第十一話 『動き始める策謀』

 ダストン男爵と、彼に付き従い、最後はロベルクの魔法の為に敗北を喫したレスティカーザ騎士たちは、武器を捨て降伏した。

 後ろ手に縛られたダストン男爵が聖騎士隊長達の前に引き出される。魔法で攻撃する際にロベルクが見た時も随分巨大に映ったが、いざ目の前に現れると、ロベルクよりも頭一つ分は大きいのではないかという体躯に隆々たる筋肉を纏っている。その大男が、片膝をついて、ラインクとレイスリッドに頭を垂れた。


「我々は職業軍人だから処刑は厭わない。だが、向こうで倒れている兵たちは徴集された者たちだ。助けてもらえぬだろうか」

「その潔さ、気に入った」


 レイスリッドは感心して手を打った。


「よろしい。貴殿らの首と引き換えに……」


 ごほん、とラインク団長が咳払いをした。続いてマイノールとレナも咳払いをする。


 何だ、と言いかけて、口を噤むレイスリッド。この時レイスリッドは、戦闘以外での殺生は慎むよう、ミーアにきつく言われていたことを思い出していた。その剣幕を思い出し、一瞬、肩を震わせる。ややあって、あー、と発声練習のような声を上げた後、重々しく宣言する。


「……我等がミーア総主教猊下は寛大である。貴殿らを含めて、捕虜全てを解放しよう。生存者を連れて引き上げるがよい」


 ダストンは驚いて諸将の顔を見回した。皆、異論のない表情をしている。


「我々ヴィナバード・ラウシヴ聖騎士団の総意と思っていただいて構わない」


 ラインクが念を押した。


「……恩に着る」


 ダストンは再度深々と頭を垂れると、本陣の天幕を退出した。


「卑怯に思うか」


 去りかけたダストンの背中に、レイスリッドが声をかけた。ダストンが立ち止まる。


「……ただ我が予測を超えたのみ」

「これが西大陸の戦だ。生き残れた貴殿は今日の出来事を頭に刻み、より強い将となれることだろう。またまみえようぞ」

「必ずや、貴殿の相手に足る将になって戦場に戻る……」


 ダストンは敗残の兵をまとめるため、戦場に戻った。


「やれやれ。ミーアめ、余計な釘を刺しやがって」

「いえいえ、これで軍師殿の名声と人望は否応なしに高まります。東方諸国ではこういった事も大切ですから」


 毒づくレイスリッドをラインクが慰める。マイノールとレナはそれを見て吹き出した。

 事態が飲み込めないロベルクに、レナが説明する。


「軍師殿はああ見えて、猊下に頭が上がらないのよ。ぞっこん、て奴」

「レナ隊長、それは必要のない情報だ」

「はい。軍師殿もお若いですね」


 レイスリッドが怒鳴りかけたのを遮って、ラインクが撤退の命令を出した。


 街に戻れば、ミーアや大神殿の人々だけでなく、多くの家族が胸をなで下ろすことだろう。それだけではない。レスティカーザでも、多くの家族が胸をなで下ろすだろう。


 レイスリッドは気付かぬうちに、指導者として賛同者を増やしていった。


 ロベルクは気付かぬうちに、騎士団のなかでの重要性を増していった。





 数日後、王城のある首都リグレジークに、レスティカーザ・ワルナス連合軍敗北の報がもたらされた。

 妖精の放つ魔法に打ちのめされ、さらに敵将に温情までかけられたという報告を聞き、クラドゥは激怒した。自ら出師し、ヴィナバードを廃墟にするとまで発言した。


「お待ちください」


 諌止したのはナイルリーフだ。


「今、出師を取りやめた方がよい三つの理由をご説明致しましょう。まず、王国の国教が未だラウシヴであることです。我が国は風神ラウシヴを長く国教としていた為、諸侯の中には敬虔なラウシヴ信者もおります。その者達が軍事行動の際に手を抜く、などという事になりますと、勝利するにしても大層面倒な事となりましょう。国教を変えるか認定を取り消す算段をおつけになるのが先かと存じます。次に首都の南に位置する都市を治めるママドゥイユ侯の動向に不透明さを感じます。我が間者の話では、内々に妖精たちに外出自粛を呼びかけ、奴らを匿っているのではないか、ともとれる動きをしているとか。そして三つ目は、今は北部の動乱を鎮めた直後であるということです。首謀者は処刑してしまいましたが、どうもそそのかされたのではないかという疑惑が拭い去れておりません。故に、安易に玉座をお空けになるべきではないと存じます」

