第二十五話 『使者を立てる』

 ヴィナバードの北東にある都市と言えば、ママドゥイユである。王家の非血縁者の中で最大の隆盛を誇る、ママドゥイユ侯爵エクゾース・エルビルモネールの居城がある大都市だ。周辺はママドゥイユ候の配下が治める領土であり、その北は首都リグレジークである。


 ママドゥイユ周辺は大河の支流が多く流れる、国力の基幹を為す農業に適した潤沢な土地だ。だが、かつては大軍を移動させる街道を整備するのは不適当であるとされ、その為に西部の高地に街道が造られるなど、国の交通計画から外されて不遇をかこっていた。

 しかし、ママドゥイユの代々の領主は、川が多いのを逆手に取り、河畔を整備し運河を掘り、水運を充実させた。その結果、都市間の物流が飛躍的によくなり、広大なママドゥイユ候領内の物価に安定をもたらした。他領からの移住者も多く、今やレスティカーザを抜いて国内第二の都市の座を不動のものとしていた。いや、経済力では首都リグレジークをも凌ぐと言われている。


「ママドゥイユと事を構えるのではあるまいな」


 大主教たちが慌てるのも無理もない話である。


「まさか。ママドゥイユ候に、ラウシヴ神に対する信仰を説き、王軍に対する壁になっていただくよう、お願いに行くのだ」


 いつも通り、大主教たちを軽くあしらうレイスリッドであったが、その目にはレスティカーザとの戦で見せた戯れの色はなかった。


「ママドゥイユ候は野心家じゃ。逆にヴィナバードに牙を剥いてくるのではないか」


 エルボンが問うた。

 彼は、レイスリッドの視線の先に、ラウシヴの不利益がないか、見極めようとしていた。


「確かに」


 レイスリッドが即答した。


「では、その野心家の前に、ヴィナバードより魅力的な肉をちらつかせたら、どうなりますかな。例えば……玉座とか」


 静寂が流れた。


 絶句する者あり、熟考する者あり、反応は様々だ。だが、皆は一様に、権謀術数という名の珍獣と初めて対面した顔をしていた。


「彼は野心家ではありますが、それは領土の力、領民の力の強化を基に描く野心です。言わば『理想の国家像』を求める野心です。クラドゥのように、継承した力を振り回して宗教を掌握しようと企むのとは違います。『ラウシヴを迫害する国家』よりも『理想の国家』に大神殿が協力するのも悪くありますまい。最低でも庇護を取り付けることはできましょう」


 エルボンは腕を組んだ。


「危険過ぎはせぬか」


 最近のママドゥイユ候が、無茶な王命をのらりくらりと保留しており、関係が険悪になっていることは、もはや周知のこととなっていた。だからと言って、王に地位を与えられた者に王命に背くことを説くなど、危険が大きすぎる。


