第八話 『それぞれの役割』

 予定日を一日過ぎて、偵察を任せた聖兵が戻った。


 ロベルクは、社会勉強とか理由を付けられてはレイスリッドに引き回されていたが、この日も総主教の謁見に付き合わされており、聖兵の復命に立ち会うこととなった。


 最敬礼する屈強な聖兵に、ミーアの横に立っていたレイスリッドが労いもそこそこに問いただした。


「遅れた理由は何だ」

「道が、例の奇妙な雪のせいで酷くぬかるんでおりまして。馬でこの有り様ですから、徒歩の者は更に掛かりましょう」


 レイスリッドの問いに、偵察の聖兵は悪びれず答えた。恐縮して必要な情報が手に入らないのではたまらぬと、レイスリッドによって直に任命された男である。


「宜しい。報告を聞こう」

「はい。まず陣容ですが、レスティカーザから騎士が千人、重装歩兵が千人。それとは別に、南のワルナス城で軽装歩兵が約五百人、待機しています」

「こちらと同数か。舐められたもんだ」

「はあ。しかし……」


 聖兵は言い澱んだ。


「何だ?」

「いえ。我々は、山賊や魔物の退治はしてきましたが、今回のような大規模な戦闘は殆どの者が初めてです。相手と同数で、果たして大丈夫なのでしょうか」

「なるほど」


 レイスリッドは頷いた。


「兵なら誰しも初陣というものはある。今回は皆がそうであるだけだ。それに指揮官が初陣ではないのだから、そう気に病む必要はない」


 言葉を失った聖兵を横に、レイスリッドは二日後の出陣を指示した。


 広間にはレイスリッドとミーア、そしてロベルクの三人が残った。


「何か不安」


 ミーアが溜め息を吐いた。


 その言葉を聞いたレイスリッドは、日頃見せない穏やかな笑みを湛えてミーアの方に向き直った。


「大勢の人生を預かるってことは、不安なものさ。だがそこに、上に立つ者の生きる意味がある」

「…………」


 ミーアはじっとレイスリッドの言葉に耳を傾けた。レイスリッドは続けた。


「兵が将のために生きていると考えるのは、傲慢だ。将がそうであるように、一兵卒の後ろに家族、友、恋人がいる。それをわきまえて指揮をとることが、将には求められていると俺は思う。兵の命を預かる重大性を認識し、一人でも多く生還させる……それが将の存在意義だ。ミーア、お前は戦の間は最も安全な場所にいることになるが、それはお前が旗印として最も重要な役割を担うからだ。お前は兵の命を預かり、生きようとする力を与える。兵はお前に生きる意味、死ぬ意味を見出す。それを覚えておいてくれ」

「私が皆に生きる力を与える……」

「そうだ。そして、戦で生き残る為にする汚い部分は、俺が引き受ける。旗は綺麗である必要があるからな」

「……ありがと」


 ミーアはレイスリッドの前でだけ、自分を出すことができる。二人の歩んだ一年間に何があったかは分からないが、固い絆が育まれたことは、ロベルクにも理解できた。


 では自分はどうか。

 絆を持たぬ自分の生きる意味は?

 自分を守ってくれたラルティーナを失った。

 支え合って生きたミゼーラを失った。

 覚えているのは、絆を断たれた記憶ばかりだ。


 ロベルクの表情は暗く沈んだ。


 出陣は明後日である。自分が生きる意味を見つける――その為に必死で生き残らねばならない。





 出陣前日。


 ロベルクの部屋にも戦に必要な物資が運び込まれた。とは言え、輜重関係は聖兵の一部隊が担うので、個人の持ち物は少ない。


 革の上着が一着。胸の辺りは、何か大型の生物の鱗で補強が為されている。


 革手袋一双。弓兵の使うような動きやすいものではなく、ある程度の防御力をもたせた無骨な作りだ。精霊との対話を阻害するので、どれも鋲などを使わず、部品を革紐で編んで作り上げられている。


 そして、ラウシヴ神を象徴する緑色のマント。聖兵と同じ、丈のやや短いもので、意匠より動きやすさを重視したものだ。ロベルクの戦時中の立場はレイスリッド直属の客員精霊使いであり、軍事的地位は聖兵と等しいものが与えられていた。


