第四十六話 『力ある者は義務を負う』

「行こう」


 ロベルクとセラーナは音の出所へと走る。街道から僅かに逸れ、幹や灌木に隠れながら、声の発生源に忍び寄る。


 果たしてそこには清冽な泉が湧いており、それを背に立つ一人の少女が荒くれ者風の五人の男女に囲まれていた。


「あんたは自分の立場が……」

「あなた達こそ……」

「お父上のやりかたは……」


 泉と小川の流れる音に紛れ、そのような言い争いが辛うじて聞き取れた。


「致し方ない!」


 焦れた荒くれ達が抜剣する。リグレフではあまり見かけない、反りの緩い新月刀だ。


(やれやれ、人間同士で殺し合ってちゃ世話ないな)

(ああいう輩は、力がある者が狩っておくべきよ)


 二人は頷きを交わすと、茂みを飛び出した。


「何だ、お前等は⁉」


 振り返る暴徒。五つの剣先がロベルクとセラーナへと向けられる。


「僕達は泉の水に用があっただけなんだけどね」

「一対五の荒事を見てしまった以上、とりあえずあんた達を潰してから、そこのお嬢さんに話を聞こうかと思ったのよ」


 武器も構えず自然体で立ち、内容はともかく穏やかな口調で話しかけたロベルクとセラーナ。

 だが、ロベルクが放つ、木々を吹き抜ける涼風とは異なる刺すような冷気と、隙のないセラーナの様相を察知した相手は目に見えて動揺し、思わず一歩後ずさる。


「ひ……引け!」


 破落戸風の五人は、一合も刃を交えず逃げ散る。

 足音が完全に聞こえなくなったのを確認した上で、ロベルクとセラーナは少女へと近づいた。


「大丈夫か?」


 冷気が収まったのを注意深く確認した上で、ロベルクが話しかける。


「ありがとう」


 深々と頭を下げる少女。肩まで伸びた臙脂色の髪が行儀良く下がる。年齢はセラーナと同じかやや年下といった所か。頭を上げると、今度は屈託のない笑みを見せる。背はセラーナより若干高い。幼さの残る顔は健康的に日焼けしていて、彼女の愛らしさを強調していた。煉瓦色の瞳を納めるやや吊り上がった黒眼がちの眼は、二人を興味深そうに見回していた。身に纏った前合わせの服はファス・トリバー風の物だ。黒白の横縞模様が活発そうな雰囲気に似合っている。


「私、リンノっていうの。この先の……カンムーで船頭見習いをしてる」

「僕はロベルク。旅の者だ。で、こっちが……」

「セラーナよ」


 本名を明かすべきか言い淀んだロベルクに、セラーナはさらりと名乗る。


「ロベルクとセラーナね。本当にありがとう」


 リンノと名乗った少女は、再度頭を下げた。よく見ると、彼女は旅をするような格好はしていない。近くの木に驢馬が結んであり、その辺で一泊する程度の荷物が載っている。それよりも目立っているのは、驢馬の背から左右に下げられた大きな水袋だ。


「さっきの連中は?」


 ロベルクが尋ねると、リンノは首を傾げながら答えた。


「新しい船頭ギルド……の手先だと思う」

「新しい、ね」

「旅の人にこんなことを言うのも憚られるけど、色々あるのよ」

「仕事の数だけ問題は起きる、ってことよね」


 セラーナがうんうん頷く。そして、表情を変えぬまま懐から短剣を引き抜いた。


「それと、驢馬の上の枝に居る奴、射落としていいかしら?」

「え?」


 セラーナが視線だけで指し示した先にロベルクとリンノが注視する。

 すると、急に枝葉ががさがさと音を立て始めた。


「おっと、そいつは勘弁だ」


 葉の生い茂った枝が一際揺れると男が降ってきた。彼は一回転すると驢馬の隣に着地する。


「追いはぎの、追いはぎ?」

「違う違う」


 男は両手をヒラヒラと振って、害意が無いことを主張した。


「その子が怪しい連中に襲われていたから、頃合いを見計らって格好良く登場して、悪漢を退治ようかと思っていただけだ。君達が追い払ってしまったから計画が頓挫したがね」

「怪しいけど、敵ではなさそう……か?」

「どこが怪しいって言うんだい?」


 男が斜めにポーズを取り、白い歯を煌めかせて笑いかける。目尻の下がった褐色の瞳は女心を射る為に研ぎ澄まされた甘やかな眼光を放っている。茶色い髪は品よく撫でつけられており、育ちの良さそうな雰囲気を醸し出している。その姿は、柔らかく包み込むような声も相俟って、完璧な美男子を演出していた。が、ロベルクより若干大柄な体躯は、実戦を通じて引き締められた気迫を隠し切れてはいなかった。


