第六章  自由への狼煙

第三十二話 『侯爵の決意』

 東エトラルカ大陸は、大きく四つの巨大国家によって治められていた。北のエフィンク、西のヴィンドリア、南のファス・トリバー、そして東のリグレフである。

 エフィンクは、様々な遊牧民と土着の豪族がまとまって国家と成り、ヴィンドリアは複数の部族が統治を行っている。ファス・トリバーは海を隔てたシージィ帝国の間接支配を受け、何とか安定した国家の体を成している。

 そしてリグレフは、王権とラウシヴ大神殿との二大権力が、つかず離れず、互いを尊重する絶妙な均衡を保つことで統治を行ってきた。


 いつ、どこから、この巨大な集合体に綻びが起きてもおかしくはない状態ではあった。しかし、最も安定していると思われていたリグレフで、国王と総主教を乗せた天秤が大きく揺れ始めるとは、誰も予想だにしなかった。





 ロベルク達がママドゥイユに帰還したのは、年が明けて早々の、空気が冷たく澄んだ快晴の日であった。街は祝賀の雰囲気が抜けきっておらず、一行はアレフーヴ・ミッチ府主教の死去に関する哀悼の念を一旦胸の内にしまい込むと、晴れやかな気分で城門をくぐった。


「リグレジーク駐留武官にして侯爵令嬢、モエ・エルビルモネール様、ヴィナバード特使ロベルク様、及び使節団の皆様、ご入来!」


 兵の高らかな声に、侯爵を始めとした一同が扉に注目する。


 暫くして、モエを先頭に、救出の功労者たちが、旅装も解かず謁見室に入室した。


 ロベルク達が驚いたのは、出発時とは打って変わって多くの人で賑わっている謁見室の様子だ。ママドゥイユ候エクゾースと、その長子ベリエーロ、家宰レグナー、『ママドゥイユの六芒星』のハイヨール卿、コットー卿、マイルキー卿、ローツィヒ卿など、錚々たる人々と多くの貴族、騎士が一行を――正確にはモエを――迎える為に待ち構えていた。緊張状態にある西のレスティカーザと領地が接している、ジュンポワ城主のカイメンブルーメ卿だけが早々と自分の城に帰っていたが、その他の重臣は、新年の祝賀のためにママドゥイユに集まっていたためである。


 モエが父子としてではなく、主従として跪いたのを見て、ロベルク達もそれに倣う。


「只今帰りました」

「うむ」


 エクゾースが鷹揚に頷く。


「名代としての任、ご苦労であった」

「いえ。任期半ばで帰還する事態になってしまい、申し訳なく思います」

「王命とは言え、私がそなたに命じた事だ。気にする事はない」


 侯爵は、娘でも能力以上の優遇をしないという態度を示す為か、敢えて事務的に接してた。しかし目元だけは、王命に従う姿勢を見せる為に首都へ送り出さざるを得なかった娘の帰還を喜び、安堵する父の優しさを湛えていたことだけは見て取れた。

 侯爵は愛娘の帰還に満足げに頷くと、モエの後ろに控えるロベルクに声を掛けた。


「この度は大変な依頼を引き受けてくれて礼を言う。私は、妖精の存在が国益にとって大変重要であることを心得ている。きっと妖精の住みよい社会を築くと約束する」


 ロベルクは頭を深く垂れた。


「妖精の一人として感謝いたします」


 ロベルクは謝意を述べた。


 侯爵は続いてセラーナに声を掛けた。


「猊下によしなに」

「必ずやラウシヴ神のご加護が侯爵様に与えられましょう」


 セラーナは補祭離れした優雅さで微笑んだ。侯爵は礼を返し、そして最後にレイスリッドに声を掛けた。


「いざという時はお力をお貸し願えますかな」

「花の訪れと共に轡を並べることとなりましょう」


 レイスリッドの言葉に対して、侯爵は満足そうに、うむ、と返事をした。次いで彼は椅子から立ち上がると、集まった臣下を前に口を開いた。


「年が改まり、無事に大陸暦六二四年を諸君らと迎えられたこと、喜ばしい。しかし、恐怖と不安を抱えて新年を迎えた者達も大勢いる事だろう。その全てが私の様に自力で理不尽を払拭する事ができる者達ではない。それらの者達が安寧を得られるようにすることが為政者の務めであると私は考える。諸君も力を尽くして欲しい」


 侯爵の言葉に、近臣は戦を予感した。しかも、いよいよ、ママドゥイユが一つの国家として、神、領土、人心から承認を受けるための戦いとなることを予感していた。





 一行がママドゥイユ侯を懐柔するためにヴィナバードを出発して、一ヶ月以上の月日が経った。


 ミーア・ウィナスは回勅を発し、国王が今後風神ラウシヴの加護を得る事について認めないこと、及び、ママドゥイユ侯爵エクゾースをラウシヴ大神殿の主たる守護者とすることを宣言した。


 回勅とは、総主教が全世界の神殿に発する通達である。

 これはすなわち、クラドゥⅡ世を破門し、新たにエクゾースをリグレフの支配者として認めるということに等しい内容であった。


 回勅は直ちに大陸中にある各国の首都にあるラウシヴ神殿に文書で届けられ、いよいよ近隣諸国は、焦臭いにおいを否応なしに嗅がされることとなった。


 回勅は一般的には各国の首都に居る府主教に届けられるが、リグレフ国内では特別に、首都ではないママドゥイユの神殿に届けられ、即座に大主教から侯爵へと献じられた。


 侯爵は、配下の貴族、騎士及び家臣を集めた。

 謁見室では、ママドゥイユ大主教からミーアの回勅が披露された。

 一同からどよめきが漏れる。

 それは様々な思いから発せられたどよめきである。

 いよいよママドゥイユの時代がやってくるかもしれない、という思いや、一方では王軍と戦になるという思いでもあった。


 侯爵は整列した文武の配下を前に、口を開いた。


「このたび、我が娘にしてママドゥイユの将軍モエを帰還させたのは他でもない。近年、国王クラドゥⅡ世の暴政により、人心は乱れ、数多くの妖精たちの命が奪われている。これらの行いを正すため、我がママドゥイユは総力でクラドゥを廃し、リグレフに真の正義、臣民が安心して生活できる環境、そしてラウシヴ神の国教としての信頼と信仰、この三つを復活させる為である」


 事実上の宣戦布告である。

 貴族や重臣は即座に戦時態勢を敷いた。

 騎士や兵士の召集が準備され、文官は戦に備えた経済態勢、糧食態勢をとった。

 市井にも開戦が発布された。

 大きな混乱もなく発布は為された。いや寧ろ、王命による妖精排斥がいつママドゥイユに襲いかかってくるのかと戦々恐々としていたことへの反動や、首都に匹敵する経済力に裏打ちされた安心感などから、来るべき物が来たという印象で受け止められていた。


 しかし、街の一番雑多な部分で小さな変化が現れた。

 今まで遠慮がちに共存していた人間と妖精たちが、堂々と杯をぶつけ合って飲み、歌い始めたのだ。

 今やママドゥイユは、人間と妖精が遠慮なしに共存できる、自由の象徴となろうとしていた。

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