第二十二話 『吸魂鬼討伐隊』

 城壁の周辺では、もはや生ある者の気配はなく、壁の外に点在している廃墟と化した家々は、さながら不死の魔物の集落のようだった。

 城門は固く閉ざされ、かろうじて上がる煮炊きの煙だけが、生存者の居るることを物語っていた。


 ロベルクとレイスリッドはさらに四半刻(約三十分)程歩いて、土木建築ギルドの事務所だった石造りの建物に近づいた。


(…………)


 ロベルクは無言のまま、ラウシヴの神旗が立てられた事務所を眺める。彼がレスティカーザを脱出してから約一ヶ月。月の巡りは『葉月はづき』から『火月ひづき』へと変わっていた。

 と、彼は事務所の周りを身長ほどの植え込みが取り囲んでいる事に気付いた。以前に見た時はこんな生け垣は存在していなかったはずだ。


「これは一体……っ!」


 ロベルクが葉に触れようとして、その指先に強い拒絶の念が流れ込もうとするのを感じ、反射的に腕を引っ込める。


「精霊魔法で作られた生け垣だ。風神ラウシヴの聖職者は風の精霊の加護を得る代わりに、対極にある土の精霊からは力を借りられないから、魔法で土塁や石垣は作れない。だが見た目よりかなり頑丈だぞ……どうかしたか?」

「僕は氷の精霊使いだからな。対極にある植物の精霊からは嫌われているようだ」

「成程な」


 レイスリッドは肩を竦めて理解を示した。そのまま窓を見上げると、大音声で叫ぶ。


「ラウシヴ聖騎士団の生き残りは居るか!」


 数瞬の間を置いて、窓の影から一人の聖騎士が顔を見せる。遠目にもわかる程薄汚れた顔が、喜びに輝く。


「軍師殿! ロベルク!」


 事務所内が「軍師殿!」と「ロベルク!」という言葉を中心にがやがやと賑やかになっていく。時折、歓声も聞こえ始めていた。聖騎士達が代わる代わる窓から顔を出しては、感謝の言葉を投げかけてきた。


 初めはにこやかに応えていた二人だったが、レイスリッドが先に堪えきれなくなっって叫ぶ。


「おい! 感謝もいいが、まずは建物の中に入れてくれないか? 生け垣を開けてくれ」





 二人は事務所に招かれると、昔はギルドの構成員が――今は聖騎士が、現状に光明が差したような表情でたむろしている広間を抜け、大親方の執務室に通される。部屋の主は大親方からヒメルに変わっていた。巻物が詰め込まれていた棚は手つかずのまま、懐かしい佇まいを見せていたが、大きな執務机には地図が広げられており、周囲に複数の椅子が並べられ、ここで作戦会議などを行っている跡が見て取れた。


 聖騎士に案内されてロベルクとレイスリッドが入室すると、机の奥で身体に対してやや小さい椅子に座り込んで唸っていたヒメルと、その近くで所在なさげに地図を眺めていた使者が跳ぶように立ち上がり、二人に駆け寄ってきた。


「軍師殿もロベルクもよく来てくれた!」


 まず、ヒメルが吠えるような声で全身に喜びを漲らせて二人の手を握る。次いで使者も二人と握手を交わした。

 一通り再会を喜び合うと、ヒメルは皆に椅子を勧めた。各々が近くにあった椅子にありつくと、彼は今度は控えめな声量で話し始めた。


吸魂鬼ワイトがかなり南下している事を報告したかったのだが、大袈裟に伝わってしまったようですまない。だが、来てくれて助かった。色々と厳しいことが分かってきてな。まず、昨晩……七人やられた」


 夜間の行軍中に奇襲のような形で襲われ、乱戦になったのだそうだ。乱れた指揮系統を回復させ、陣形を組み、『安息の祈り』や『鎮魂の祈り』で祝福を得、吸魂鬼ワイトを調伏するまでの短い間に、七人もの死者が出てしまった。


「道中のワルナスでは、遠征の事情を把握した城主から聖騎士団の通過を黙認された。順調な行軍が油断を生んだと言われれば否定はできない」


 ヒメルは、その場で火葬して置き去りにせねばならなかった七人の事を思い、唇を噛んだ。


「戦いに来ているんだ。それは皆、覚悟している」


 レイスリッドは彼なりにヒメルを力づけた。


 一方でロベルクは、レスティカーザの内外がやけに静まりかえっている事が気に掛かった。


「使者殿はリグレジークやママドゥイユにも助けを乞うていると話していたはずですが、そんな様子が見られませんね」

「来ていない……いや、来た形跡がないとしておこうか」


 ヒメルは溜息を吐いた。


「それよりもレスティカーザだ。まるで籠城するみたいに門をぴったり閉じて、援軍どころか人の往来すらない。俺たちと共闘するのがそれ程嫌なのか……」

「ヒメル隊長、そこは好評を独り占め、と前向きに考える事にしよう」


 レイスリッドは陰気な話を払拭すると、執務室にいる面々の顔を見回した。


「さて、今夜辺りから本格的に吸魂鬼ワイト討伐を始めようか。地図を見てくれ」


 彼は、ヒメルの持参したレスティカーザ周辺の地図を指さした。


吸魂鬼ワイトくらいのある程度高等な魔物は、日中でも直射日光がなければ活動する。だが、俺とロベルクが居る事だし、敢えて奴らが活発になる夜間に討伐を行う。具体的には、俺が命の精霊を餌にして奴らをおびき出し、ロベルクが氷で足止めをする。その後、打って出た聖騎士団が『祈り』を使って除霊だ」

