第二十九話 『事前踏査』

 ママドゥイユを出て九日後、ロベルクたちはようやくリグレジークの街外れに到着した。


 リグレフ王国の首都、リグレジーク。リグレフ王国最大の都市であり、また東方諸国と呼ばれる東エトラルカ大陸の中でも有数の大都市でもある。

 元々が城塞であったママドゥイユとは違い、港町が発展してできたリグレジークは、都市の防衛を城壁で為そうという思想では成り立っていない。道路と水路の整備による軍の機動性を以て防衛する、言わば「動き」を以て守るという思想によって街作りが為されていた。

 しかし、城の防衛はママドゥイユのそれを大きく凌駕していた。深い堀、高く幾重にも重なった城壁、その至る所に矢挾間が設けられ、防衛力の高さを物語っていた。意図的に低くなっている部分からは、戦時はおそらく投石機の砲撃が行われることであろう。民をできるだけ守ろうとするママドゥイユとは対照的に、リグレジークの城は、街並みをまるで土塁か何かのように利用して王族を守る仕組みだ。


「いくらでも大きくなれる街とも言えますが、逆に言うと……つまりまあ、街までは入り放題、出放題ってわけですね」


 リニャールは民を守る意思のないリグレジークの街作りについて、苦虫を噛み潰したような顔をして説明した。


 九日間、あえて野宿を選んで旅を続けてきたが、いよいよ敵の本拠に入るに至り、第一の奪還対象、モエの離宮がある地区のほど近くに宿を取った。と言っても、離宮の近くの宿は格式が高くて検査も厳しいので、一行は一本裏通りに建つ、満足に管理もされていない宿屋を借りることとなった。


「さて」


 大荷物を下ろすか下ろさないかの内に、レイスリッドが腰を上げた。


「何するの?」


 セラーナの問いにレイスリッドはにやっと笑った。


「観光さ。みんなも来るんだ。その目で街並み、道筋、重要な建物の作りを覚えるんだ。ロベルクも来い。冬だからその格好で全然怪しくない」


 レイスリッドはいつの間に手に入れたのか、リグレジークの地図を持っていた。


 一行は部屋に野営道具などの嵩張るものを置いて、街に繰り出した。





 まずは城の前の広場だ。多くの住人や旅人の行き交う広場を遠巻きにするように、ある程度の格式を備えた酒場や食事処、宝石店、服飾の店などが軒を連ねている。そして、その内側には、市や行商の荷車、露店などが、首都らしい行儀の良さで並び、客で賑わっていた。


 しかし、人々は下ろされた跳ね橋の近くには誰一人近寄ろうとしていない。


 跳ね橋の奥には数人の衛兵が殺気を垂れ流して直立していた。


「見せかけの賑やかさ、か」


 ロベルクの小声の呟きにレイスリッドが頷いた。


「鋭いな。だが、そういうことは心の中で言った方がいい」


 次に向かったのはモエの離宮だ。

 地図の上からだと、城のある門から一直線に向かうことができるようになっている。

 街の喧騒から隔離された街区で、大きな屋敷が並んでいる。王国の要人や、妾などが住む地区なのだ。


 旅人の風体四人が歩くにはあまりにも目立つので、あえて一本ずれた道を利用し、目的の屋敷だけを見ることにする。


「……アグシッド・ノワズーリ」


 レイスリッドが呪文を唱えると、彼の髪は灰色の短髪に、顔は皺が刻まれ、服装は短いブリオーにマントという、老農夫風の出で立ちにのものに変化した。

 そのまま無造作に表通りに出て手近な屋敷の門番に話しかける。

 胡散臭そうににらみつける門番に、何枚かの銀貨を手渡した。


「儂は硝子の部屋を使って冬に花を育てる仕事をしておりまして。このあたりにお住まいのモエ様に品物を届けよと申しつかったのですが、こちらの一番ご立派なお屋敷でしょうか」

「ここじゃあない。もっと小さい家だ。ほれ、あそこの……」


 賄賂と世辞に気をよくした門番は、事細かにモエの屋敷について説明してくれた。


 戻ってきたレイスリッドは元の姿に戻り、一行はモエの屋敷について十分な調査をした。石垣の高さ、門の数、門番の交代頻度、屋敷の入り口についてなど、観察や調査ができることはできるだけ行った。

 どうやら、護衛を務めているのは、ママドゥイユ候の家臣ではなく、リグレジーク軍人のようである。そして、肝心のモエ本人については、ついぞ姿を見ることはできなかった。

 しかし厳重な警備と継続した女官の出入りは、モエが在宅しているという予測をより確かなものとしていた。


 次の日は、ラウシヴ神殿の下見である。


 わざわざ朝からモエの屋敷の近所まで出向き、最も近いと思われる道筋を通って神殿へと向かう。今夜通る道を実際に通って、暗闇である事や走る事なども加味して、どの程度の時間が掛かるかを確かめる為だ。


 リグレジークのラウシヴ神殿は、王国の国教を担うものにふさわしい巨大さであった。見る者に安らぎと、新たな門出への意欲を与えてくれる、そんな気持ちにさせられる荘厳な建造物であった。人が行き交い、入り口の石段で祈りを捧げる人々や、礼拝堂に入っていく人々で賑わっている。


「へえ、大きいのね。せっかくだから入り口でお祈りでもしていきましょ」


 セラーナに促され、一同は神殿の石段に一歩足を掛けた。


 ロベルクの足が止まる。


(精霊の、乱れ?)


「どうしました?」


 リニャールに問いただされて、ロベルクは目を閉じた。


「精霊の均衡が、僅かにずれている」

「そりゃ、風の神様のお膝元だからでしょう」

「違うぞ、リニャール」


 レイスリッドも上りかけた階段から足を戻した。


「むしろ、これは……風が弱く……」

「闇と、死が強い」


 ロベルクがレイスリッドの感覚を詳しく説明した。


「あたしには感じないわ」


 セラーナは首を傾げた。


「もしそうだとしたら、ラウシヴ様の守護する聖域で暴れるような闇と死の力なんて、勘弁してほしいわね」


 セラーナは構わず石段の最上段まで上ると、ラウシヴ式の祈りを捧げて、さも何もなかったことが当たり前であるかのような表情で三人の元へ戻ってきた。


「まあいいわ。今夜ミッチ座下にお目にかかれば分かること」

「アレフーヴ・ミッチ府主教か……」


 無事だといいが、という言葉を、ロベルクは助言されたとおり今度は心の中で呟いた。


「さあ、宿に戻って取りかかろう。明日の夜明け前にはリグレジークを出る予定だ」


 ロベルクは努めて明るい声を出して、三人を宿へ促した。

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