第二十七話 『自由の旗印』
ロベルクたちは、ハイヨールからの文書を受け取ると、トロミレーを後にし、ママドゥイユへと向かった。
ママドゥイユ侯爵領はレスティカーザのような過激な妖精狩りなどはなく、治安も安定している為に盗賊に遭遇する可能性も低く、実際遭わずに済んだ。道中の危険はせいぜい野生動物や大型生物といった程度だった。
しかし、宿には難儀させられた。領民が消極的かつ自発的な妖精排斥を行っていて、ママドゥイユの実質的な統治区域に入るまでの数日間は野宿を強いられたのだ。
侯爵が妖精排斥の王命に反対する明確な意思表示をしていない以上、弱者は表向きだけでも長いものに巻かれている姿勢を見せねばならなかった。
「耳を隠してはどうだ」
申し訳なさそうに宿泊を断ったある宿の主人は、そう言うとロベルクに長い布地を格安で分けてくれた。
言われてみれば納得である。
今まで安全なヴィナバードにいたので、気にも留めていなかった。
ロベルクは礼を言うと、早速身につけることにした。
それからの旅は快適だった。宿に困ることもなく、すれ違う旅人たちの反応もかなり好意的になった。
ロベルクは安堵しながらも、見た目だけでこれほど反応が変わることに多少の落胆を覚えた。
牧羊柵を活用した簡易的な防壁と、これまた簡易的な関所を抜けると、いよいよママドゥイユの勢力下だ。
街道の道端は広がり、四頭立ての馬車が悠々とすれ違える。川という川に石橋が架けられ、ママドゥイユの力の大きさを見せつけていた。
遠くに城壁が見えたところで、日が暮れてしまった。
視界には数軒の建物が、藍色の空の手前に黒い影のように立っている。そのうち一軒は宿と思われる構造が見て取れた。
「都合よく宿があるものだ」
旅の経験がないロベルクは、率直に感心した。
「街道が安全だと、大体一日歩くごとに宿ができるのです。今や東回りの街道の方が治安がいいっていう証拠です」
リニャールが答えた。
考えてみれば、確かにここまでの道中、野盗などの自然ならざる脅威に晒されることはなかった。
レスティカーザ・ヴィナバード間にある宿は、クラドゥⅡ世の治世になってからほとんどが店をたたんでしまい、ワルナスより南に至っては一軒も営業していない。リグレフ王国の主要街道とは名ばかりの、お粗末なものに成り下がってしまっていた。為政者の統治能力は、城から遠く離れた街道でも見て取ることができるのだ。
次の日の昼前に、一行はママドゥイユの城門前に辿り着いた。
巨大な門は開け放たれており、両脇は堅牢な城壁で守られている。ママドゥイユの巨大な中心都市を囲む城壁は、さながら長城のよう。そして高さは、見上げれば首が痛くなる程であった。
防壁から城までは更に一刻程かかった。
城にはさらに堀と防壁があり、跳ね橋が下りている。衛兵が四人立ち、高慢な様子を見せるでもなく、斧槍を持って立っていた。
革袋から衛兵用にしたためられた手紙を手渡すと、彼はそれに捺された封蝋の紋章を一瞥してすぐに城内に消えた。残された衛兵は門番の任務を続けながらも、怪訝そうな顔で四人の旅人をちらちらと窺っていた。
袋に入っている手紙は、あと二通。家宰宛てと侯爵宛てである。
しばらくして、一行は応接室に通された。
現れた家宰に手紙を渡すと、彼もまた一読するなり席を立ち、姿を消した。
入れ違いに、トロミレーのエトロー家よりもさらに整った容貌のパーラーメイドがワゴンを押して入室し、茶とちょっとした菓子が供される。
日光が赤みを帯び始めた頃、謁見室への移動を指示された。
侯爵程の高位の貴族と即日に面会できるなど、通常はあり得ない。ハイヨールの書状が奏功しているのだ。
(マイノール様々だ)
ロベルクは、ハイヨールの弟が聖騎士だった偶然に感謝した。
四人は謁見室に入った。そこには高座が設けられていたが、待ち構えていたママドゥイユ侯エクゾースは一段下がった所で待っていた。
「こちらへ」
