第十三話 『宴の夜は明けて』

 次の日、はしゃぎ疲れた街は、朝と呼ぶには遅い緩慢とした目覚めを迎えた。


 ロベルクもまた例外ではなく、目が覚めた時にはすでに日が高く上っていた。僅かにもやのかかった頭で身だしなみを整えて食堂へ行くと、多くの聖職者がロベルクと似たような様子で遅い朝食をとっていた。法と秩序を司る光神ローディフの神殿だったらとても許されない行為なのであろうが、ここは自由の神ラウシヴの神殿である。宴を全力で楽しむ自由もまた、神への捧げ物というわけだ。厨房も事情を察しているらしく、寝坊した聖職者達の為にきちんと朝食を用意してた。

 盆を受け取り、空いている席に腰を下ろすロベルク。


 何人かの聖職者は彼を見つけると、興味深げな視線を絡めてきた。違和感を感じつつ匙を取り、食事を始める。野菜のスープが胃に優しく広がるのを感じた。


「よう」


 遅れて食堂に入ってきたレイスリッドが、誰にともなく挨拶をしながら食堂に入ってくる。彼は厨房から朝食の盆を受け取ると、ロベルクの隣に座った。


「昨日はお楽しみだったようだな」


 レイスリッドはニヤリと笑いながらロベルクをからかった。ロベルクがセラーナと夜の街に消えた事は、すでに神殿中の噂になっていた。


「ああ。セラーナのおかげで楽しむことができた」


 ロベルクは一瞬ぴくりと眉を顰めるが、事も無げに答える。


 ざわ、と聖職者たちの意識がロベルクに集中した。


 奔放さを醸し出していながら、どこで身につけたのか謎めいた気品を備えた美少女、セラーナ。近寄りがたい雰囲気すら醸し出す彼女を、ロベルクがどのようにして籠絡したのか、皆が知りたがっていた。食堂中がレイスリッドの問いを期待して、耳をそばだてている。


「で、セラーナの秘密には迫れたのか?」


 朝からいきなり露骨に核心に迫ったレイスリッドに、女性の聖職者たちはさすがに眉をひそめて立ち去り、男たちはいよいよ身を乗り出した。


「ん? ああ、凄かった」


 うおっ、というレイスリッドの声に合わせて声無き歓声が上がった。もはや皆、聞かないふりをすることも忘れている。


「どうだったんだ、彼女は?」

「彼女は……」


 もはやロベルクの周りは人だかりとなっていた。その全てがロベルクの口の動きに注目している。

 何をそんなに期待してるのか全く理解できないまま、ロベルクは昨日の事を思い出して軽く胃が痙攣するのを感じた。


「彼女は……飲むんだ。物凄く。エール酒の大きな器で蒸留酒を何杯も飲んで、顔色一つ変えない……僕が肩を借りて帰って来たんだ」


 完全に期待はずれな昨夜の話に、ロベルクの周囲を落胆の溜め息が包む。


「いや、それはそれで凄いが、そういう事じゃなくてだな……」

「どういうことだ?」

「…………」


 人の輪が散開した。


 跡には話の展開が理解できなかったロベルクと、ばつが悪そうに茶をすするレイスリッドが残された。ロベルクには今までずっとミゼーラの介護があり、土方仲間と仕事の後に酒場に繰り出すこともなかったため、下世話な話に疎いのも無理はない。


 残された者たちは気まずい空気の中、無言の朝食をとることとなった。


 聖職者の内には、廊下で下世話な話を立ち聞きしてしまい、食堂に入りそびれた者も何人か居た。そしてその中の一人に、セラーナが半森妖精と宴に繰り出した件を耳に入れるや一際表情を歪め、朝食をまだ摂っていないことも忘れて自室へと戻っていった者が居た。





 食後、ロベルクはレイスリッドに呼び出された。指定された場所は神殿の中庭の一つだ。植栽の類はなく、聖騎士たちが鍛錬に使う場所である。


 ロベルクが中庭に出ると、彼はすでに訓練用の木剣を二本持って立っていた。

 初めにロベルクは、レイスリッドから大神殿の滞在の延長を提案された。元々行く宛てのないロベルクは、その話を二つ返事で快諾した。


「では、お前にやってほしいことがある」


 その要求とは、ロベルクが毎日精霊魔法を使うこと、そしてレイスリッドから剣を習うことだ。強力な霊剣をただ佩いているだけだったロベルクにとって、願ったり叶ったりの要求であった。


「それは寧ろこちらから頼みたいくらいだ。だが、何故僕にそこまで」

「何故かな……俺にも分からん」


 レイスリッドは首を傾げ、空を仰いだ。


「多分、いきなり見ず知らずの土地に飛ばされてきた俺は、何もかも失ったお前に自分自身を重ねているのかも知れない」


 かつてレイスリッドは、戦争中に敵の魔法を受けてヴィナバードまで吹き飛ばされた。持っていたのは軍装と武器だけ。腹の足しにもなりはしない。


「あの時、俺は体以外のほぼ全てを失った。名門プラーナス家の長子、ジオ帝国宮廷魔術師、大将軍の座……意識を取り戻した時、俺は『何故意識を取り戻してしまったのか』とさえ考えた。俺は生きる意味を失っていたんだ」


