第五十三話 『金の出所』
再びトーゾーの屋敷に逆戻りとなった。
応接間に言葉もなく集う五人。机には貴重な水が用意されていたが、誰も口を付ける者はいなかった。
トーゾーは一年分の苦虫を一気に噛み潰したように皺を眉間に寄せている。
さすがのリンノも萎れてソファに沈み込んでいた。
「……無事でよかった、と言うべきでしょうか」
ロベルクが重い口を開く。
「重ね重ね、迷惑を掛けてしまった。申し訳ない」
トーゾーが深く頭を下げる。
「トーゾーさん」
ジェンタイが続けて声を上げた。
「昨日、半年前に船頭ギルドの分裂が始まったと言っていたけど、今までのギルドに所属しているのって、トーゾーさんとリンノしかいないんじゃないのかい?」
「そ……そこまでではありません」
慌てて否定するトーゾー。
「ただ、『新しいギルド』に入っていないと嫌がらせを受けるもので……殆ど地下組織のような状態になっています」
「お父さんが矢面に立って頑張っていて、他の人たちには安全の為に仕事を辞めたように振る舞ってもらっているの」
ソファに身を沈めていたリンノが力なく説明した。
「ということは、今までのギルド構成員は殆どいない、と言っても差し支えないのでは?」
「残念ながら、な……」
ロベルクの確認に、唸るトーゾー。
「『新しいギルド』が台頭してからは、今までのギルドの構成員は色々な嫌がらせを受けてきた。客の横取り、ゴンドラの破損、船着き場の使用妨害……ありとあらゆることをな」
「確かに、そういうことをされ続ければ、戦うよりも生活を取りたくなる気持ちもわかるわ」
セラーナは膝の上で指を組み合わせて呟いた。
「しかし、そんな無法な集団に目を付けられて、よくトーゾーさんは無事でしたね」
ロベルクの至極もっともな疑問に、びくりと肩を振るわせるトーゾー。
「それは……」
「お父さんは先代の領主様の専属船頭だったからだと思う」
「リンノ!」
トーゾーが慌てて止めるが、リンノは意にも介さない。
「お父さん、もういいでしょ。迷惑掛けたのに、隠し事はしない方がいいわ」
「うむぅ……」
娘に言い負かされるトーゾー。
「お父さんは先代の領主様の専属船頭だったから、城の偉い人たちにも顔が利く。だから悪い人も手が出せないのかも」
「ただのギルド役員ではなく、権威と信頼のある船頭さんだった、と」
セラーナが褒めると、トーゾーも少し態度を軟化させた。
「何が娘を守ってくれるかわからないものだな」
トーゾーがふっと笑う。
「娘を守る為に……そろそろ考えた方がいいのかもしれん」
「駄目よ、お父さん! 今まで頑張ってきたのに」
「だがなあ……」
「まあまあ」
ジェンタイが口を挟む。
「トーゾーさん、それはもう少しだけ待ってもらえないか?」
「え? は、はあ……」
ジェンタイの提案に生返事をするトーゾー。
「もしかしたら、尽力が報われることだってあるかも知れない」
「そう、ですか……そうだといいのですが」
悩むトーゾーの姿は酷く老けて見えた。
「……長居してしまいました」
「さっき大暴れした僕たちは眼を付けられている可能性があるから、そろそろお暇した方がいい」
「そうね」
「名残惜しいがね」
ロベルクに続き、セラーナとジェンタイもいそいそと立ち上がる。ジェンタイはリンノに流し目をするのを忘れなかったが。
玄関を出る頃には、トーゾーとリンノもいつもの調子を取り戻していた。
「では、失礼します。無理しないで過ごしてください」
「ロベルク、何度もありがとう。これに懲りず、また訪れてくれ。もしかしたらいい街に戻っているかも知れん」
「そうさせてもらいます。トーゾーさんも背負い込みすぎないように」
屋敷の外は既に日が傾き始め、空は徐々に黄色味を帯び始めていた。
トーゾー父子と別れた一行は、ジェンタイの誘いで食堂に入った。
中は夕食前とあって客の姿はなく、がらんとしていた。
「失礼」
茶と茶菓子を注文すると、ジェンタイが中座する。
残されたロベルクとセラーナは、先に茶菓子を摘みながら待つことにした。
「メニディ商会っていうのは大きいだけに、表の顔と裏の顔があるみたいね」
セラーナが店員を意識して声を潜める。
「そうだね。金の力でどんどんギルドを取りこんでいったようだけど、その金の出所は広く売り出している魔導器……それも貴重品である筈の霊晶を水袋に仕込んで投げ売りできるような数だ」
「ところで、霊晶ってどうやって作るの?」
セラーナの何気ない質問に、ロベルクは眉根を寄せた。
「簡単に言うと、精霊の力を生命界で大量に引き出すと、力が結晶化されて霊晶になるんだ。それともう一つ……精霊を破壊すると霊晶になる」
「そんな⁉」
息を飲むセラーナにロベルクは同意の頷きを返した。
「僕は、水筒の霊晶は後者の方法によって作られているのではないかと危ぶんでいる」
「それじゃあ、精霊の気持ち……っていうか、意思みたいなものは?」