エクゾースは謁見室に設えられた長机を示した。自らは上座に座さずに様子を見ている。
どうやらこちらの陣容はほぼ露呈しているようである。それでいて、一行の誰がどの位置に座るか見極めようという魂胆だ。
何の迷いもなく、リニャールが最も下座に座った。次いでレイスリッド、セラーナ、最も侯爵に近い席にはロベルクが席に着いた。
「なるほど。そのような関係として接すればよいという事だな」
エクゾースはロベルクより若干上座の、四人に近い場所に腰かけた。
ロベルクはハイヨールから受け取ってきた最後の手紙、つまり侯爵宛ての手紙を取り出した。それは家宰づてにエクゾースに手渡され、彼はハイヨールの封蝋を確認してから羊皮紙を開いた。多少の笑みを浮かべながら黙読し、読み終えるとそれを丁寧に巻いた。
「……では使者殿、猊下のご意向をお伺いしよう」
いよいよだ。
意を決してロベルクが口を開く。
「ここのところにおける、国王クラドゥⅡ世陛下による妖精排斥令、及び各地の妖精虐殺に、ヴィナバード総主教ミーア猊下は、大変お心を痛めていらっしゃいます。妖精と言えども命と心を共に持つ存在。それらを、まるで畜生のごとく狩り絶やそうとするなど……」
そこまで言ったロベルクは、仲間の様子を窺った。
止めようとする雰囲気は感じられない。
ロベルクは軽く息を吸い、最後の言葉を紡いだ。
「……その所業、王たるの器に非ず」
エクゾースの傍らに立つ家宰が息を飲むのが聞こえた。
「今は妖精にその矛先が向けられておりますが、いずれそれは己の障害となるもの全てに向けられましょう」
「興味深い話であった」
エクゾースはそれだけ言うと、片手を挙げた。直後に扉という扉から衛兵が溢れだし、二十を超える切っ先が四人を取り囲む。
「我が地位は、陛下から賜ったものなのでな」
彼は衛兵の奥で立ち上がり、一行を眺めた。明らかにこちらの出方を窺っている。
無数の剣に囲まれながら、しかし、ロベルクは臆さずに席を立った。
「敬称は陛下が下さる。だが敬意は誰が捧げますかな?」
ロベルクは剣林の中、自らの頭に巻かれた布をほどいた。まずはわずかな房だけが見え隠れしていた白金色の髪が現れた。
「ハイヨール殿からの手紙でご存知かも知れませんが……」
そして、布を完全にほどいた中から、ロベルクの尖った耳が現れた。
「やはり……森妖精」
エクゾースは唸った。彼自身に義の心は薄い。だが、妖精を排除することに疑念を持つ彼の元に、国王と対を為す権威であるラウシヴ大神殿から妖精の使者が現れたのは、もはや天命であると受け止めていた。
ロベルクは衛兵の包囲も意に介さず、エクゾースの眼を見据えた。
「自由の旗印に立っていただきたい。さすれば妖精からは敬意、そして精霊からは恩恵が得られましょう」
「ラウシヴは加護を下さるでしょう」
セラーナが話を継いだ。
「そして」
レイスリッドが立ち上がった。
「ヴィナバードは戦力を提供いたす」
衛兵が一歩退いた。
「暗黒の時代の一貴族として埋没するか、歴史の光明として名を遺されるか!」
ロベルクは侯爵を問い質した。
衛兵がまた一歩、退いた。ロベルクの気迫と、彼が発する微かな冷気に気圧されているのだ。
「やれやれ、ハイヨールめ……」
エクゾースは手首を一つ払って、衛兵を下がらせた。
彼は溜め息を一つ吐くと椅子に座し、家宰に新たな茶を用意するよう指示した。
「ラウシヴ大神殿が覚悟を決めて、ここに人をよこしたのは理解した……」
エクゾースはロベルクたちに再度、着席を勧めた。
「そなたらの話を飲むには条件がある。力試しも兼ねてな……」
茶が運ばれ、一同は器から熱い液体を啜る。
喉を潤したエクゾースが話を続けた。
「ある者をここに連れてきてほしい……王党派の中枢である王都リグレジークから」
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