第四十四話 『二人の未来』

 終戦後、リグレジーク城では戦の後の片付けや清めが行われ、侯爵が城内に入れたのは二日後であった。クラドゥⅡ世の暴政の間、陰気さを内包していた城下の民は、久しぶりに心から笑顔を見せて、沿道にてママドゥイユ候を迎えた。

 その日のうちに、ヴィナバード総主教ミーア・ウィナスによって、ママドゥイユ侯爵であったエクゾース・エルビルモネールが新リグレフ国王として承認され、エクゾースⅠ世となった。


 その後、エクゾースは大リグレフ王国を分割することを、ミーアと共同で宣言した。北方のノルディプル公爵の領地をノルディプル公国とし、自分と袂を分かったノルディプル公の独立を承認した。これは、旧王党派の受け皿が必要であった為である。


 散々ヴィナバードの将兵を苦しめたレスティカーザ伯は、将来を儚んで毒杯をあおり、自殺した。その為、ワルナス城主のセンディラット卿が配置換えをされ、新たにレスティカーザ副伯センディラットとなった。この時、センディラットはワルナス周辺の土地をラウシヴ神殿に寄進したい旨をエクゾースに申し入れ、快諾されている。


 そして新リグレフ王国は、都をママドゥイユとし、南はレスティカーザとトロミレー、北はリグレジーク周辺の旧国王直轄領を国土とした新体制で始まった。


 ヴィナバードは宗教国として独立することとなった。元々市民の発言力が強く、議会が発達していたヴィナバードは共和制を敷くことになり、北西のワルナス方面の国土を併せてヴィナバード共和国を名乗ることとなる。


 ママドゥイユ候と国王クラドゥⅡ世との戦いは終わり、半年の間国内に吹き荒れた妖精虐殺の嵐も収まった。国家の分裂という潮流だけが、今後ゆっくりと周辺諸国に波紋を広げていくことになる。





 春。


 ヴィナバード共和国の発足に合わせて、ロベルクは世話になったラウシヴ大神殿を後にすることを決めた。


 ミーア・ウィナス総主教の祝辞が行われている中、ロベルクは旅装に身を包み、大神殿の門を出た。市民は皆、独立の式典を見物している為、大神殿の門前広場は閑散としている。


 あの夏の日、意識も曖昧なまま辿り着いた、正門前の階段広場。


 今日は一人で旅立つ。

 大切なものを失った自分を支えてくれた人の為に、その人の大切なものを取り戻してくる。そのための力も決意も問題ない。だがロベルクは、何故か心の隅に僅かな引っかかりを感じていた。

 荷物のバランスが悪いせいか、と背負い方を確かめていると、背中から声を掛けられた。


「行くの?」


 セラーナだった。門柱に背中を預けている彼女は司祭衣を纏っておらず、石榴石を思わせる臙脂色の短衣を身につけていた。


「ああ。ここでやることは終わった……そう思うから」

「今回のことをきっかけに妖精の名誉は回復され、あなたもますます必要とされていくと思うの。ここで新国家の設立に力を貸さないの?」

「セラーナ……」


 ロベルクは喜色を浮かべた。


「そうだね、君の言う通りだ。僕もみんなに必要とされることは嬉しい。でも、この国は大丈夫だ。妖精たちも、またそれぞれが自由な方角を向き、未来へと歩き始めることができるだろう。だから……」


 ロベルクは一旦言葉を途切れさせる。息を大きく吸い、セラーナに大切な事を伝える為に、彼女の瞳をしっかり見つめた。


「僕はこれから、この力を君の為に使いたい。僕の事をいつも心配してくれて、いつも支えてくれた君の為に!」

「え?」


 セラーナは星空を溶かし込んだような漆黒の瞳を煌めかせて、ロベルクを見つめ返した。


「それって……?」

「僕は今から、ちょっとウインガルドへ行って国を取り返してくるから、少し待っていて欲しい!」

「え? ……ちょ……」


 セラーナは、自分の――透明感にちょっと自信のある――目が点になっているのを感じていた。


「少し、何?」


 セラーナが問い返した。


「地峡の街から順番に極地化して、進駐しているジオ兵を一人残らず凍結粉砕してくるから少し待っていて欲しい!」


 ロベルクは再度、自信満々に宣言した。


「少し、何?」


 セラーナがロベルクに鼻が触れるほど詰め寄り、下から睨んだ。視線に物理的圧迫を感じる。


「少し、待……って」


 言いかけたロベルクは、セラーナの不満げな表情の陰に隠された差し迫った雰囲気に気付き、言葉を詰まらせた。


「セ……セラーナ……?」

「あたしを守る約束をした人が、あたしの元から離れていくの?」


 セラーナは大げさに萎れた。瞼を伏せ、今にも泣き出しそうだ。それは明らかに演技だったが、ロベルクはようやくセラーナの心の内に気付くことができた。彼女がロベルクに求めている事は、自分が考えていた事とは違うのだ。


 気持ちを白紙の状態に戻し、セラーナが求めている事に応えるべく彼女に相対する。

 正面に立って直立不動になり、わざとらしく咳払いなどをしてみる。今、生まれて初めて感じる種類の緊張感が、ロベルクを襲っていた。


「ああ……セラーナ。神殿勤めの君にこんなことを言うのは申し訳ないんだけど……よかったら、僕と一緒に……旅、に……」

「不っ合~格!」


 ロベルクの一世一代の告白をあっさりと一蹴するセラーナ。


「分かりづらい! 間怠っこしい! 熱意を感じない! もっと、簡潔に!」


 セラーナは門柱の陰から自分の旅道具を引っ張り出すと、ロベルクに片目を瞑って見せた。


 それだけで十分だった。

 ロベルクはセラーナの決意が心に染み渡り、全身に最大級の喜びを溢れさせる。


「セラーナ……僕と行こう!」

「はい!」


 セラーナがロベルクの胸に飛び込む。

 ずっと一緒だ。

 この人を守り続け、旅をする。

 独りで去ることを決めた時に感じた、心に何かが引っかかったような違和感は払拭され、ロベルクの心は充足感に満たされていた。

 ここに――セラーナという存在に、自分の『生きる意味』がある。ロベルクはそう強く感じていた。





 一つになった影はそのまま振り返ることなく、静かに大神殿を後にする。





 春の木漏れ日は二人の旅立ちを見守るように、優しく降り注いでいた。

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