第四十三話 『風向きは変わり』
五日目、ママドゥイユ軍は、来るべきノルディプル公との戦に備えて、陣形を立て直した。
まず、戦の定石通り、多くの熟練の長弓兵を擁するコットー師団と、ロベルクが率いる妖精隊を編入した魔法使いの集団であるマイルキー師団が、前衛左右に移動した。敵の駆逐を意識して、重装歩兵の集団であるカイメンブルーメの師団が第二陣を努める。
待ち構えるママドゥイユ軍の戦意は十分だ。
対する王軍の方は、昼前頃から落ち着きの無い動きをし始めた。
ママドゥイユ軍が訝しんでいると、城の窓から弔意を表す紫の幕が下げられた。
軍旗が下ろされ、紫の弔旗が揚げられた。紫というのは、死の神ネレーダーを象徴する色である。しかしこれはフィルーリアンの遺志を継いで虐殺を決行するという意思表示ではない。弔いの場面では紫を用いるのが、この世界では一般的なのだ。そもそも葬儀を司るのはネレーダー神殿であり、その本質は決して邪神というわけではない。
ようやく市街地に駐屯する将兵に、国王の崩御が伝わったようである。
将兵がこちらに背を向け、整列して城に向かって敬礼する。
十柱の神の神殿から、鐘の音が響き渡った。ラウシヴ神殿は無人の筈なので、誰かが忍び込んで鳴らしたに違いない。
その後、雄叫びとラッパ、武具を打ち鳴らす音が聞こえてきた。恐らく、誰かの演説が行われて、戦意高揚が計られたのだろう。
「どう思われるか」
いよいよ最終決戦か、と息巻く侯爵。
「正念場でしょう。最大の戦意で迫ってくるものと思われます」
レイスリッドは、コットー師団とマイルキー師団をそれぞれ左右に広げて配し、鳥が翼を広げるような陣形を作った。中軍を狙ってくる敵に対して包囲殲滅を目論む陣形である。
魔法とクロスボウの射撃もそこそこに、弔旗を靡かせた騎士と歩兵が突撃を敢行してきた。国王の旗の下に戦っていた時とは比較にならない気迫が感じられる。
「中軍は支えようとせず、後退しつつ応戦せよ」
敵軍の突撃力は強力なもので、レイスリッドの指示がなくとも後退を余儀なくされた。だが同時に、コットーとマイルキーによる包囲網の中に飛び込んでしまったとも言える。
「魔法と弓矢で、左右から挟撃せよ」
王軍の左右から、魔法と矢が、雨のように降り注ぎ、王軍の兵士たちは次々に倒れていった。しかし、敵の勢いが止まることはなく、いやむしろ狂行とでもとでも言うべき勢いで包囲網の中央へと飛び込んでくる。中軍に位置するカイメンブルーメ師団の大盾の壁が、徐々に食い破られようとしていた。事前に後退の指示をされていたとは言え、その速さを上回る侵攻を許してしまっていた。
――間もなく、ノルディプル公の軍が到着する。
将兵は皆、敵の意図を察していた。敵はノルディプル公の軍の到着を心の支えとして、死を顧みない突撃を繰り広げているのだ。しかし、ママドゥイユ軍としても、ここで瓦解してしまっては、今まで戦ってきた意味、この数日で冥界に旅立った戦友たちの命が無駄になってしまう。
「持ちこたえろ。乱戦になっては、魔法と弓矢の援護が受けられないぞ!」
ロベルクもレイスリッドも、ここ数日の魔法の連発で、疲労が完全には回復してはいなかった。しかし、ここが正念場と集中を高め、精霊の召喚を始める。
ロベルクは、幾重もの氷の壁をうち立て、敵軍の力を削ごうとするが、飛び越える兵、長槍や騎兵槍で突撃して打ち砕く兵、極めつけは衝突死の危険も顧みず馬ごと体当たりする兵もあり、その様子は鬼気迫るものがあった。
レイスリッドが、召喚した精霊に、逆風を吹かせるか稲妻を浴びせるか迷っているところへ、斥候の兵が駆け込んできた。
「ノルディプル公爵軍、退却していきます!」
同時に、怒濤のような王軍の突撃力に陰りが見え始めた。
敵軍全体を覆っていた気迫が、水でも浴びせられたかのように消え去ったのが感じられる。
