第二十六話 『交渉の前哨戦』

 ヴィナバードの命運を決める鍵を握ったロベルク、セラーナ、レイスリッド、リニャールは、冬の最中に街を出て、北東に伸びる街道の上にいた。行き先は、ママドゥイユ領の南部にある都市、トロミレーである。

 四人は、厚手で丈の長い緑のマントを身につけていた。大神殿からの使者ということもあり、出発に先立って、ロベルクたちはミーアから直々にマントを下賜されたのだ。

 ラウシヴを表す緑色に染め上げられ、高位の聖職者だけが身につける丈の長いマントは、交渉が少しでも順調に進むようにという配慮の現れである。


「おや、セラーナのだけ、裏地が水玉模様ですね」


 リニャールがセラーナのマントの裏側に目ざとく注目した。久しぶりに会ったリニャールだったが、改めて見るとかなりの巨漢である。レイスリッドより高い身長に鎧のような筋肉を纏い、その外側をさらに板金鎧で覆っている。縦も横も四人の中で最も大きかった。そのくせ、セラーナのマントの模様について目敏く見つけるなど、のんびりした雰囲気を醸し出しながら実は注意深い男だった。


 セラーナはマントを捲って三人に見せた。


「ああ、これ? 模様に見えるけど、実は一つ一つが護符になっているのよ」

「何て細かい護符だ」

「そして、この数……百はあるな。いつの間に縫い付けたんだ」


 ロベルクとレイスリッドは感心して、セラーナのマントに所狭しと縫い付けられた護符に見入った。


「司祭仲間が徹夜で縫ってくれたの。ありがたい話だわ」

「そのマントは大切にしなくてはなりませんね」

「ええ、仲間の気持ちが込められているんだもの」


 セラーナは仲間の思いやりを感じて、微笑んだ。


「こういう、思いの力が集まっているのって、いいな。僕らの旅の無事を、ヴィナバードのみんなが祈ってくれている……きっと成せる、成し遂げてみせよう!」


 ロベルクは、自分の使者としての旅に力を貸してくれる目の前の面々、そしてその他の多くの協力者を想像して、感謝の念がこみ上げてきた。成功を願う人々の気持ちが、目に見えない力になって気持ちを前向きにしてくれているようだ。


「よし……トロミレーに向けて、出発!」


 セラーナは太陽のように明るい声で、宣言した。


 ヴィナバードの存亡を占う旅は、それとは無縁の和やかさの中で始まった。





 トロミレーは、この季節だとヴィナバードから徒歩で五日ほどかかる位置にある、ヴィナバードとママドゥイユの中継点とも言える位置にある街だ。物騒な表現をするならば、ママドゥイユの南を守る出城、とも言う事ができる。

 この街を治めるハイヨール・エトローという人物は、聖騎士隊長マイノールの長兄にあたる。侯爵の信も篤く、「ママドゥイユの六芒星」と呼ばれる腹心の一人でもある。弟と同じように、思慮深い人物であるという噂だった。


 街に入る手続きを行い、城門をくぐる。一行を最初に迎えたのは、活気に溢れた喧噪だった。


「賑やかだな」


 ロベルクが率直な感想を述べる。


「そうね。規模はレスティカーザよりちょっと下って感じだけど、勢いがあるわ」


 セラーナも、数日ぶりの市街に嬉しそうな表情を見せていた。


「昔は小さい宿場だったらしいが、最近は東回りの交易路が流行りだからな。ママドゥイユと一緒にでかくなって、今じゃ人口も一万くらいいるらしい」


 レイスリッドは行き交う人々に視線を向けている。有事の際に、どの程度の民兵が出せるか、値踏みをしているようだ。


 城の主塔に向かって暫く歩いて行くと、また門が見えてきた。今度は、トロミレーの城の入口だ。衛兵が油断無く立っており、規律が整っている事を見て取る事ができた。


 マイノールからは、侯爵に、よしなに取り次ぐよう依頼する文書を預かっていた。衛兵は、マイノールからの文書の封蝋に捺された印章を見ただけで差出人を理解し、入城を許可した。


