第五十二話 『メニディ商会』

 店内に入ると、普通の商館とは異なり、入り口を潜ってすぐにだだっ広い倉庫のような部屋が待ち構えていた。三階層ほど吹き抜けになったような空間の上に天井があり、炬火やランプではない、魔導器による鋭い光が辺りを明るく照らしている。真昼のように明るい室内には、屋内であるにも関わらず、露店が軒を連ねていた。


「大きいな。店の種類が大きすぎて、何を中心に生産している商会なのかわからない」

「貿易だけを担っていて、自身は生産しないという形態なのかも知れないわね」


 ロベルクとセラーナが話し合っていると、それを聞きつけた店員が揉み手をしながら近づいてきた。


「いらっしゃいませ。当店はもともと魔導器を買いつけて販売する店だったんですよ」

「魔導器?」

「ええ。火を使わない灯り、食べ物を冷やし続ける箱……ファス・トリバーにおいて、魔導器は富裕層だけのものではありません。もちろん、まだまだ値が張るものではありますが」

「ほほう。金持ちの専有物を庶民に、か。コギョー氏と言ったか……店主は随分と志の高い人物のようだね」


 ジェンタイが褒めると、店員は驚きと喜色をない交ぜにしたような表情を浮かべた。


「我が商会の会頭をよくご存知で」

「大分手広く商いをしていると評判だよ。辣腕と聞いていたが身内への心配りもできる方なんだね」


 ジェンタイがさらに会頭を持ち上げてやると、店員は胸を張った。


「はい。コギョー様は私達の働く環境にも気を配って下さり、店にいらっしゃると末端の私達にも声を掛けて下さいます」


 店員はありがたそうに頭を下げた。


 もう少し手下をこき使っている様を予想していた三人は、少々肩すかしを食らったように顔を見合わせた。


 一方、店員は脈ありと見て、奥の棚から大量に並べられた水袋のうち一つを持って戻ってきた。


「皆様、旅の方とお見受けしますが、西への旅でしたら、お供に我がメニディ商会の新商品はいかがでしょうか?」

「水は……」

「まあお聞き下さい」


 ロベルクが言い淀んだが、店員は購入を迷ったと見たのか、話を続けた。


「この水袋、大きさこそ近場の旅行用ですが、袋の中に水の霊晶が仕込んでありまして、綺麗な水を椀に一つ入れると、どんどん水が湧き出してくるという魔導器なのです」

「霊晶、ね」


 ロベルクは何かが引っ掛かったように呟いた。


 一方でセラーナは興味津々で水袋を見つめている。


「それって、水が無尽蔵に湧きだしてくるの?」

「無尽蔵、というわけにはいきませんが、この袋で十杯分は出ると思っていただいて結構です。値段も、魔導器の割にはお買い得かと」


 セラーナはロベルクの方へ振り返った。


「どう、ロベルク? あなたが苦労しなくても、ある程度の水を確保できるらしいわよ」

「ううん……」


 ロベルクは唸ったが、やはり引っ掛かったような表情は変わらなかった。


「水は……僕がきちんと準備するから、これはやめておこう。保存食……四日分と蒸留酒、それと松明を買いたい」

「畏まりました」


 売り出し中の水袋は売れなかったが、ある程度の品物が捌けたことで、店員はいそいそと店の奥へと消えた。


 見送ったロベルクとセラーナは周囲に聞こえぬように囁いた。


「……いい人そうだな」

「ええ。少なくとも身内の面倒はよく見ているようね」


 ジェンタイは店内の様子を観察していたが、ふむ、と一つ呟くと、露店の一つへと足を運んでいった。店番の老婆に爽やかな微笑みを向けるジェンタイ。何事か会話し、戻った彼の手には、串に刺さった黄色い果実があった。


