第十四話 『急使は悪夢とともに』
ロベルクの剣術の稽古が始まった。
まず、月の満ち欠けに対応した基本の『形』を叩き込まれた。一日の大半を稽古に費やし、これを覚えるのに三日かかった。
レイスリッドは、常人の十倍ほど覚えが良いと絶賛した。ロベルクが夕食後まで時間を割いて自主練習をしていたこともあるが、本人の素地に因るところも大きいと言える。
次に、覚えた『形』を使って全ての聖兵に試合で勝て、という課題が課せられた。かなり無謀な課題だが、ロベルクはその日から怪我を覚悟で聖兵の訓練に参加した。
驚くことに、『形』をなぞるだけでかなりの聖兵に勝つことができる。『月の剣』の恐るべき技が、ロベルク自身も驚く中で目の前に展開された。
駄賃のように伝授された『月の剣』は、ヴィナバードの軍事を取り仕切る男の持つ、知識と魔法に次ぐ三つ目の恐ろしい武器であった。
ロベルクは課題を課せられてから、五日間で九十七人の聖兵と試合をし、七十四人に勝利した。
最初は面倒がっていた聖兵たちだったが、ロベルクの謙虚な態度と、練習相手として申し分ない実力を持っていることを知るにつけ、皆快く引き受けてくれた。
その日は九十八人目に敗北して訓練が終わった。
ロベルクが井戸で汗を流し、私室で休んでいると、レイスリッドがやってきた。戦績を尋ねられてえると、レイスリッドは首を捻り、『形』をやってみせろと言い出した。ロベルクは部屋の隅から霊剣を鞘に包んだまま取り出し、一番目の『形』から順に体を捌く。
「……分かった。三番と十六番がずれている」
レイスリッドは廊下から箒を持ってくると、相手に切っ先を向けない独特の構えをとった。
「見ろ」
体の周りを周回するような箒の動き。そして、
「ここ」
箒が閃いてロベルクの服を掠め、埃が舞う。だがロベルクは微動だにせず、目を見開いて箒の軌跡を追っていた。
「……僕より、振りが小さい」
「そうだ。お前はまだ力任せの振り方なんだ」
ロベルクは唸ると、剣でゆっくり軌跡を作る。
次は速く、と言われて同じ動作を素早く繰り返す。
何度か繰り返したところでレイスリッドは「それでいい」と言って動きを止めた。
「基本を正確になぞるだけで、聖兵の百人隊長くらいには勝てるはずだ」
ロベルクが脇の締め具合などを確認しながら今後の訓練についての話をしようとした時、扉が乱暴に開かれ、聖兵が転がり込んできた。
「レスティカーザから早馬っ!」
何の用だ、と問い質すと、その聖兵は喘ぎながら口を開いた。
「レスティカーザで不死の魔物が現れたとのこと……」
ロベルクは全身の筋肉が強張るのを感じた。隣ではレイスリッドが同じく表情を硬くしている。
「使者を、街に入れてないだろうな」
「はい。街外れに詰めていた衛兵が、詰め所で待つよう指示しました」
「その兵は褒賞ものだな……」
不死の魔物には、接触により毒や呪いをもたらすものがおり、時には接触された者も不死の魔物になってしまう場合さえある。レイスリッドは直ちに馬を引かせると、街外れに向かって駆け出した。
ロベルクもレスティカーザと聞いては居ても立っても居られず、慌てて馬を借りて後を追った。
詰め所では衛兵たちが、椅子で休む使者を遠巻きにしていた。ロベルクはレイスリッドについて室内に入った。
「ラウシヴ聖騎士団軍事顧問のレイスリッド・プラーナスだ。まず、近づかぬ非礼を許されよ」
「心得ております……」
「レスティカーザは無事なんですか?」
「無事だ。と言うより何も変化はない……少なくとも私が出発した時まではな。君は?」
「僕は客員精霊使いのロベルクです。レスティカーザ出身……です」
「そうか……」
使者はロベルクの尖った耳をちらりと見た。
「まさか、追放した者に心配されるとは。命令とは言え、済まないことをした。それに引き換え、我々人間ときたら……」
妖精であるロベルクに街の安否を気遣われ、使者は恥じ入って視線を落とす。
彼の話では、三日前の夜に、城壁外の領民が不死の魔物に襲われたのだそうだ。
しかし、それだけなら軍が対処すればよい話である。
使者の話には続きがあった。
次の日の朝、見回りの兵が遺体安置所に来たところ、襲われて亡くなった領民の遺体が消えていたのだ。
遺族に聞いても、遺体を引き取ってはいないと言う。
ただの動く死体ではない、と感じたレスティカーザ伯の家宰は、兵と各神殿の聖職者を召集して対処することを主人に進言した。
ところが、話を聞くなりレスティカーザ伯は対策案を一蹴した。
伯爵が国王への忠誠を誇示する為に、勇み足までして出兵した挙げ句、ラウシヴ聖騎士団に返り討ちにされたことは、既に周辺の諸侯の耳に届いている。その上、城壁外の事とは言え不死の魔物を発生させるなどという不祥事を起こしては、恥の上塗りだ。国王に侍る数多の貴族達に足元を見られるのは避けたい、という思惑が伯爵の脳裏にあった。
見てみぬふりを決め込む伯爵に対し、家宰はやむなく独断でリグレジーク、ママドゥイユ、そして数日前に剣を交えた敵であるヴィナバードにも支援を乞う使いを出したのだ。
「どうか、我々ではなく、無力な民の為と思って、お助けください」
「ふん」
レイスリッドは鼻で笑った。
「『無力な為政者』の間違いだろう」
使者はうなだれた。最も無力なのが誰なのか、彼は分かっていた。
「……だが、身の程を知っているのは評価に値する。誰か、神殿まで一走りしてほしい」