 だが幸運なことに、彼には政治や戦を初めとした広い知識と、魔法があった。そして、ヴィナバードの街はそちらの方面の知識を必要としていた。


「俺はここで治療を受け、この国の内情を知るにつけ、自分の持つ知識と力を、ジオ皇帝のためでなく、この街のために使ってみたくなっていった。自分の持つ力、自分が今まで積み重ねたものが、俺に生きる理由をくれた。俺は……」


 そこまで言ってレイスリッドは声を潜めた。


「俺はヴィナバードを、リグレフ王国から独立させる」


 ロベルクは目を見開いた。レイスリッドは口角を吊り上げた。


「ヴィナバードに自由を。ミーアに安寧を。それが、俺の生きる理由だ」


 大きい人間だ、とロベルクは思った。圧倒的長寿を誇る森妖精の中にも、これほど大きな事を口に出し、実行しようとする者はいなかった。皆、己が生きるだけで精一杯なのだ。


「で、お前はどうなんだ? 戦を勝ち残って、何か感じたか」

「セラーナにも言ったんだが、徴用された挙げ句に死んでいったレスティカーザとワルナスの人たちのことを考えると、恩あるヴィナバードを守る為とは言え心が痛む」


 ふーん、とレイスリッドは鼻白んだ。


「欲がないな……聖職者になれるぜ。いや、欲張り過ぎるのか」


 欲、と言われてロベルクは、自分の欲とは何なのか思いを巡らせた。今までは考えたこともなかった。

 ゆらり、とラルティーナの顔が脳裏に浮かぶ。

 急に彼は、自分が生かされていることがありありと感じられた。心の中で微笑んだラルティーナは軽く手を振ると、光の中へと消えていく。そしてその中からは、ぽんと弾けるように別な少女が飛び出してくる。その姿は輪郭線が光を発し、誰なのかは判然としない。少女が同じように手を振る。それはまるで、「今度はあなたが誰かを生かしなさい」とでも言うようだった。


「欲……誰かの思いを受け取り、誰かに引き継ぐ?」

「いい線行ってるぜ、ロベルク」


 レイスリッドがニヤリと笑う。


「生き物っていうのは、生まれた時から誰かの思いを背負っているんじゃないかと俺は思う。たくさんの思いを受け取り、時に退けながら成長し、そしてその思いでできた身体で何かをしようとする。生きて何をするか? それこそが欲だ」


 木剣で自分の肩を叩きながら、レイスリッドは講釈を垂れる。


「人間は妖精より寿命が短い。故に人間は自分が生きる意味を探す。例えばお前が生き残ったのは、生きることに何らかの意味があって、それを探せ、ということなんだと考えるんだ。お前に魔法を教えたのは、単に精霊使いとしてのお前に対する俺の好奇心だが、これからお前が生きる意味を探すのに役立つかも知れん。さあ、生きる理由の選択肢を増やそうじゃないか」


 レイスリッドはそこまで言うと、二本纏めて担いでいた木剣の片方をロベルクに放る。


 ロベルクは、レイスリッドが投げてきた木剣を受け取った。使い込まれた木剣は黒々とした艶を放ち、手に馴染む。つるりとした柄を眺めていると、レイスリッドが構えるよう促した。


「ロベルク、力は未来の選択肢を増やすものだ」


 まず打ってこいと言われて、ロベルクは聖兵の訓練の真似をして木剣を両手で持ち、正眼に構えた。そのまま素早く斜め上に持ち上げて振り下ろす。

 レイスリッドが無造作に持った木剣を払ったように見えた。

 垂れ幕に打ち込んだかのような手応えのなさが腕に伝わる。木と木がぶつかる軽い音がしたかと思うと、レイスリッドはロベルクの横をすり抜け、背後に回っていた。


「素人にしては上出来だ。もう一度」


 続いてロベルクは木剣を横に薙ぐ。次の瞬間、手首に痛みが走り、ロベルクは木剣を取り落とした。


 レイスリッドがかわしざまにロベルクの手の甲を打ったのだ。彼はそのまま何事もなかったように己の木剣の切っ先を地面に刺し、身を預けた。


「凄い……」


 ロベルクは今しがた打たれた手の甲を擦りながら、直前の動きを反芻した。自分の振りに対して、決して押し返そうという動きではなかった。陽光の気迫と言うよりは、闇夜の風の如き密やかさを持つ、流れるような体捌き。


 面白いだろう、とレイスリッドが悪戯小僧のような笑みを浮かべる。


「相手の動きに寄り添い、影を突き崩す秘剣……『月の剣』だ。魔法使い向けの剣術だな。これをお前にくれてやろうと思うが、どうだ?」

「是非、お願いしたい」


 ロベルクは二つ返事で頷いた。

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