第二十三話 『戦の汚い部分』
階下から、聖騎士団の気迫が伝わってくる。
レイスリッドが、森やレスティカーザの城壁の向こうなどへ命の精霊を飛ばす。それをゆらゆらと揺らし、
それに反応して、さらに多くの
そのうちに、事務所の周りは何かの集会のように魔物が集まってきた。逆に森の方は新たな姿は見られない。
「こんなもんかな」
レイスリッドの呟きに反応して、ロベルクが氷の王に命令を下すべく集中を開始する。意思が通じると、一瞬、凍てついた思念が迸った。階下のそわそわした気配が消え去る。命に執着する
ロベルクは大きく息を吸うと、シャルレグに命令を下した。
「汚された魂を捕らえろ! 肉体は串刺しにし、氷の牢獄で閉じ込めよ!」
シャルレグの透明な竜の首が、承諾の意思表示をする。
氷の王は高度を上げると、周囲に針のような氷の粒を無数に発生させる。それはまるで氷柱が育つように次第に大型化し、ついにはロベルクの身長の二倍程もある、凶悪な銛の林が空中に発生した。
「やれ」
その合図と共に氷の銛が真上に打ち上がる。
一瞬の静寂――
直後、悲鳴のような風切り音の大合唱と共に、無数の長大な銛が
氷の銛は正確無比に
次いで、地鳴りが響いたかと思うと、串刺しにされて動けない
破壊的な降雹が収まると、それを待っていたかのように聖騎士団が事務所内から姿を現した。彼らは予てからの計画通り二人一組になって、苦しげな声が漏れる透明な墓標へと向かう。
除霊が始まった。
暫くすると、暖かな祈りが怨嗟の呻き声を圧し始めた。
「盛大な葬儀のようだ」
「そうだな。弔うことができて良かった」
事務所の屋上で除霊作業を見守り、安心する二人の精霊使い。知人かも知れない者を破壊せずに済んだことに安堵するロベルクと、どうやら作戦が成功しそうであることに安堵するレイスリッド。考えていることは違えど、この陰気な作業が滞りなく進行したことに胸をなで下ろしていた。
この日の犠牲者は一名。子どもの
除霊が全て完了すると、休む間もなく遺体を火葬する作業に移った。放置すると肉食の獣や魔物が集まってきたり、死の精霊や死の霊晶の影響を受けて別な不死の魔物になったりする可能性があるからだ。唯一土の精霊から力を借りる事のできるロベルクが地面に大きな穴を開け、聖騎士達が除霊されてくずおれた遺体を集めると火を放った。
初日と同じ作業を毎晩繰り返し、四日目の夜にようやく
五日目の夜も
間もなくレスティカーザでの最後の昼食が配られるという時、見張りの一人が今まで何の音沙汰もなかったレスティカーザの変化に気付いた。
城壁の上に複数の人影が現れた。中央に立つ一人は煌びやかな色の華やかな夏服を身に纏っている。
レスティカーザ伯爵だった。
その他の人影は、捕縛されていると思われる伯爵家の家宰と、兵のものだ。
当初は口先だけでも礼を言うのかと期待していた聖騎士団の面々も、何かおかしいと感じ始めた。
伯爵が口を開く。同時に風の精霊魔法によりその言葉が拡大された
「我が家臣の専断により、領内に侵入してしまったこと、遺憾に思う。罪人には命を以て償わせるゆえ、剣を収めて即刻退去されよ。安全は保証する」
連夜にわたる戦いの有り様を高みで見物していたとは、何という厚かましさか。余りの物言いに唖然とする聖騎士たちの前で、さらに目を疑う出来事が繰り広げられた。
城壁から家宰が突き落とされたのだ。何の躊躇もなく、小石でも放るかの如く。
「…………!」
同行していた使者が言葉にならない絶叫を発する。その間も家宰はやけにゆっくりと、一言も発せず、地面に叩きつけられた。
「一刻以内に撤退せよ。さもなくば城門から十倍の兵を出す」
己の家宰が地面に血だまりを作るのを満足げに見下ろしたレスティカーザ伯は、他人を踏みにじることに何の躊躇いもない嘲笑を浮かべると、細い髭をしごきながらそう宣言した。