「竜鱗果でも食べて待っていよう。今日の所はこの何でも屋を楽しもうじゃないか」


 ロベルクとセラーナは、ジェンタイから串を受け取ると果実の切り身を頬張る。三人は甘酸っぱい果汁を楽しみながら、店員が品物を用意するのを待った。


 ロベルクが竜鱗果を食べ終わる頃には注文した品物が用意された。ロベルクとセラーナは品物の確認をし、支払いを済ませる。特段高額というわけでもなければ、品質が悪いわけでもなく、普通の商品達だと言えた。寧ろ品揃えが多く、旅の準備が一軒で済む便利さが印象に残った。


 再び膨らんだ背負い袋を担いだロベルクとセラーナ、それに並んだジェンタイは、メニディ商会の様子を窺うつもりが広大な店内を十分に堪能して店を出た。


 セラーナは日差しを眩しそうに見上げて背伸びをする。


「面白かったわ。商会が作らないものは、別な店に場所を貸して売らせるっていう仕組みね」

「ああ、買う方としては、用事を一軒で済ませることができて、便利だね。もしかしたら、多少割高なのかも知れないけど」


 答えるロベルク。怪しげな商会の調査をするはずが、品揃えや価格も普通で、寧ろ買い物の用事が全て済んでしまい、実に好印象だった。


 街路は相変わらず喧噪にまみれていた。そして相変わらず刺々しい。


「うーん、もうちょっとおおらかな街だったと思うんだが」


 ジェンタイが首を捻る。


「確かに、ゆったりと流れる運河の雰囲気に合わな……ん?」


 不意に、あらぬ方向を見るロベルク。視線の先は往来のない寂れた裏道だ。


「どうしたの、ロベルク?」


 満足感を納めて険しい表情になるセラーナ。ロベルクが目を向けた小道がただの裏道だったら何も感じなかっただろう。だがそれは、ついさっきリンノと別れ、船着き場から大通りに出る為に使った道だった。


「いや、さっきの船着き場の方で騒ぎ声が……」


 暫く耳をそばだてていたロベルク。その耳先が跳ね上がる。


「リンノの声だ!」


 それを合図に駆け出す三人。

 裏路地は見通しが悪く、リンノの姿を確認することはできなかったが、走るロベルクの耳には暴徒がリンノに詰め寄って脅迫する声が届いていた。





 果たして、リンノはまだ船着き場にいた。

 彼女は、屈強そうだが渡し守らしい洗練さに欠ける一党に囲まれていた。仁王立ちになり、自分のゴンドラを庇うリンノ。


 暴漢は今日も八人。皆、黒白の縞模様に染められた渡し守の衣を着ている。だが、昨日とは違って強い殺気を放っている。どうやら渡し守の服は仮装で、本業は荒事か、もしくは戦闘を専門とする類の者を集めた一団のようだ。


