第二十八話 『淑女の嗜み』

「その者の名は……モエ。我が娘だ。陛下から頂いた館にいる」





 一行は城の敷地内にある宿舎に滞在が許された。ハイヨールの館に負けず劣らずの瀟洒な宿舎で、四人は思い思いの場所に陣取って寛ぎながら、先程の侯爵からの依頼について話し合っていた。


「モエ……確か侯爵様を守る六人の将――『ママドゥイユの六芒星』の一人でしたね。『新しき魔法』に精通していらっしゃるとか」

「そして、侯爵様のお嬢様」


 寒さに耐えられず暖炉の前に陣取ったリニャールの言葉に、セラーナが答えた。


「厄介だな……」


 レイスリッドがソファに沈み込んだまま呟いた。


「人間主義の牙城みたいなものですからね。いよいよ厳重に変装しなくては……」

「そうじゃない」


 リニャールの軽口をレイスリッドが否定した。


「モエ殿のことだ。クラドゥから館を与えられている。ということは……」

「後宮?」


 ロベルクの問いにレイスリッドが頷いた。


「少なくとも候補ではあろう。噂では大層な美姫だそうだからな」

「しかも……いざというときは人質か。護衛は多そうだ」


 ロベルクは腕組みした。

 力をぶつけるだけの戦とはまた違った、難儀な依頼を受けることになってしまった。しかも、この猶予のなさでは、ヴィナバードから支援の人員を送ってもらうわけにもいかなそうだ。


「だが……」


 ロベルクは、はたと気付いて、組んだ腕を解いた。


「これはうまくいけば侯爵様が本腰を入れて動いてくださると言うことだろう?」

「どうしてそう言える?」


 レイスリッドは逆に問うた。


「モエ殿は侯爵様にとって大切な存在。それを連れ戻そうということは、後顧の憂いを絶って行動したいということだろう」

「可能性は高い」


 レイスリッドは答えた。


「侯爵は聖人ではないが、勢力の拡大と、身内を守ることに対しては極めて純粋な男だと聞き及んでいる。戦をするとなれば、それなりの準備をしたがるだろう」

「それに賭けるのは危険過ぎやしませんか」


 リニャールはまだ寒さが取れないのか、筋骨隆々たる巨体を小さく丸めていた。不安感が寒さを呼んでいるようにも見える。


「ねえ」


 セラーナが口を開いた。


「ついでにミッチ府主教をお連れしてしまってはどうかしら」


 セラーナの妙案に、一同は刮目した。


「それは良い考えだ。二度手間を省けば、もう一度使者を立てる危険を冒さなくて済む」


 ロベルクが賛同した。


 レイスリッドも頷く。


「俺も賛成だ。進軍の折に、爺さんに煩わされてはかなわないからな」

「では、準備にかかろう」


 一行は数日を掛けて旅の物資の購入や救出の準備を入念に行い、ママドゥイユを出発した。





 ママドゥイユを北に進むこと三日、ママドゥイユとリグレジークを隔てる大河、オクテミー川が目の前に広がった。この川が二つの大都市を隔てているだけでなく、今は妖精の住める地としても、両岸を隔てている。

 妖精の排除令が出ている今、丸腰でロベルクが対岸に行くことは、死ぬことに等しい。


「行こう」


 最も危険が降りかかるであろうロベルクが、声を発した。

 彼は髪を厳重に布で巻き、それは額近くまで巻いてある。翠玉の瞳を垣間見ることも難しい姿となっていた。


 西回りの街道は立派な橋が架けられているが、東回りはそれがない。

 船着き場から渡し船を探し、対岸へ渡ることとなった。

 無論、対岸で検問など受けてはたまらないので、船頭に高額な賄を渡し、人気のない河畔から船を下りることにした。


 北岸は、荒涼としていた。

 南岸の、どこか人間味を感じる空気ではなく、隔絶された、排他的な空気を感じる。


「何とまあ、風まで人妖精排斥に一役買っているかのようだな。乾燥して寒々しい」


 ロベルクの感想に皆が頷く。


 北岸の一泊目は案の定、野宿となった。寒風吹きすさぶ森林の中、セラーナが手早く野宿の場所を見繕い、野営の準備を済ませてしまった。


「快適な場所を見つけたもんだ」


 周囲の見回りから帰ってきたロベルクが野営の場所を褒める。

 風当たりが弱く人目に付きにくい。それでいてこちらから見通しのきく場所であり、安全性も高い。

 単なる聖職者であるはずのセラーナにこのような技術があったとは、驚きである。


「淑女の嗜みよ」


 セラーナは、ロベルクの褒め言葉を素直に受け取った。

 既に火が熾されており、一行は野宿ながら快適な一夜目を迎えることになった。

 焚き火で炙っただけの簡単な夕食を済ませ、いよいよ交替で睡眠につくという時、火を見ていたレイスリッドが、ふと口を開いた。


「野営とか火起こしとか、野伏の技なんて使いこなして……相当苦労掛けたな」


 誰と言わず出た言葉に反応したのは、セラーナだった。


「苦労しなかった、と言えば嘘になるわ。助けてくれた人も大勢死んだし。でも、この技は前から身につけていたものだから、気にしないで」


 脈絡のない話が繋がった事に、ロベルクとリニャールは訝しんだ。


「何の話だ?」

「あ? ああ……」


 問うロベルクに、レイスリッドは一瞬言葉を出すのを躊躇した。ちらとセラーナを見たレイスリッドは、彼女が小さく鼻を鳴らし、視線を逸らしたのを確認する。それは「別に話してもいいわよ」という意思表示だと理解した。