「おお、そういう単純作業は楽でいいな」


 ヒメルが膝を打つ。


 次いでレイスリッドはロベルクの方へ視線を向けた。


「……という作戦、と言うより作業な訳だが……行けるか、ロベルク?」

「僕は問題ない。ところでその作戦についてだが、聖騎士団を二人一組で活動させてはどうだろうか? 『祈り』を捧げている間に、もう一人が背中を守るようにすれば、生還率はより高まるはずだ」

「それだと除霊する人数が半分になって、魔物の動きを止め続ける役目のお前に負担が掛かるが……いいのか?」

「大丈夫だ。そもそも僕は、味方の犠牲を少なくする為に連れてこられたのだろう?」

「……そうだな。では除霊は二人組で行う事とする。ヒメル隊長、夕方までに聖騎士達を二人組にさせておいてくれ」

「よし。全く軍師殿の策に掛かると、何でも単純作業のように感じてとても楽だ」


 ヒメルは、早速再編成の為に聖騎士を招集すべく立ち上がる。


「ああ、それと」


 退室し掛けたヒメルを、レイスリッドが呼び止めた。


「昼飯を分けてくれ。腹が減った」

「大した物はないが、そっちは任せてくれ」


 ヒメルはひらひらと手を振ると、執務室を後にした。





 夕刻。

 晴天であれば紺色の空が広がり、互いの顔も確認できる程度の頃だが、沼に落とした海綿のような雲のせいで、事務所内外では早くも松明を灯していた。


「敵襲!」


 魔物の出現を待ち構えていた聖騎士達の耳を、見張りの叫び声が叩く。

 がしゃり、と音がして、緊張感に張り詰めた面持ちの聖騎士達が無言で立ち上がる。


 屋外へ向かおうとする聖騎士達を、ヒメルが片手で制した。


「確認だ。俺達が生け垣の外へ出るのは、ロベルクの魔法が発動した後だ。これから軍師殿がさらに多くの吸魂鬼ワイトをおびき寄せる手筈になっているから、総員、生け垣から離れて待機。近づきすぎると外から手を伸ばされて引きずり出されるぞ。それと、『祈り』は、相手の手の届かない範囲で行う事。分かったな!」


 聖騎士達が息を飲み、唾を飲み、頷く。


「じゃあ、もう暫く待機だ。気合いを溜めておけ!」


 ヒメルが訓示を垂れているのと同じ頃、ロベルクとレイスリッドは事務所の屋上に陣取っていた。


 見張りの叫び声と同時に、二人の顔に緊張が走る。


「ロベルク、始めるぞ。手筈通りにな」

「分かった。……シャルレグ!」


 ロベルクの呼びかけに応え、氷の王シャルレグが空中にドラゴンの形をしたその姿を表した。


 準備が完了した事を確認したレイスリッドが、声を潜めて囁きかけてきた。


「……俺からの忠告だ。吸魂鬼ワイトの顔はできるだけ見るな。それと……万一、聖騎士団が崩れた場合は、俺とお前で奴らを全て破壊する。魂は救済されないが、一応の最終手段として頭に入れておいてくれ」


 頷くロベルク。


 レイスリッドは頷き返すと、空中を睨み、精霊召喚の集中に入った。


「我がしもべたる風の精霊との友誼により、出でよ、光の精霊!」


 真っ暗な虚空に、拳大の光が灯る。光の精霊が呼びかけに応じて生命界に姿を現したのだ。レイスリッドはそのまま命令を下す。


「闇夜を照らせ。薄く、広く」


 命令を承諾したように飛び回った光の精霊は、光を弱めながら薄く、薄く、天蓋のように事務所の上に広がった。すると、真っ暗闇だった事務所の周辺が薄暮程度の明るさになった。隣に誰が居るのか程度はわかる状態だ。


 レイスリッドは効果に満足すると、次の集中に入る。


「我がしもべたる風の精霊との友誼により、出でよ、命の精霊!」


 続いて、先程より一回りほど大きな薄い朱色の光が、薄暗い空に揺らめきながら姿を見せる。生命の精霊だ。


「精霊というのは、同時に二つも操れるものなのか」


 感心するロベルクに、レイスリッドは特に誇らしげでもなく頷く。


「ジオ帝国の魔法軍では、大隊長以上は必須の技術だ。お前ならすぐにコツを掴む事ができるだろう」


 レイスリッドは続けて二体目の命の精霊を呼び出すと、事務所の真上に待機させた。


吸魂鬼ワイトは全ての命を憎悪する。こいつらを囮にして魔物をここに集めようって寸法だ」


 喋っている間も、森や城壁の影から続々と吸魂鬼ワイトが湧きだして事務所を取り囲み始めている。


 レイスリッドはその出来映えを見て口角を吊り上げると、ロベルクの方に向き直った。


「次はお前の番だ。計算上は、多くて百体前後いることになる。討ち漏らしのないよう、丁寧に頼むぞ」

「やれるさ、百体くらい」


 ロベルクは、まるで小動物を狩る猛禽のように魔物の群れを見渡す。そして、一方的な拘束を行うべく、虚空に浮かぶ氷の王シャルレグと視線を交わした。

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