「末端まで教育が行き届いている」

「凄いですね。俺には真似できません」


 ロベルクの驚きに、リニャールも同意の嘆息を漏らした。ヴィナバードの役人もそこそこ誠実そうではあるが、このような素養の薫りを感じたことはない。


 一同は感心しているうちに、ハイヨールの応接室に通された。


 瀟洒な部屋だ。

 壁には小さな絵画などが飾ってある。部屋の主の人柄を表しているかのようだ。


 触りの良いソファに着席を促される。


 さほど待たずにハイヨールが入ってきた。線の細い体つきだが、この季節にも日焼けしている。城外によく出掛ける証だ。この領主が領土と領民の把握を怠らず行っているからこそ、トロミレーは目覚ましい発展をしているのだろう。


 パーラーメイドが茶を供し始める。彼女が退出すると、穏やかなハイヨールの瞳に鋭い眼光が宿った。手紙以外にもたらされるあらゆる情報を逃すまいとする表情だ。


「弟が世話になっている」


 ハイヨールは親書を受け取ると、四人に軽く会釈をした。そして、使者団の顔をまじまじと見つめた。


「補祭殿と護衛の聖兵殿……そしてレイスリッド客員軍事顧問殿とお見受けいたすが、つまり完全な密使という訳ではないということでしょうか」

「俺も有名になったものですな」

「風貌と手腕は広く聞こえておりますぞ」


 ハイヨールの言葉にレイスリッドは苦笑した。


 そして、ハイヨールの視線はロベルクの前で視線が止まった。妖精特有の尖った耳や、切れ長の目をまじまじと見る。


「……そなたが使者の代表とか。大神殿も大胆な人選をしたものだ」


 ハイヨールは相変わらず、口元とは裏腹の射るような眼光を湛えていたが、その言葉には悪意や差別の意識は感じられない。それを知ったロベルクもにこやかに応じた。


「聖職者でも、ましてや人間でもない者が、使者を任される……これこそ自由の神ラウシヴのご意志です」


 ロベルクの言葉に、ハイヨールは軽い驚きを見せた。目の前の森妖精は、リグレフの貴族を前にして、平然と国王の妖精迫害を批判している。ママドゥイユとリグレジークが奏でる不協和音をしかと聞き取っているのか。


「ヴィナバードも面白い男を遣わしたものだ」


 ハイヨールは微笑んだ。


「よろしい。侯爵様に直接お会いできるよう、一筆したためるとしよう」


 ハイヨールは部屋の隅にある巨大な机に向かうと、家宰に羊皮紙を用意するよう命じた。


「私は、今はリグレフ王国から爵位をいただいている身ゆえ、言葉に出すわけにはいかないし、用向きは敢えて問わぬ。だが、侯爵様はそなたらを歓待してくださるであろう。城下に宿を用意させた。文書は届けさせるゆえ、今日は休まれるがよい」

「ありがとうございます」


 ロベルクが代表して謝意を述べ、一行はハイヨールの部屋を後にした。





 ハイヨールはペンを走らせながら、ロベルクたちが城を出る程度の時間を取ると、ようやく手を止めた。


「どうかな、彼らは」

「と、おっしゃいますと?」


 家宰はうそぶいて見せた。


「私は、大神殿が事態を看過できなくなった、と見たが」


 『事態』とは、クラドゥ王が国教としているラウシヴの教えを無視して、人間以外の種族の自由を奪っていることを指している。


「それでは、使者を出す相手が違いましょう」

「うむ、そこだ」


 家宰の言葉にハイヨールは頷いた。


「つまり、ヴィナバードに和解の意思なし、ということであろう」


 ハイヨールはペンを置き、窓辺へと歩み寄った。眼下には街並みが放射状に広がり、城壁の向こうには耕地、湿地、そして森林が見渡せる。


「ラニフ王とユーク総主教の蜜月時代が終わり、クラドゥ王とミーア総主教の対立時代が始まる、か」

「その時、私たちは南北どちらの岸におりましょうか」


 北、すなわちリグレジーク側に付くか、南のヴィナバード側に付くか。最近では貴族やそれに仕える者の大きく、そして密かな感心事となっていた。


「さあな」


 ハイヨールは机に戻った。


「……それは、侯爵様がお決めになる事だ」


 ハイヨールは再度ペンを取り、慎重に言葉を選びながら手紙の続きを書き始めた。

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