第十二話 『守った街で』

 レスティカーザとの戦の後、ロベルクは英雄としてヴィナバードに迎え入れられた。彼のために自軍の死者がなかったと、レイスリッドが喧伝させたためである。

 街をあげて祝宴が催された。大神殿前の広場は、楽器を奏で、歌い踊る人で溢れた。宿屋や酒場、商店は揃ってラウシヴを称える緑の旗を掲げ、あらん限りの食事や酒を供した。


 皆が勝利に歓喜した。


 総主教であるミーアは、最初こそ上品に果実酒を口にしていたが、徐々に上品な笑いが止まらなくなり、大神殿に担ぎ込まれた。


 レイスリッドは乾杯の発声が上がるたびに杯を空け、酒豪ぶりを発揮していた。聖騎士たちも、この日ばかりは身分を忘れて肩を組み、宴を楽しんだ。


 俄に英雄に祭り上げられたロベルクは、聖騎士団とともに多くの民から賞賛の言葉を浴び、祝杯を掲げられた。ロベルクはその一つ一つに笑顔を返しながらも丁寧に断り、早々と大神殿に引き返した。


 空は橙色から、紫がかった色に変わりつつあった。


 やや高台にある大神殿からは、明かりを灯し始めた街の様子が一望できる。宴の喧騒が、小さくではあったがここまで響いていた。


 ロベルクは神殿の上階にあるバルコニーに出てみた。

 頬を撫でる晩夏の風は、ようやく涼しさを帯びてきたようだった。

 眼下には自分たちが守った街が、浮かれた光を灯して沸き返っている。

 ふと背後に気配を感じ、ロベルクは振り返った。いつの間にかバルコニーの入口には、セラーナが立っていた。


「よく、無事で」

「約束通り帰って来ました」


 セラーナは輝くような微笑みを浮かべると、ロベルクの隣にやってきた。

 束ねた黒髪が軽やかに揺れる。


「何を、考ていたの?」

「先日の戦についてです」


 ロベルクは視線を街へ移した。ヴィナバードの街並みはもはや夜闇に覆われ、ランプや炬火が建物の姿を橙色に浮かび上がらせていた。


「僕はレイスリッドと共に魔法を使い、その結果として聖騎士団と聖兵団は死者を出さずに帰還しました。しかし、僕たちと対峙したレスティカーザ軍は夥しい数の死者と怪我人が出ました。もしかしたら、僕を知っている人が居たかも知れないのに……果たして、僕の選択は正しかったのか、と」


 そこまで口に出して、ロベルクは僅かに眉を顰めた。彼の脳裏に、レスティカーザの人達の姿がよぎった。


 言うまでもなく戦では、兵たちは指揮官や、その上に在る支配者に命じられるままに戦わなくてはならない。何の縁故もない者同士が命令一つで血を流し合い、己の命を守るために相手の命を奪うということだ。ラウシヴ聖騎士団の大勝利は、つまりレスティカーザ軍に大量の死傷者が出たことを意味していた。


 それでいて、彼らを死地に赴かせたレスティカーザ伯もクラドゥⅡ世も、何事もなく生きている。


「最初は、大切な人や街を守るために、持てる力を使うことには戸惑いはなかった。でも僕が得た力は余りにも大きい……」


 眼下の街は、未だ喧騒と音楽が止まず、いよいよ浮かれ具合を増しているようだった。

 街の様子に反して、ロベルクの表情は沈んでいた。


 セラーナは隣で打ちひしがれるロベルクの様子に、何と慰めようかと思案していたが、元々肯定的思考の脳は呆気なく我慢の限界を迎えた。


「固いわ。固い固い! 考えも固いし、あたしに対する言葉も固いっ!」


 セラーナはロベルクににじり寄った。可憐な顔に怒りを滲ませたセラーナからは、凄みすら感じる。束ねた髪が跳ねた。


「え? え?」

「あたしとあなたは、外見は大して変わらない歳なんだから、『です、ます』とか、やめなさいよ!」

「は……はい……」

「『はい』じゃないっ!」


 焦れたセラーナの鼻先が、ロベルクの鼻先にくっつきそうな程に接近した。星空を溶かし込んだような瞳が、ロベルクの目を覗き込んだ。


「わ……わかった」


 ただでさえ異性に接近された覚えのないロベルクは、美少女が文字通り目と鼻の先に顔を寄せてきたことに焦り、しどろもどろに返事をした。


「よろしい」


 セラーナは満足して笑顔に戻ると、ロベルクの隣に戻り、バルコニーの手摺りに肘を突いた。


「街を見て……」


 セラーナが口を開いた。彼女の視線の先にはヴィナバードの大通りがあり、皆が――人間も妖精も関係なく、生きている今を過剰に謳歌している。


「……皆、いま命があることを喜んでいるわ。あれは紛れもなく、あなたが守った命よ」

「僕が……」


 セラーナは頷いた。


「確かに妖精の排斥は許されざる行為よ。それでもあたし、出陣前は、戦なんてせずに皆が手を携えて生きることができないかって考えてた……」


 セラーナはそこで一瞬言いよどむ。が、心を決めたように頷くと、ロベルクの目を正面から見つめた。


「あたしね、戦で両親が……あたしのことを守って死んでるから、知らない人が同じ思いするのが悲しいなって思うんだ」


 ロベルクの目が見開かれる。彼はついさっき、家族が待って居るであろう知らない人を大量に倒してきたのだから。その内心を察したセラーナが慌てて言葉を続ける。


「『戦で勝つな』ってことじゃないの! でもね、前から……今回も、戦でたくさんの人死にが出ると思うんだ。一人の力なんて小さいな、敵意を向けてくる人達まで守ろうなんて傲慢なんだって……普通は精々自分自身と、あと一人くらいを守りながら生きていけるかどうかなのよね。でもあなたは、その覚えたての大きな力で五千人に近い命と、その人達の帰る場所を守った。それはとても意義のある事だと思うわ」


 ロベルクは思わずセラーナの目を見つめた。彼女はそれに気づき、包み込むような笑顔を浮かべる。


「精霊に意志はないわ。そこにあるのは力を行使する者の正邪。あなたは精霊使いとして、まだ駆け出しよ。まず身近な人を守れたのは素晴らしいことじゃない?」

「そう、だね……」


 セラーナの言葉によって、ロベルクは心から靄の幕が一枚剥がれた気がした。


「刃を向けてくる相手を救うのって、難しいよね。それはもっと熟練してから考えようよ」

「そうか……」


 ロベルクの表情から曇りが晴れる。


 それを見て取ったセラーナは、安堵の表情を浮かべた。


 街では花火や花光が打ち上げられ始め、夜空に色とりどりの光の花が咲いていた。

 セラーナの艶やかな白い肌は様々な光に彩られ、まるで自らが光を発しているかのようだった。そしてその漆黒の瞳は何物にも染まらず、泉のように静かに揺れていた。彼女の微笑みは、夜闇に浮かぶ花の一つのように輝いていた。


「過去はちょっと置いといて……良かったらもう一度、あなたが守った街へ……今とこれからとがある場所へ行かない? ……あたしと一緒に」

「喜んで」


 ロベルクとセラーナは、バルコニーを後にした。

 ロベルクの顔に、先程まで差していた不安の影はきれいに消えていた。彼にとって隣を歩くセラーナは、自分が戦を通して守ったものが実体化した姿だ。街を守り、生還した喜びが一歩ごとに湧き上がってくるようだった。


 街のざわめきは、まだまだ消える気配を見せなかった。

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