あれほど前方しか見えていなかったリグレジーク軍が、馬首を巡らせて退却し始めた。
「……同じ伝令が、敵軍にも行ったのだろう」
レイスリッドは戦局に若干の光明を感じながら、独りごちる。
同刻、右翼にて妖精たちの指揮を執っていたロベルクは敵の慌ただしい退却を認めると、兵たちに攻撃を緩めさせた。そして敵が退却しやすいように、また自暴自棄に陥らないように退路を広げる。
「深追いする必要はない。元々、一時の熱狂に過ぎない突撃だ」
敵兵達は、ロベルク隊が意図的に開いた退路を我先にと退却していった。
全軍について献策する立場のレイスリッドも、攻撃の手を緩めさせた。全軍の総意として、喪章を付けた軍を追い打ちする気はなく、敵の退却するのに任せて追撃は行わなかった。
王軍は波が引くように退却し、城下の本陣に籠もってしまった。
「軍師殿、何が起こったと思う?」
侯爵はレイスリッドに問うた。
「何らかの原因によって、ノルディプル公の軍が退却せねばならなくなった、ということです。例えば、本拠で何かあったか、もしくは、戦を続けていくことができなくなる何らかの事故が起こったか……」
レイスリッドが内心で首を捻っている間に、侯爵に目通りを願う集団があるという報告が入った。聞けば、自分たちがノルディプル公の軍を退却に追い込んだという。
「会おう」
侯爵は答えた。
そこ現れたのは、髭を蓄えた、隆々たる筋骨の男が率いる一団だ。一見山賊風の容貌であるが、身に纏う鎧は、皆高価な板金鎧であり、長剣を佩き盾を背負っている。
レイスリッドは首領の男に見覚えがあった。右翼に伝令を出し、ロベルクを呼ぶ。
呼ばれたロベルクは首領の顔を見るなり、旧知に会ったような笑顔を浮かべた。
「ダストン男爵ではありませんか」
首領は顔を上げた。顔中が髭に覆われ薄汚れているが、確かに男はワルナス南部でヴィナバード聖騎士団と剣を交えた、ダストン男爵であった。
「元・男爵だ。お主は、あの時の森妖精か?」
「お懐かしい」
ロベルクはダストンの手を握った。
「ダストン殿。なぜ、こんな所に」
「私もただ山賊の真似事をしていたわけではない」
ダストンはこの半年、爵位をかなぐり捨てて野に下り、ママドゥイユとリグレジークの動向を見守っていた。そして、戦が起こるに及んで、正義がママドゥイユにあると見極めたダストンは、己の手勢を率いて、ノルディプル公爵軍の後方でだらだらと進軍していた輜重隊を襲撃したのだ。その結果、戦の資源を奪われたノルディプル公は、退却を余儀なくされたということだ。
この思いがけない助力者は、ママドゥイユ候をいたく上機嫌にさせた。それ以上に、以前ダストンを圧倒的な力で蹂躙したレイスリッドが喜んだ。
「俺と轡を並べるに相応しい将になって戻ってくれたようだな」
レイスリッドはダストンの肩に手を掛けて、侯爵の前へ連れ出した。
「侯爵様、是非このダストンをお召し抱えください。きっと侯爵様のお力になることと思います」
「よろしい」
侯爵は満足げに微笑んだ。だが、ダストンは頭を振った。
「ありがたいお言葉ではありますが、我々は後ろに控えます者どもと一丸になって今まで生きて参りました故、私だけ褒賞を頂くわけにはいきません」
侯爵は、もちろんだ、と言って、ダストン一派全員の登用を約束した。
その夕刻、リグレジーク軍から降伏を申し入れる使者がやってきた。
侯爵は、全員の武装を没収しただけで、全ての将兵を解放した。
こうして、リグレフ王国の全妖精を恐怖に陥れたクラドゥⅡ世と、全種族の自由を求めたママドゥイユ侯爵との戦いは幕を閉じた。それは、己の欲望の為に、妖精を始めとした多くの魂を刈り取った死の御使いフィルーリアンと、『命ある者』の生きる意思を体現したロベルクとの戦いが、ようやく終幕を迎えた瞬間でもあった。
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