「一理ある」


 専決を好むクラドゥがあっさりと助言を受け入れたことに、周囲の文官たちは驚いた。


 策がある、と述べたナイルリーフにヴィナバードの件をひとまず任せ、クラドゥは別な案件の処理に取りかかることにした。





 ナイルリーフは己の執務室に戻った。宮廷魔術師の執務室ともなると、相当な面積と装飾を誇り、広大な執務机と王族級の客を招いても失礼のない応接セットを設えてある。またそれだけでなく、宮廷魔術師の執務室らしく天井まで届こうかという書架を備え、それを埋め尽くす高価な書物を下賜されていた。尤も、ナイルリーフは書物の内容を全て熟知していた為、それらを開くことはなかったが。

 地位相応に大きな扉を、ナイルリーフの繊細そうな指が優雅な動きで閉める。しかしノブの奥でラッチの音が響くと、彼は露骨に舌打ちを鳴らした。


「あの猪を御するのも骨が折れる」


 そう吐き捨てると、ナイルリーフは羽織っていた宮廷魔術師の長たらしいマントを煩わしそう外し、無造作に投げ捨てた。部屋で控えていた背の低い草原妖精の奴隷が、慌てて駆け寄って受け止める。


 この奴隷は常にフード付きのマントを羽織わされ、草原妖精の特徴でもある、季節で色が変わる草色の髪と若干先の尖った耳を隠し、子供と偽って連れられていた。名前をヒュールという。


 部屋には他に、戦士と魔術師が控えていた。ナイルリーフの私兵はこれだけだ。


 魔術師が精緻な磁器のカップに茶を注ぐ。


「ナイルリーフ様ともあろうお方が、お手を煩わせることもおありなのですな」

「まあな」


 魔術師に答えつつ、ナイルリーフはソファにどっかりと腰を下ろした。供された茶の薫りを楽しみながらも、彼の口の端には苛つきの火花が見え隠れしていた。


「今、奴に動かれると、これまでしてきた事が水の泡だ。ようやく首をもたげ始めた芽たちを、易々と刈られては堪らん」


 クラドゥⅡ世は元々、王位継承権はさほど高くはなかった。また、独善的で粗暴な性格であり、王子たちの中でも、王の器から最もかけ離れた存在とされていた。

 だがラニフⅤ世の死が近づくにつれ、クラドゥより継承権が高い者が次々と病に罹り、また事故に遭って死んでいったのだ。

 ラニフⅤ世は死に際に、王位をクラドゥに譲るという苦渋の決断を迫られ、そして斃れた。彼の周囲で起こる不可解な死が、クラドゥの背後に侍るナイルリーフの仕業であると薄々感じていたラニフⅤ世は、死の床に在ってなおクラドゥの身を案じていたという。

 いつか息子自身にも死が降りかかる、と。


 クラドゥを王位に就けるためにやって来た男――ナイルリーフは、長い黒髪を弄びながらしばらくソファで思案していたが、やおら立ち上がった。


「やることがある。行くぞ、ソルア」


 ソルアと呼ばれた戦士が彼に付き従う。


「二カ所ほど、見ておきたい場所がある」


 ナイルリーフは執務机の裏に立ててあった青水晶の剣を佩くと、新たに血赤色のマントを羽織り、部屋を後にする。出がけに、ナイルリーフは魔術師に声をかけた。


「アギラール、南のことはお前に任せる。ヒュールを貸してやる。旅先での雑用は、そいつにさせるとよい」

「は」


 魔術師アギラールは頭を下げた。

 執務室の扉が閉まると、アギラールは頭を上げた。


「……闇よ、ねじ曲がって器に宿れ……」


 虚空に呼びかけると天井近くに小さな暗がりが現れ、それは彼の首飾りに吸い込まれた。すると、今まで象牙色だった彼の髪は黒く染まり、瞳は赤く沈んだ色になった。アギラールは闇の精霊を主に使役する精霊使いであるが、対極に位置する光の精霊を扱うことはできない。そのため、光による目くらましや幻影を作り出すことができないのだが、光の反射率を変化させて身体の色を変化させる程度なら闇の精霊の能力でも可能だ。


「さてヒュールよ、我々も行こうか」

「はい、アギラール様」


 ナイルリーフのような風貌に自らを変化させたアギラールは、ついさっき自分の主が投げ捨てた宮廷魔術師の藍色のマントを羽織った。長い杖を持ち、反対の腕ではヒュールの腕を掴むと、『長距離瞬間移動』の魔法を発動させる為の集中に入る。


「ニョール・エクナツィード・トロぺレート……」


 アギラールが界子衡法の呪文を唱えると、執務室から二人の姿がかき消えた。

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