「僕が行こう。馬を借りてきた」
ロベルクはレイスリッドの呼びかけに間髪を入れず名乗りを上げる。
「助かるぜロベルク。では、使者殿が休息する為の部屋と不寝番をする聖職者の手配。それと、聖騎士団の出動を打診だ」
「聖騎士を動かすのか? 大事になりそうなのか」
「……嫌な予感ってのは、予感のまま放っとくとろくな事がないものさ」
ロベルクは頷くと、詰め所を飛び出して借り物の馬に飛び乗った。
ロベルクの連絡を受けたラインクの行動は素早かった。四半刻(約三十分)も経たないうちにミーア総主教へ報告がもたらされ、総主教名で検疫体勢が引かれた。使者には、落ち着いた雰囲気で、なおかつ魔物化しても逃亡の心配がない部屋が用意された。さらに万一の中毒や、魔物に変化する症状に備えて、聖職者が番についた。
神殿では、直ちに首司祭以上の聖職者及び騎士隊長が召集され、対策会議がもたれた。
「レスティカーザの神殿の責任者は?」
「ルジール首司祭が追放された後、ニルフニッカー主教という者が務めているようです」
部屋に大量の書類を持ち込んだ首司祭が答えた。
「ニルフニッカー? 知らんな」
「ルジール殿が追放されて以来、あそこからの情報は途絶えていますからな」
「ニルフニッカーの神品は司祭だったはず……」
会議室は騒然となった。
「つまり」
レイスリッドが一言で会場を沈黙させた。
「……つまり、少なくともレスティカーザのラウシヴ神殿には、眷属を増やす類の高等な不死の魔物に対処できる人材はいない、ということでよろしいか」
満場が無言を以て肯定した。レスティカーザが大神殿の管理下から離れているという現状を突きつけられ、聖職者たちは自分の指先を睨んだ。
「いいですか」
沈黙を破って、エリュティア首司祭が発言を乞うた。
「今の話からすると、発生した不死の魔物は眷属を増やす可能性がある、ということですか」
「使者の話から推測するに、死者を眷属にする魔物である可能性が高い、と言える」
溜め息が室内に充満した。使者の話からすると、事件から三日が経過しており、一体の魔物が一日に一人の犠牲者を出すと考えると、現在は単純計算で八体の魔物がいることになる。
「レスティカーザを救援する師旅を出すか否かについて、ラインク主教はどうお考えですかな」
レイスリッドはラインクを『団長』ではなく『主教』と呼ぶことで、軍ではなく教団としての判断を求めた。因みに『主教』は第四位の神品であり、首司祭の一つ上位に位置する。
「一度剣を交えた相手の地とは言え、不死の魔物に襲われたとあれば、『一応』国教であるラウシヴ神殿としては看過できますまい」
微妙に皮肉を込めたラインクの発言に、他の隊長も頷く。
老齢の首司祭や主教たちは、小さく不満の唸り声を絞り出した。その声を代弁して、エルボン府主教が口を開いた。
「しかし、先日大軍を動かしたばかりで、兵糧が心許ないですぞ。それに、収穫の季節を前にして、軍事行動を起こすのはいかがなものかと」
「全くその通り」
レイスリッドは机上で組んだ指を外した。
「しかし、近隣都市で発生した不死の魔物を放置したとあっては、神殿としては兵糧以上の何かを失うのではありますまいか」
先程とは別の沈黙が室内に充満した。
不死の魔物は精霊の乱れの産物であり、それを討伐・除霊するのは聖職者の務めの一つである。それを放置したとあっては、国内の民衆の信仰心が低下することは避けられない。
「座下」
ヒメル聖騎士隊長が挙手する。
「この作戦、俺の大隊を出陣させて頂けませんか」
「穀倉は民のものぞ」
エルボンは苛ついた声を絞り出した。
「先の戦で、俺の隊だけが実戦経験を積めませんでした。それは今後の我々の行く末を考える上で大きな不利益となると考えます。どうかご考慮の程を」
老人たちは、むうっと声を漏らした。「今後」の後に「続くであろう戦」という言葉が来ることは皆が理解していた。
「聖騎士団を出しましょう」
ミーアが鶴の一声を発した。
「猊下!」
「不足の兵糧は、神殿の食料から保存の利く物を出しましょう。ラウシヴの名の下に、囚われた魂に自由を!」
少女の宣言が紛糾しかけた議論を解決に導いた。
ミーアの意向が決まってしまえば、配下としてはその意向にできるだけ沿うように動くのみである。満足のいく結論だった者も、不承不承受け入れる者も一様に、次の行動に向けて動き出した。
「さてと」
今回、会議に参加した者の中で唯一、神品を持たないレイスリッドは、おもむろに立ち上がった。
「俺はレスティカーザ以外で同じ災厄が起こっていないか調べてくる」
「……随分と急な話ね」
大きな決断を終えて少々の疲労感に包まれていたミーアは、栗色の瞳に不安の色を滲ませた。
「そうすると、北東のママドゥイユ方面? また戦になるのに、馬を使っても十日くらいは留守になるんじゃ……」
「いや」
レイスリッドはミーアの懸念を一蹴した。
「『長距離瞬間移動』の魔法を使う。ママドゥイユで一泊、その南のトロミレーで一泊。明日出発して、三日後には戻る」
その言葉に、側近のエリュティアは訝るが、レイスリッドに全幅の信頼を寄せているミーアは、安心したように頷き、満足そうな笑顔を浮かべて退室した。
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