「この餓鬼、誰に断って舟漕いでるんだ!」

「あんたに許可を得る謂われはないわ。私はギルド公認の見習いよ。そっちこそ、勝手に徒党を組んでギルド員の舟に嫌がらせなんかして、船頭の矜持はないわけ?」


 リンノは震え上がるかと思いきや、背筋を伸ばして睨み返し、一歩も引かない。昨日より危険な相手になっていることに気づけなかったお陰で、気を強く持てているとも言えた。

 男達の血が一気に沸騰するのが見て取れた。


「糞餓鬼がぁっ! トーゾーの娘だろうと、もうコギョーさんに逆らったら運河で仕事はできねえんだよ!」

「お、おい!」

「⁉」


 別な男が止める間もなく、考えなしにコギョーの名前を出して脅してしまった暴漢。


「へえ、やっぱりコギョーが裏で悪さをしてたんだ?」

「馬鹿が……」


 男達は最初に話しかけた者に冷たい視線を投げかける。しかし一瞬で気を取り直して一斉に新月刀を抜いた。

 最初の男が自棄になって新月刀を振り上げる。


「ど、どうせ殺すつもりだったんだ。死んでから港に沈められた方が苦しまずに済むだろうよ!」


 強気だったリンノも流石に櫂を握りしめ、顔を庇う。


「親父も後を追わせてやるから、安心して死ね!」


 男は新月刀を力任せに振り下ろす。


「ひゃっ」


 リンノは短い悲鳴と共に瞼をぎゅっと閉じる。

 斬撃は狙い過たず、リンノの左鎖骨辺りを目掛けて袈裟懸けに……する筈が、砂を叩くような音を響かせつつ直前で受け止められる。

 見れば、櫂より二回りほど太い氷柱がリンノの前にそそり立ち、新月刀を遮断していた。


「何だ⁉」

「何、これ?」


 双方が呆然としているところに、足音が響く。


「どうやら間に合ったようね」

「うまいぞ。最も危険な瞬間に助けに入ることができた」

「そんなものは狙ってない」


 リンノが薄目を開けると、そこには建物の間から船着き場に駆け込むロベルク達の姿があった。


「何だ、お前等は!」

「そちらの女性に一晩の宿を提供してもらった恩のある者だ」


 暴徒は凄むが、戦場を潜ってきたばかりのロベルクにそんな生半可な脅しは通用しなかった。自分の威圧が通じなかった男達は、焦りの色を滲ませる。


「そ、そんなことはどうでもいい! 聞いたからには死んでもらう!」


 殺気の先がリンノからロベルク達へと変わる。


「死ん、で……?」


 身構えるロベルクの様子がおかしい。リンノと自分に向けられた剣先を見比べているうちに彼の呼吸が徐々に浅くなっていく。その翠玉色の眼は据わり、リンノを通して別なものを見ているようだった。


「お前等が……」


 極地に染みついたような重く淀んだ空気を音にして吐き出すロベルク。

 虚空に現れた氷の王シャルレグを見て、セラーナがロベルクの腕を掴んだ。


「駄目。殺さないで!」


 叫んだのはリンノだった。


「はっ、何を言っている! 話を聞かれた以上、こいつらも道連れだ!」


 男達が失笑する。

 だが、先日ロベルクが放った冷気ある悪寒を体感したリンノは笑うどころの事態ではなかった。


「ロベルク、この人たちを殺さないで!」


 凶徒達はいよいよ爆笑した。


「お前、立場がわかってるのかよ?」

「殺すの、こっちだから!」

「ははは……は……」


 だが、腹を抱えていた一人の男の口角が引き攣る。


「お……おい、これ……」


 異変に気づいた別な男の顔から、みるみる血の気が引いていく。彼らは弱者をいたぶるのに夢中で気づいていなかった。自分達の周囲が徐々に色を失い、無数の氷の柱がまるで大蛇のようにのたうちながら鎌首を擡げていたことに。


「殺す、ということは無論死ぬ覚悟はできているな?」


 ロベルクの口から漏れる一字一句が、凶徒達の身を芯から震え上がらせた。


「や、やめ……」

「俺はただ、雇われただけで……」


 男達は、剣先まで震わせて身動きが取れずにいた。


「リンノ、こっちだ」


 機を見ていたジェンタイの呼びかけに、囲みをすり抜けるリンノ。


「あなた達も、とっとどこかへ行ったらどう?」

「ひっ」


 セラーナの刺すような声に緊張の糸を切られたのか、暴漢達は手で空中を掻くようにして必死で逃げ散った。


「……ロベルク、もう大丈夫よ」


 セラーナがロベルクの腕を揺する。


「……すまない。昔のことが急に頭をよぎって……」


 ロベルクは我に返ると、セラーナの手に自分の掌を重ねた。

 安心したセラーナは、ようやくロベルクの袖から手を離す。


「とにかく、リンノを家まで送り届けよう。後戻りだけど恩人の安全には変えられない」


 ロベルクの提案を否定する者は誰もいなかった。


「はあ……」


 凶徒に捕らわれていたときでさえ活力を失っていなかったリンノの口から、力ない溜息が漏れる。


「リンノ?」


 ジェンタイが肩を抱く中で、リンノは努めて笑みの表情を作った。


「私はただ、お父さんと静かに暮らせれば、それでよかったんだけどな……」


 その言葉に、ロベルク達の表情は沈んだ。

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