「何だと!」
怒り狂う聖騎士たち。
眼下で騒ぎ立てる聖騎士団を見て、レスティカーザ伯は満悦した。だが、次の瞬間にはその歪んだ喜びが凍り付く。それがただ愕然としただけでなく、実際に表情筋が凍え始めているのだということに気付くのに、数瞬を要した。
聖騎士の集団の中に、半森妖精が居る。その男が蒼白い光を発しながら、激烈な冷気を発しているのだ。じめじめした湿気が低温に晒され、白い靄と化す。
ロベルクだった。
白金色の髪は帯電したように逆立ち、肩を震わせている。怒りが精霊力となって、周囲の気候を変化させていた。その翠眼が、レスティカーザ伯を射た。ぎん、と音が響き、凍てついた激情が空気をひび割られさせる。
「ひっ!」
レスティカーザ伯は、背骨に痙攣が走り、尻餅をついた。
ロベルクがゆっくりと口を開く。冷たく透き通った声が、伯爵の脳に直接抉り込まれるように響いた。
「貴様が、レスティカーザの妖精殺しか」
言葉と共に、その身から猛烈な吹雪が吐き出され、城壁に雪の坂を形作り始める。
「貴様が、女子どもまで
ロベルクの周囲には銀世界が広がっていた。そこはもはや晩夏ではなく、極地か高山かと見紛うような光景と化していた。
「貴様が……」
「やめろ、ロベルク!」
そこに居る者の殆どが立っているのがやっとの状態である中、ロベルクの肩を掴んだのはレイスリッドだった。
「感謝するぞロベルク。お前のお陰で怒り狂わずに済んだ」
我に返るロベルク。吹雪がぴたりとやんだ。
レイスリッドもレスティカーザに巨大な雷を落として焦土にする腹だった。だが、今後のラウシヴ大神殿の立場を考えると、ここでレスティカーザを消し去るという選択は避けねばならなかった。
ヒメルがいち早く、人一倍逞しい身体の震えを押して、総員に確認した。
「俺たちは間違ったことはしちゃいない。そうだろう、ロベルク?」
「……その通りです。僕たちは、ラウシヴ大神殿からの使者として、政治的意図とは関係なく、不死の魔物になってしまった罪もない人々を救っただけです」
ロベルクは自分に言い聞かせるように言葉を紡ぎながら、押さえきれずに迸り出た精霊霊力をその身に収めた。
レイスリッドは、ロベルクが冷静さを取り戻したのを確認すると、ヒメル隊の面々を一人一人見渡し、軍師として宣言した。
「諸君は聖騎士だ。先程の感情は忘れよ。俺が八十二人分、散っていった者の無念も含めて覚えておく。……帰還の準備だ。半刻後に出発する……」
帰り道は、重い足取りの行軍となった。失意にまみれた使者も連れて、のろのろとヴィナバードを目指す。
「ヒメル殿の隊には、戦の汚い部分を必要以上に見せてしまった」
レイスリッドは柄にもなく申し訳なさそうな顔を作ると、ヒメルに詫びた。
「そう悲観したものでもないぞ、軍師殿。聖騎士団に何が足りないかを、俺たちは一番近くで見ることができた。これからヒメル隊は、聖騎士団で最も強い部隊になる」
「……頼もしいことだ」
ヒメルの言葉に、ようやくレイスリッドの表情が緩んだ。そのまま、今回の功労者であるロベルクにも労いの言葉を掛ける。
「大神殿は、お前にまた助けられたな。伯爵が挑発してきた時、よく堪えてくれた」
「僕も、大神殿の好感を損ねないように動かないとな」
「ああ。それが妖精の生きやすい国作りに繋がっていくと思う」
ロベルクとレイスリッドは、意思が通じたように視線を交錯させた。
レスティカーザを出て八日後。
天候は徐々に回復し、今日はついに空から雲が消え、初秋のからりとした風が頬を撫でていた。
旅程から一日遅く、一行の目にヴィナバードの街並みが見えてきた。防壁はさほど堅牢に見えるわけではなく、門だけが立派な独特の外観に、ヒメル隊の面々からは張り詰めた緊張から解放されたかのような溜息が漏れる。
