第四十七話 『カンムーの水』
ハーピーが全て死んでいるのを確かめると、ジェンタイはどさくさに紛れて抱き寄せていたリンノの肩を解放する。
「怪我はない?」
「え、ええ。ありがとう!」
リンノはようやく発作のような緊張が治まったと見え、それでも夢見るように煉瓦色の瞳を輝かせてジェンタイを見上げていた。
その間、ロベルクは精霊を使役して泉の周りを囲む木々を伐採し、広場を一回りほど拡張した。切り倒した木をさらに短く切って積み上げると、そこにハーピーの死骸を投げ込んで着火する。
その様子を当たり前のように見守るセラーナとは対照的に、ジェンタイは唖然として眺めていた。
「ますます驚いた。森妖精が平気で木を燃やすとは」
「正確には半森妖精だけどね。だけど、森への愛着が半分以下なのは確かかな」
ジェンタイが唸ったのを聞きつけたロベルクは、燃えさかるハーピーの死骸からジェンタイへと視線を移した。
「そう言うジェンタイも素早かったな」
「いや、紳士の嗜みだよ」
さらりと言ってのけるジェンタイ。だが、ただ戦闘訓練を受けただけのロベルクはもとより、一流の野伏――ほぼ盗賊とも言える――であるセラーナと同時に敵に対する反応を起こせるということは、ジェンタイもまた戦闘に対して一流であるということを物語っていた。
(そう言えば似たようなことを言っていた人がいたな)
ロベルクはふとセラーナに視線を送る。
その瞬間、当のセラーナはわざとらしく視線を逸らした。
「ところでリンノはどうしてわざわざ街の外へ?」
セラーナに問われたリンノは、水袋を下げた驢馬を指差した。
「あれの為、よ」
「あれとは、水袋?」
「うん。この泉は綺麗な水が湧いているからとても貴重なの」
「貴重……」
リンノの言葉にロベルクが眉を顰める。
「でも、カンムーって、水資源が豊富な筈じゃなかったっけ?」
「そう、なんだけど……」
言い淀むリンノ。
ジェンタイが説明を引き継いだ。
「カンムーに流れ込む川の水は飲むことができないんだ。山妖精以外が飲むと腹を下す。『土の精霊力が強い』と言われてきたが、詳しい者によると、目に見えない細かな土の霊晶が溶け込んでいる為、とのことだ」
「詳しいのね」
セラーナが感心した様子で腕組みをする。
ジェンタイはまんざらでもない表情を見せるとセラーナに流し目を遣うが、彼女がちらとも反応しないのを確認すると肩を竦め、話を戻した。
「まあね。だけど、腑に落ちない点もある。カンムーには、水資源の確保の為に何本も井戸が掘られていて、水には困らない筈だが」
彼の問いにリンノは答えにくそうに俯いた。
「井戸は今、領主様の管理下に置かれているの。常に兵士が詰めていて、お金を払わないと井戸水を汲むことはできないわ。何でも『貴重な飲み水を無駄遣いしない為』なんだって」
「領主……カンムー副伯ウモン・レンドー様か。金を取るほど逼迫しているとは思えないが」
ジェンタイが顎を撫でる。
「旅の聖職者が、随分詳しいな」
ロベルクが、関心半分訝り半分といった視線を向けるが、ジェンタイはそれを涼しげに受け流した。
「俺はシージィ騎士家の出なもんでね。とは言え、三男坊なんだけど」
「シージィ……ファス・トリバーの南の海に浮かんだ宗主国か。大陸暦以前から存在しているという帝国だとか」
ロベルクはレスティカーザで得た知識を脳の奥から探り出した。
セラーナがその知識を補完していく。
「ほぼ名目上のね。今じゃあ国力は圧倒的にファス・トリバーの方が上よ」
「じゃあ何故ファス・トリバーはシージィの支配を受けているんだ?」