「街でそんな作業をやっていたら、精霊は寄りつかなくなるだろうね。だけど、水の汚染を考えると、話が繋がる気がするんだ」
「…………」
席に沈黙がやってきたとき、ジェンタイもやってきた。退席前の軽薄な風貌はなりを潜め、野宿で一瞬見せた真面目な様子で椅子に座った。
「ロベルク、セラーナ。君たちを相当の使い手と見て頼みがある」
セラーナが周囲を伺う。こちらを意識している者はいない。
次いでロベルクが席の周囲に風の結界を張り、音を遮断した。
「音は漏れない。話を聞こう」
ロベルクが促すと、ジェンタイはいつになく真剣な声色で話し始めた。
「知り合いの話で、メニディ商会が船頭ギルドを買収する為の金は、大量の霊晶を入手する経路がある為だとわかった」
「霊晶⁉」
「霊晶ができる過程を考えると、裏で惨たらしいことをしている可能性がある。水の霊晶があれだけたくさんあることを考えると、街の水汚染はメニディ商会が霊晶を過剰に採取しているのが原因なのは明らかだ」
「そして、それに呼応するように井戸水が有料になったってことは……」
「領主がメニディ商会の荒稼ぎを黙認しつつ、自分も領民から金を巻き上げている、ということだ」
ロベルクが唸る。同時に霊剣から一同の足元に冷たい空気が流れた。
「……で、僕たちに頼みとは?」
ロベルクがジェンタイを見ると、彼は真面目な顔でロベルクに正対した。
「ロベルクの精霊使いとしての力、そしてセラーナ嬢の体術と軽業の技術を俺に貸してほしい」
「それは構わない。数日くらいだったら……」
ロベルクが言い淀む。
半分とは言え森妖精の血が流れているロベルクにとって、精霊の乱れは世界の乱れに繋がるという考えがある。だが、今の彼にとってそれよりもセラーナの故郷を奪還することが優先していた。
するとジェンタイは立ち上がって机上に両手を突くと、深々と頭を下げた。
「君たちが旅を急いでいるのはわかる。だが、そこを曲げて頼む。三日でいい……報酬は一人当たり一日五百出す」
「やるわ」
金額を聞いてセラーナが即答した。
「せ、セラーナ⁉」
ロベルクの反論に片目を閉じて黙らせるとセラーナはジェンタイに着席を促した。
「三日も騒動に巻き込まれ続けたし、もうちょっと成り行きを見届けてもいいんじゃないかな、って。それにリンノとトーゾーさんのことも気になるし」
「恩に着る」
ジェンタイは再度頭を下げた。
彼が頭を上げるのを見計らって、ロベルクが依頼内容について説明を求めた。
「簡単に言うと、メニディ商会の倉庫で何が行われているかの調査と、霊晶の出所を探ることだ。危険であれば戦闘しても構わない。万一の時は俺が責任を持つ」
「君は本当に何者だ?」
ロベルクの問いに、ジェンタイの顔におどけた表情が戻った。
「俺は騎士家のお節介な三男坊。それ以上でも以下でもない」
こっちだ、と彼に案内されるがままについていくと、壮麗な建物の前に連れていかれた。縁に磨かれた金属があしらわれた両開きの扉を守るように、飾り紐がたくさん付いた衣を着た女性の扉係が立っている。
「これはまさか……宿?」
扉と扉係を見ただけで、一介の旅人は近づくのも憚られる高級宿であることがわかる。ロベルクは声が声が若干上擦るのを感じた。
一方、セラーナはうきうきした様子で建物を見上げていた。王女である彼女は、宿の格式も理解した上で、ここのもてなしを想像して胸を躍らせているのだ。
「例の倉庫まで橋や渡し舟なしで行ける宿がここしかなかった。ちょっと奮発してしまったが気にするな」
「あ、ああ。粗相のないように気をつける」
ロベルクの返事に満足げに頷いたジェンタイは、入口に近づく。すると扉掛かりは彼らの歩みを止めぬよう扉を開いた。
巨大な吹き抜けにシャンデリアが吊り下げられたロビーを通り抜ける三人。そのまま正面のカウンターへ進み、ジェンタイが受付係に話し掛けた。
「シージィ帝国従騎士、ジェンタイ・マーだ。予約が入っていると思うが」
「お待ちしておりました、マー様。お連れ様は元ウインガルド王国従騎士のジュルフェ様とその奥方様でいらっしゃいますね。当館をご利用頂き、ありがとうございます」
「まあ、素敵な宿ね。あ・な・た?」
「え⁉ あ、ああ」
セラーナはジェンタイが偽名をでっち上げたことを素早く理解し、早速ロベルクをからかい始めた。
受付係はウインガルドの滅亡を知っているのか、ロベルクとセラーナに憐憫の籠もった視線を向けている。
そうこうしているうちに、ジェンタイは宿泊の手続きを済ませた。
「ごゆっくりどうぞ」
ジェンタイは鷹揚に頷くと、接客係に部屋への案内を指示する。
予約された部屋は二室あった。ジェンタイは一人部屋、ロベルクとセラーナは二人部屋だ。
「別に他意はないぞ。だが君達の部屋の方が広いから、打ち合わせはそっちでさせてくれ」
ジェンタイはそれだけ言うと、二人を置いて自分の客室へと入っていった。
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