第五十五話 『深夜の追跡』

「精霊使いが護衛を連れてゴンドラに乗ったわ。運河を遡上している」


 ロベルクが立ち上がると、倉庫を睨んだ。


「中に別な精霊使いは?」

「いないはず」

「よし」


 精霊の動きを逆探知されないことを確かめたロベルクは霊剣を掴み、精神を集中する。すると虚空に氷の竜が姿を現した。その透明な身体は星の光を反射して淡く輝いている。


「シャルレグ、霊晶を探れ」


 命令に答えたシャルレグは、その氷でできた姿を消す。そして一瞬の後に再度姿を現した。その眼光がロベルクを射る。


「……そうか、ほぼ水袋に収まり、未使用の物は殆どないのか」


 精霊からの情報を受信したロベルクは、そのままセラーナとジェンタイに語る。


「ということは、新たな霊晶を仕入れに行ったのかしら?」

「こんな夜にかい?」

「いや」


 セラーナとジェンタイの言葉に、ロベルクは頭を振る。


「人目に付くことが憚られる方法で『作って』いるのだろう」

「可能性は考えたが……本当にそんなことをする精霊使いがいるものなのか……」


 土の精霊神スレトーに仕える司祭でもあるジェンタイは、その方法を想像して眉根を寄せた。


「それを確かめる為に、あたしたちを雇ったんでしょ? ……こっちよ」


 セラーナに導かれ、三人は運河と平行に走る道を走り始めた。


 運河の整然とした配置とは打って変わって、道路は取って付けたような配置であり、近づこうと思えば後戻り、方角を決めて移動したつもりが直角にずれるといったこともざらだった。この街に不慣れな者が最も辟易するのが、道が突然運河によって遮られることが日常茶飯事であるということだろう。それ程、カンムーという街は運河中心の交通網が発達しており、逆に道路は運河と運河を結ぶ橋程度の役割しか担っていないのだ。


 炬火も掲げずに走る三人。森妖精の血が混じっているロベルクと夜間行動に長けたセラーナは夜目が利くし、ジェンタイも後を追う程度なら困る暗さではない。走るロベルク達の眼には、横に走る運河に浮かぶゴンドラが提げたランプの明かりが、建物の隙間から幾度となく飛び込んでくる。難解な陸路を屋根から三日間眺めた記憶と野伏の勘だけでゴンドラを追うセラーナの能力は、驚嘆に値すると言えた。


 しかし――


「っとと……」


 セラーナが思わず囁き、一行は慌てて道を駆け戻って物陰に隠れる。

 身を隠した三人の前をゴンドラの灯りが静かに過ぎる。

 道は目の前で終わっていた。行き止まりでは小さな船着き場が意地悪そうに横たわっている。


「地図なしで走り回っていたから、そのうちこうなるかとは思っていたけど……ごめん」


 セラーナが小声で謝る。


「いや、方角自体は大体わかったし、このまま回り道を探して進んではどうだろう。最終日に漸く掴んだ尻尾だ。簡単に手放すのは惜しい」


 ロベルクの言葉にジェンタイが頷いた。


「そうだな。じゃあ……運河の上流部をざっと見回って、今夜は終わりにするよ。二人とも、そこまでは同道を頼む」


 三人は気を取り直して、道が続いている方へ踏みだし――歩みを止めた。


 石畳の敷かれた行く手の中央に、一つの人影が立ち塞がっていた。

 長身のジェンタイより更に背が高い。細い体躯に対して肩幅が広く、上半身の筋肉が特に発達していた。広い胸板には、えらが隠されているはずである。波打つ銀髪は肩まで伸ばされている。細面の顔は蒼白く、人間離れした細い鼻と小さな耳朶が目を引く。衣は水を弾きそうな生地で、背中には短い三叉槍を背負っていた。


「海妖精、か」


 呟くロベルク。


 海妖精とは、海の中を生活の拠点としている妖精だ。一番の特徴は胸のえらで水中呼吸ができるという点である。日頃は海の中でひっそりと暮らしていることが多いが、川などの淡水中でも生きていくことはできる。そして、目の前の海妖精がそうであるように、陸上でも呼吸することができ、問題なく活動することができる。


「偶然すれ違うだけだといいのだけど」


 セラーナは自然体を装っているが、身体のどこからでも武器を取り出せる体勢だ。

 三人は敵対心を見せないぎりぎりの警戒をしつつ、海妖精と距離を詰める。


 危惧した通り、海妖精は三叉槍の間合いの僅かに外で口を開いた。


「お前達はメニディ商会の精霊使いを追っているのか?」


 極太の管楽器のような低い声が不思議な残響を伴って響いた。どうやら男のようである。


「……さて、何のことやら」


 ロベルクが抜かりなく話を逸らす。

 海妖精は警戒をされるのも無理はないと肩を竦めた。

 ジェンタイがロベルクに並ぶ。


「……で、どのようなご用件かな?」

「私もこの数ヶ月、奴等の足取りを追っていた」

「…………」


 敵意を感じさせない海妖精の様子に、三人は警戒を若干緩めた。

 そのまま海妖精は話を続けた。


「私の調査の結果、備蓄していた霊晶が今宵辺りに底を尽きるとわかった。精霊使いの不審な外出は霊晶を作りに行く為だ」

「何故、それを僕達に?」

「お前達があの精霊使いと並行して走っていたからだ。舟を追っていると判断した。それとも……」


 一息ついて海妖精は僅かな殺気をちらつかせた。


「お前達は陸地担当の護衛か?」


 その様子に、ロベルクは警戒を完全に解いて見せた。


「どうやら、君は商会側の者ではなさそうだな」

「当然だ。妖精であれば……いや、精霊使いであれば、商会の所業を聞いたら絶対に許せないはずなのだ」

「精霊に蛮行を働いた者がいたせいで、運河の水は死にかけている、ということか?」

「その通りだ」


 海妖精は身体を揺すり、背中の三叉槍をちゃりっと鳴らした。


「もう精霊達の限界が近い。水を守る為、私は今宵奴等を倒す。一人でも問題ないが、お前達と共闘できれば事が捗ると考えた」


 その様子を見て、ロベルクは後ろに立った二人と頷きを交わす。異論がないことを確かめて、彼は口を開いた。


「僕達はメニディ商会による船頭ギルドの乗っ取りを調査しているんだ。乗っ取りに使われた資金源が、異常な量の霊晶を使った商品にあると見ている。商会の倉庫にいた精霊使いがこんな夜中に外出したのを発見し、霊晶を使い切ったことを察知したので追ってきた」

「成程。水だけでなく、人にまで被害を及ぼしているのか」

「そうだ。商会の連中と戦うかはともかく、僕達が一緒に追うのは利益が一致しそうだ」


 うむ、と同意する海妖精。


「私なら最短の道を案内できる。こっちだ」


 善は急げと海妖精が踵を返して走り出す。


「僕達も行こう」


 ロベルク達も海妖精の背を追って駆け出した。

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