……私はやる!」


 止める間もなく、怒りに震えたノルビットが塀の影から飛び出していく。


「おい! ……いや、頃合いだ」


 ロベルクとジェンタイはノルビットを追った。

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