 若者と言うにもまだ幼い伝教者に搬入を指示していたセラーナが、仕事を終えてロベルクの部屋に入ってきた。


「森妖精も、戦をするの?」

「しますよ。普通は長剣とか持ちませんけど」


 セラーナの問いに、ロベルクはあっさりと答えた。


「想像と違いますか?」

「ええ……」


 セラーナは視線をロベルクから外した。

 後頭部で束ねた、美しい黒髪が揺れる。


 彼女もまた、森妖精に甘い幻想を抱いている一人なのだと、ロベルクは感じ取った。


「……森妖精の世界は人間が考えている程綺麗ではありませんよ。いや、むしろ人間の世界より汚い……」


 セラーナは、逸らした視線をロベルクに引き戻された。


「平和を愛する、草木を愛でる、面白おかしく歌い踊る、美しき森の人……全て人間の想像の産物です。実際は自分たちとその住処を守るため、古ぼけたしきたりにしがみつき、立ち入ろうとする者は排除し、基準からはみ出した者は容赦なく切り捨てる……そういう種族です」


 セラーナは言葉が見つからず、ただロベルクの目を見つめた。ロベルクの翠玉色の目はただ深く、暗い。


「……がっかりしたでしょう」

「いいえ……」


 セラーナは掠れた声を絞り出した。


「だから、僕は森を出て良かった。確かに森を追われ、レスティカーザでは迫害に遭いました。しかし、ラウシヴ神殿の皆さんのような人がいる事も知りました。今回の戦……僕は神殿と妖精と、二つのために戦います」


 降りかかる火の粉を払うのに容赦が無いのは森妖精の気質なのだが、セラーナはロベルクの姿に、ほとばしる悲しみと、周りを飲み込みかねない喪失感を見て取った。


「……生きて、帰ってね」

「勿論です」


 ロベルクが小さく微笑むと、セラーナは若干安心した様子で部屋を後にした。





 出陣当日は雲の殆どない晴天であった。


 将兵は縁起の良さを喜び合い、その士気は高い。


 整然と士卒が並ぶ正面には石造りの演台が築かれており、ミーアを筆頭としたラウシヴ神殿の重鎮が並んでいる。緑のローブを纏った年寄りの中で、白く輝く胸当てを着け、矛を横にして、柔らかな栗色の髪を靡かせているミーアはひときわ輝いており、一同の目を惹き付けた。実際は、彼女は神殿で待機することになっており、この軍装は士気を高めるためのパフォーマンスである。


 レイスリッドは神品を持たないので、段の下で控えている。甲虫のような鈍い艶をもつ黒い鎧に緑のマントを羽織った姿は、清冽な印象を与える軍団の中で一人だけ、戦の残酷な現実を物語っているようだった。


「聖騎士並びに聖兵の皆さん」


 数瞬の間を置いてミーアが話し始めた。


 その声を、レイスリッドが風の精霊を使役して広場中に響かせる。


 一声で辺りは静まり返った。


「ヴィナバードは、自由を尊ぶラウシヴ神殿の教えに賛同してくださった方々が集まり、発展した街です。それは人間だけではなく、様々な種族によって為されてきました……」


 ミーアの演説を、将兵だけでなく、近所の人々も聞き入っている。


「ラウシヴの教えは、精霊と共に生きる全ての『命ある者』のものであり、決して人間が独占してよいものではありません。しかし今、力で自由を刈り取らんとする人間の集団が、この地を蹂躙しようとしています。レスティカーザ伯の侵攻は協定上も教義上も許されないことです……」


(うまいな)


 偶然かわざとか、国王の影を演説に匂わせないやり方に、レイスリッドは感心した。まかり間違えば、いや将来的にはほぼ確実に王軍と剣を交えることになるなどというような話は、初陣の兵を浮き足立たせるだけである。


「……今こそ、ラウシヴの使徒である我々が、自由の牙城を守ろうではありませんか!」


 歓声が爆発した。


 今、士気は最高潮にあると言ってよい。


 あまり熱狂されても行動が乱れがちになるが、ラウシヴ神の名の下に剣を振るうことに迷いのない軍団の熱狂には乱れが感じられなかった。


「騎乗!」


 聖騎士が一糸乱れず馬に跨った。

 路肩や建物に民衆が鈴なりになった道を、隊列を組んで進み始める。


 行軍の先頭を務める騎士団長ラインクの大隊、百二十五騎。続いてマイノール隊長の大隊百二十五騎、レナ隊長の大隊百二十五騎。その後ろにクロスボウを装備した聖兵二千人が続く。殿軍は、ヴィナバードの防衛を任じられたヒメル隊長率いる百二十五騎の聖騎士だ。ヒメル隊を除く総勢二千三百八十人の将兵が、戦場へと向かうことになる。


 師旅は民衆の喝采を浴びて市街地を後にする。


 この出師が後に大きな時代の潮流を作ることを、彼らは知らない。

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