「やらせてください」


 手を挙げたのはロベルクだった。


「実力は十分であるが、しかし……」


 一人の大主教が言い澱んだ。

 飲み込んだ言葉の中に、自由の神を奉ずる大主教としては言いづらいものが含まれていた。


 だが、その言葉を紡いだのはロベルク自身だった。


「確かに僕は、国王が駆逐しようとしている妖精です。しかし、だからこそ、侯爵の意志を問うのに適していると思うのです」


 妖精の排除は、国王の重要な施策の一つだ。

 既に多くの妖精が王命によって命を落としており、リグレフ王国内の都市においては、妖精が生きているのはヴィナバードとママドゥイユだけであろう。

 クラドゥ王がママドゥイユへの圧力を強めていることは容易に想像がつく。ロベルクの到達までに侯爵が掌を返すことも、十分に考えられることだ。


 ロベルクは、自身を無事に帰すか、命を奪おうとするかで、侯爵の腹の内を探ろうと考えていた。


「僕に、匿っていただいた恩を返させていただきたい」


 誰からともなく「ラウシヴよ、感謝します」という言葉が連ねられた。皆がロベルクの志に打たれていた。


「神品を持たぬ者が神の為に命を懸けるとは、何と高潔なことよ」


 ラインクは感慨深げに呟いた。


「そう言われては、俺も行かざるを得ないな」


 レイスリッドも立ち上がった。


「俺も外様だ。万一の事態が起きた時、大神殿にとって人的被害が少ない」

「大神殿が危機なのに、それを救わんとするのは俗人ばかりですな」


 苛立ったヒメルが、溜まらず口を挟んだ。


「聖職者は誰も行かんのですか!」


 ヒメルの言葉に、大主教たちは黙り込んだ。自身が行くには齢と危険が大きいし、その責務を部下に押し付ける程の厚顔も居なかった。


「聖兵リニャールの同行を許可いただきたい」


 レイスリッドは、一人の名を挙げた。

 聖兵を掌握するレナだけが、その名に心当たりがあった。前のレスティカーザ戦において、レイスリッドの元で目覚ましい活躍をした斥候の名である。




「王軍の出師は、早ければ来年の春には行われると予測している。すると先手を打つ為には冬のうちにママドゥイユに向かわなくてはならず、ご老体の健康を気遣う余裕はない。まあ、来年になれば健康どころの話ではなくなっているかと思うが」


 レイスリッドは危機感のない大主教たちを痛烈にこき下ろした。


 老人たちは顔をしかめたが、反論する者は居なかった。


 ロベルクが挙手をする。


「聖職者の代表として、セラーナ補祭を推薦します」


 重役たちは唸った。


「セラーナ補祭? 病み上がりの彼女では荷が重いでしょう」

「補祭か。神品が、ちと……」


 大主教たちがなんやかやと理由を付けて難色を示した。かといって代案を持っているような様子もない。


「神品が何かしてくれるのですか?」


 ロベルクは涼しい顔で老人たちを切って捨てる。

 ラウシヴの重鎮たちに物申せるのは、この場では神品のないロベルクとレイスリッドだけだ。


「神品で物事が解決するならば、もっと穏便に事が済んでいたことでしょう。前の二つの戦だって起きなかったはずです。それができなかったから、今回の旅が行われるのです。セラーナ補祭は聡明で体力も有り、弁が立つ。十分力になると考えます」


 ロベルクとしては、セラーナが自分の近くに居てくれた方が、守りやすいという理由もあったのだが、彼の辛辣な言葉に、老人たちは皆黙り込んでしまった。


「…………」


 ミーアはロベルクの推薦を聞き、逡巡した。セラーナは亡命してこの大神殿にやって来た経緯がある。それなのに、危険の伴う使者の任につかせても良いものか、と。しかし、最近のセラーナとロベルクとの関係や、彼女の美しさに目を付けた狼藉者の存在を考えると、セラーナには多少危険であってもロベルクと一緒の方が、肉体的にも精神的にも生き生きするのではないか、と結論づけた。


「では、使者はロベルク、レイスリッド、セラーナ、リニャールの四名とします」


 ミーアが宣言した。


「また、リグレジーク府主教アレフーヴ・ミッチを召還します。こちらの使者についての人選は、ママドゥイユの件が一段落してから行います」

「ミーアのお師匠さんか。疎開なら急いだ方がいい」


 レイスリッドが提案したが、ミーアは首を横に振った。


「いえ、ママドゥイユとの盟約が成立せねば、何も始まりません。ママドゥイユの件が優先です」

「ほう……」


 レイスリッドは感心して息を吐いた。それに倣って、騎士隊長や老聖職者達から敬意の籠もった眼差しが若き総主教に向けられる。私心を捨て、ラウシヴ教団全体のことを考えるミーアからは、総主教としての大器の一端を垣間見ることができた。


「全員が無事に戻ること。それを総主教として厳命します」


 ミーアの宣言とともに、会議は閉会した。

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