「俺はジェンタイ。旅の聖職者で、全ての女性の味方だ」


 ジェンタイはセラーナに対して七三の角度を取り、白い歯をますます輝かせて微笑む。


「……あたし、こういうの無理」


 セラーナが口の中で呟いた声がロベルクの耳に入り、ロベルクは思わず吹き出す。


「失礼な男だな」


 僅かに気分を害するジェンタイ。だが、それは一瞬で霧散し、直後にはセラーナに向き直った。


「ところで、君、セラーナって言ったね。聞いたことのある名だ」

「ただのセラーナ。どこにでもある名よ」

「どこかで会ったことがなかったかな?」


 にじり寄ろうとするジェンタイに対し、正確に小剣の間合いを取るセラーナ。


「……知らないわ」

「面影と香りに覚えがあったんだが……十年以上前の記憶だからな。まあいい、俺もカンムーに用事があるんで、宜しく頼むよセラーナ……ついでにロベルクも」


 脈なしと判断したのか、ジェンタイは挨拶もそこそこに、今度はリンノの元へ向かう。


「初めまして、リンノ。綺麗な赤毛だね……今度、君を賛美する詩を捧げさせてくれ」


 ジェンタイは、リンノに必殺の微笑みを投げかける。


 呆れて絶句するロベルクとセラーナをよそに、リンノは耳の先まで真っ赤にして体中の筋肉を強張らせた。


「は……はわぁ!」


 関節が錆びついたかのようにぎこちないお辞儀をするリンノ。

 ジェンタイは相手が緊張しているのをいいことに、距離を詰めていく。


「せっかく出会ったことだし、カンムーまでご一緒してもいいかな?」

「も……勿論……」

「はあ……」


 いとも簡単に籠絡されるリンノを見て、長い溜息を吐くセラーナ。そして、徐に懐から投げ矢を取り出す。

「セラーナ、さすがにそれはやり過ぎじゃ……」


 物騒な行動に出たセラーナに、慌てるロベルク。しかし、その言葉を無視して、投げ矢はセラーナの手から放たれた――直上に。


「!」


 セラーナ以外の三人が同時に空中を見上げる。


 ほぼ同時に降る、耳障りな金切り声。

 そこには、翼を持った人間大の魔物が六体、空中で羽ばたいていた。人間の女性の姿をしているが、腕の代わりに禿鷹の翼が生えている。下半身も禿鷹のそれで、足先には短剣ほどもある鋭い鈎爪が伸びている。羽毛は汚れていて、だいぶ離れているにも関わらず排泄物のような悪臭が鼻を刺してきた。


「ハーピーか!」


 ロベルクが叫ぶと同時に、彼の背後に半透明の白いドラゴンが姿を現す。彼が使役する精霊、氷の王シャルレグだ。


 ハーピーは空中を旋回しながら、不機嫌そうな叫びを撒き散らしていた。その内一体は太股にあたる部分から血を流して姿勢を崩している。奇襲に失敗したことに腹を立てている様子だ。だが、自分達の方が数が多い為か、再度襲いかかろうと身構えている。


 リンノ以外の三人が同時に反応する。

 まず、セラーナが新たに投げた投げ矢が一体の羽を貫く。手負いが二体になったところで、ロベルクが丸太のような氷の銛を打ち出した。銛は空中で爆散すると、無数の礫となってハーピー達を打ち据えた。


 ボロ布のようになって墜落する五体のハーピー。


 その間にジェンタイはリンノへ駆け寄ると、彼女を木の陰へと避難させた。


「一体逃した……シャルレグ!」


 ロベルクが新たな銛を作り出す。今度は先ほどより細く鋭い姿だ。


「木が邪魔だが……貫け!」


 その指示で銛が撃ち出される。銛は風を切りながら枝葉を砕きつつ上昇し、最後に残ったハーピーの胸部に突き立った。


 六体目のハーピーは、そのまま銛の慣性で遠くへと跳ね飛ばされていった。


「……ふう」


 ロベルクは一息つくとシャルレグを精霊界へと帰す。そして徐に長剣を抜くと、墜落したまま藻掻いている五体のハーピーに剣先を突き立てていった。


 ジェンタイとリンノが、安全を確かめてから姿を現す。ジェンタイはロベルクの白金色の髪とやや尖った耳を見て感嘆した。


「驚いたな。森妖精なのに氷の精霊使いなのもだが、顔色も変えずに木々を傷つけるとは」

「呪われた森妖精なのさ」


 刀身で凍結したハーピーの血液を、泉に入らぬよう慎重に振り払うロベルク。染み一つない刃を確認すると、それを満足げに革拵えの鞘へと納めた。

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