前回の凱旋の華々しさとは打って変わって、旅装は汚れ、全員が憔悴しきっていた。街外れで穀物の収穫に勤しんでいた人々も、余りに沈んだ雰囲気に声を掛けることができなかった。
馬車がゆとりを持ってすれ違える程度の開口部を備えた北西門を抜けると、聖騎士達の顔にようやく安らいだ表情が浮かび始めた。そのまま大通りをしずしずと抜け、丘陵にある大神殿の敷地に入る。
我が家とも言える大神殿に帰ってくることができたヒメル隊は、一息吐く間もなくそのまま謁見室に通された。本来、多少は身繕いをしてから入るべき部屋であったが、騎士団にできるだけ連続した休息を取らせたいというエルボン府主教の具申をミーアが承諾した為に、旅装での復命という事になった。待機組には既にレイスリッドから『長距離伝言』が届いており、総主教の衣服や謁見室の準備から、浴場、食堂に至るまで万全の状態になっていた。
ミーアがエルボンとエリュティアを引き連れて現れ、玉座に着くと、聖騎士団は一糸乱れず片膝を着いて敬意を表した。
ミーアはその様子に軽く頷き、柔らかく包み込むような総主教の声色で、ヒメルに声を掛けた。
「此度の討伐、大儀でした。戦いの様子やレスティカーザ伯爵の行いに至るまで、軍事顧問から聞き及んでいます。あなた方への褒賞や殉教者への追悼金、今後の方針などについては後日審議しますので、まずは休息し、戦の疲れを癒やしてください」
ヒメルは改めて頭を垂れた。
「猊下の暖かいお言葉、身に染みます。殉教した八名も冥界にて感謝しておることと存じます……」
ヒメルの言葉に、ミーアはもう一度鷹揚に頷いた。
「……長旅で疲れたことでしょう。これにて解散としますので、ゆっくりと休みなさい」
「はっ」
ヒメルが立ち上がると、聖騎士団もそれに倣う。最後まで聖騎士団らしい規律を見せつつ、ヒメル隊は退室した。
一気に人口密度が減った中、残されたエリュティアが呼びかける。
「さあ、エルボン座下。我々も執務に戻りましょう……ロベルクもしっかり休みなさい」
「ん? ああ……ありがとうございます」
それを「レイスリッドをミーアと二人きりにさせてやれ」というメッセージであると読み取ったロベルクは、いそいそと謁見室を後にするのだった。
いざ廊下に出たロベルクだったが、果たして自分はどう行動するべきか迷っていた。一番の懸案事項はセラーナのことだった。
(守ってやる、などど勇ましいことを言った直後に姿を消してしまった。果たしてセラーナは僕のことをどう思っているだろうか? 何て声を掛けようか?)
うんうん、と声が漏れ出てしまいそうな程悩みながら、かつて私室があった場所へと足を向ける。
部屋でじっくり考えよう、という目論見は見事に打ち破られた。
部屋の前には、セラーナがその背を扉に預けて待ち構えていた。
「おかえり」
「っ……ただいま」
無様な別れと、遠征で野宿していたのとで、ロベルクがセラーナに近づくのを躊躇っていると、彼女は一片も遠慮する様子もなくロベルクに歩み寄り、その腕を取った。
「隙が減った。強くなって戻ってきたわね……あたしの騎士様」
「セラーナ……あの、この前は……」
言いかけたロベルクの唇に、セラーナは人差し指を当てた。
「約束を守って、戻ってきてくれてありがとう……」
彼女は輝く笑顔を一瞬だけロベルクに見せると、涙の膜に覆われてしまった瞳を見せまいと、明後日の方向を向いてしまった。
「……これからはちゃんと側に居てよね。でないとあたし、どこかに飛んで行っちゃうわよ」
「ああ、勿論だ」
ロベルクは大きく頷いた。
セラーナが近くに居るだけで、ロベルクは己の魂が生き生きと脈動するのを感じる。彼女を守るという行為が、ロベルクに生きる意味を与えてくれる気がした。
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