 レイスリッドは焚き火に向けていた身体の正面をロベルクに向けた。その藍色の眼は、作戦を語るときよりも増して、真剣さが滲んでいた。


「ロベルク……セラーナが訳あって大神殿にやって来た、という話は前にしたな?」

「ああ。覚えている」

「彼女の出身地は、遥か西方のウインガルド王国だ」

「何だって⁉」


 ロベルクは、その国の名に聞き覚えがあった。確か、レスティカーザを出る半年ほど前だったか。旅人によってウインガルド王国の滅亡が伝えられた。旅人の旅程を考慮するに、滅亡したのはロベルクがレスティカーザを捨てた一年前あたりの筈だ。そして、ウインガルド王国軍を完膚無きまでに叩きのめして国家を滅亡に追い込んだのが、同じく西方の帝国、ジオだ。


「まさか、セラーナは……」

「ああ。彼女は戦災を避けて亡命してきた、ウインガルドのお……お偉いさんの娘だ」


 その話の内容に、レイスリッドが一瞬言い淀んだのも気付かず、ロベルクは剣の柄を握ってレイスリッドの方へ詰め寄った。


「ウインガルドはジオに滅ぼされたと聞く。まさかレイスリッドが……」

「……そうだ」


 レイスリッドが静かに、しかしはっきりと肯定した。


「ジオは大陸の西と東を結ぶ地峡を欲していた。あの国は拡大主義を国是としている。最初は地峡の街を速攻で陥落させ、それで終わると思っていたんだが、予想以上にウインガルド側の抵抗が激しくて、こちらも防戦だけでは被害が拡大すると判断したんだ。それで俺は、麾下の魔法軍を率いて……首都を蹂躙した」


 焚き火の周りは静まり返っていた。薪が弾ける音と風に葉が擦れる音だけが、その場を支配していた。


 ロベルクは怒りを抑え、一言だけ声に出した。


「……それで?」

「国力に壊滅的な被害を与えて、領土の割譲を迫る……それが第二次攻撃の時に俺が立てた作戦案であり、攻撃内容だ。ところが、領土だけではなく、他のものを欲した貴人がいた……第二王子だ」

「第二王子?」

「そ、第二王子」


 ロベルクが眉を顰めたのに対し、セラーナが答えた。


「すっごく気持ち悪い奴」


 セラーナが端麗な顔を嫌悪に歪める。


 レイスリッドは僅かに苦笑するが、ロベルクの剣幕を真摯に受け止めるべく話を進める。


「その第二王子が、ウインガルドの王女を所望なさってな。首都から引き上げようとする俺から兵権を取り上げようと画策した。最初は父親である皇帝陛下に頼んだらしいんだが、陛下は国策に親子の情など挟むお方ではない。どうしても諦められない第二王子は、どこからともなくやってきた魔導師と組み、ウインガルド国王夫妻及び多くの貴族を一通り処刑すると、俺を罠に掛けて……戦場から吹き飛ばした。そして俺は、ヴィナバードに落ちたわけだが……傷が治りきる前に亡命したウインガルド人が現れたときは、正直終わったと思った」


 気まずい沈黙。薪がまた一つ、やや大きな音を立てて爆ぜた。


 セラーナが亡命できるような地位の者だという事は、今の話によると家族が処刑されている可能性が高い。ロベルクは気遣わしげな視線をセラーナに送る。


「セラーナは、それでいいのか?」

「ええ。戦である以上、勝ち負けがつきまとうのは当然よ。ウインガルド側としては、地峡の不凍港を失うのは大きいけど、果たしてそれを取り戻すのに多くの民兵を駆り出したのは、上策だったのかと問われれば、首を傾げざるを得ないわね。それに、お父様とお母様を処刑したのは第二王子の独断だってこともわかったし……王侯貴族ってのは、失策の責任を背負う為に日頃威張っているんだってことも、わかってるつもりよ」


 余りに冷静なセラーナの答えに、ロベルクは気勢を削がれてレイスリッドから離れた。軍人も貴族も、戦は職務の一つであり、そこに私情を挟まないのは二人ともその道に関して優秀である証拠だ。


 セラーナは、食事を摂った場所に戻って腰を下ろしたロベルクに歩み寄り、肩を寄せた。


「過去は過去。レイスリッドが親の仇だった訳じゃないし。今は皆、ラウシヴ大神殿の仲間でしょ? 野伏の技は個人的な趣味で会得した物なんだから、レイスリッドも今更気に病まないでよね」

「ああ。改めて、恩に着る」


 セラーナの言葉に、レイスリッドは軽く頭を下げた。


「凄いな、セラーナは」


 ロベルクが肩越しにセラーナの身体を感じながら、呟く。


 セラーナはこそばゆそうに肩を揺らすと、ロベルクの翠眼を見上げた。


「格好良いでしょ?」

「ああ、とっても格好良い」

「そうなの。あなたが守ってる女の子は、とっても格好良いの」


 セラーナは、柑橘のような瑞々しい笑みを満面に浮かべると、ロベルクの肩に側頭部を預ける。


 一連の仲むつまじい遣り取りを見せつけられたリニャールが、真冬にも関わらず首筋を仰いだ。


「……今夜は暖かく眠れそうですね。熱くてのぼせちまうかも知れませんよ」

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