「ファス・トリバーの前身は都市国家連合で、結束が強いとは言えなかったの。そこで、今は国名にもなっている都市国家ファス・トリバーは、シージィ皇帝の威光を利用して他の都市国家群を統一することを思いついた。ところが当時のシージィ皇帝も食えない男だったらしくて、他の都市国家にも『皇帝の庇護』という看板を売り込んでいった。それにみんなが食いついちゃって、結果が今の国家形態ってわけ」
彼女の説明に、ジェンタイは掌を額に当てて大袈裟に嘆く。
「セラーナ嬢は痛いところを突くなぁ」
「非礼があったら謝るわ」
「いや、事実だから仕方がないな……それよりも水のことだ」
ジェンタイはリンノの方へ振り返る。
「その量だと、一人で使って八日分……四人家族だとしたら二日分ってところだ。カンムーから往復二日の道のりをわざわざ危険を冒してここまで汲みに来るほど高いのかい?」
「……うちは二人暮らしなんだけど、今、ちょっとお父さんも私も稼げていないんで、一日の稼ぎから三分の一くらい水代に取られてしまうのよ。お父さんは私にあまり船頭の仕事をさせたくないらしくて、それなら私は無料の水を汲みに行って家計を助けようと思ったの」
ロベルクが眉を動かした。リンノの家庭環境がミゼーラに重なるところがあったからか、瞳には労りの色が浮かぶ。彼は、破落戸から助けた時に有耶無耶にしたことを、敢えて聞いてみることにした。
「稼げないとは……さっき言っていた『新しいギルド』ってやつに関係しているのか?」
「そう、ね」
「それは、俺も是非聞きたいな」
ジェンタイが割って入る。遊び人風の彼の目がいつの間にか真剣さを孕んでいた。だが、その真摯な光は一瞬で影を潜め、元の軽い表情に戻ってしまった。
「……ええ」
数瞬の沈黙の後、リンノは重くなってしまった口を開いた。
「カンムーの名物と言えば、アレイル神の水上神殿と、あと運河と渡し船だけど、昨年辺りからある商会に船頭ギルドが乗っ取られていったの」
「ギルドを商会が乗っ取る? 可能なのか?」
ギルドに疎いロベルクが、自身が所属していた土木建築ギルドを思い出してセラーナに尋ねる。
「普通、ギルドっていうのは他の権威から独立した領主直轄の集団としての矜持を持っているから、商人が乗っ取るといった真似をすることは難しいと思うわ。ただし、やりようはいくらでもある。例えば多額の経済支援をして、事実上の買収をするとか……」
「もしくは、領主が商会と組んで悪巧みをしている場合、だね」
ジェンタイがセラーナの予測に付け足す。
セラーナが頷いた。
「で、その商会の名を教えてくれないか?」
ジェンタイが促すと、リンノは周囲を警戒してか、声を潜めた。
「商会の名はメニディ商会。代表の名はコギョー」
「メニディ商会のコギョー、ね」
ジェンタイが首を捻る。
「知っているのか?」
「いや。新興の商会かな……?」
ジェンタイは暫し頭の中を探っているようだったが、ふと頭上の空が黄色み掛かってきたことに気づいた。
「ところで……今日の野宿はここにしないか? ここは水場もあるし、俺は君達を、不寝番を任せられる程度には信頼できると踏んだ!」
彼は懐の広い紳士の顔を作って一同を見回した。
「あたしは、あなたがいまいち信用できないんだけど」
セラーナが、ジェンタイの紳士的な仮面の端から僅かに下心を滲ませているのを目敏く発見し、露骨に嫌そうな顔をする。
ジェンタイはそんな視線を全く意に介さず、言葉を返した。
「万一の時は、その半妖精の少年に守ってもらえばいいじゃないか。なあ、ロベルク?」
「僕⁉」
「ジェンタイ、私は……構わないわ」
「おお、リンノ。君の信頼を得られるなんて、天にも昇る気持ちだよ!」
「…………」
見事に籠絡されたリンノの様子に絶句するロベルクとセラーナ。
ジェンタイに押し切られる形で、出会ったばかりの四人で野営をすることに決まってしまった。
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