第七話 『精霊の召喚』
「レスティカーザにて、戦の準備が始まりました。攻撃目標は我がヴィナバードの模様。緊急評議会を開催いたしますので、猊下にもご臨席を賜りたいとのことです」
部屋に駆け込んできたエルボン府主教の言葉に皆が衝撃を受けている中、レイスリッドだけが余裕の表情で口の端を吊り上げた。
「やはりな」
「レイスリッド殿?」
既に状況を飲み込んでいるかのようなレイスリッドの言葉に、エルボンは驚いた。
「今、その可能性について話し合っていたところです。正装に着替えたらまいりますので、先に行ってください」
エルボンは一礼すると、やや落ち着きを取り戻して退室した。
こういう時のミーアは毅然としている。父親の背中を見て育ったせいか、総主教としての在りようを肌で学んでいたようだ。
「せいぜい話し合うことだな。恐らく結論は出ないから、根を詰め過ぎるなよ」
「うん……」
ミーアが二人の相談役とセラーナを従えて退室する。
部屋にはロベルクとレイスリッドが残された。
四人の足音が消える間もなく、レイスリッドはロベルクの方に向き直る。
「どうやら、あまり時間がなさそうだな。行くぞ、ロベルク君」
「え?」
怪訝そうなロベルクに対し、レイスリッドは玩具を貰った子どものような表情を滲ませていた。
「君を精霊使いとして戦力にするための訓練さ。あ、そこの精霊力をバリバリ撒き散らしている剣も持ってきてくれよ」
レイスリッドが、相変わらずゆらゆらと冷気を吐き出しているロベルクの剣を顎で指し示した。
物騒な物はあまりひけらかしたくないロベルクであったが、その剣が発する隠しきれない程の氷の精霊力は、仮にレイスリッドのような精霊使いでなくても、その発生源が霊剣――精霊を封じた武器であることに気付かせてしまうであろう。
この世には魔法の掛かった武器が三種類ある。
精霊を住まわせ、その属性に応じた霊的効果を得る武器が『霊剣』。
材質に対し、魔術によって物理的・化学的な効果向上を付与した武器が『魔剣』。
神の名や言葉を刻み、祈りを捧げて聖別することによって祝福を得る武器が『聖剣』。
どれも通常の武器より高い性能を持つが、霊剣と魔剣は特に能力の向上が大きい。しかし、霊剣は精霊との交信を必要とし、魔剣は魔術の複雑な法則に精通している必要がある為、非常に高価であり、なかなか目にする機会はない。聖剣は前述の二種ほど高い効果はないが、『聖別』は時間こそ掛かるものの比較的一般的な祈祷なので、聖剣の製作・販売は聖職者の修行の一つでもあり、各神殿の財源にもなっている。因みに、魔法の槍や斧を『霊槍』『魔斧』などと呼ぶことは少なく、どのような魔法で強化された武器かという区分で『霊剣』『魔剣』『聖剣』と呼称されることが多い。
ロベルクの霊剣は、神話に精通した者が十人居たら十人とも卒倒するような存在が封じられた逸品中の逸品である。ところがその逸品は、気の急いたレイスリッドによってまるで箒のような気軽さでロベルクに投げ渡された。
二人はそのままいそいそと練兵場へと向かうのだった。
聖騎士と聖兵が訓練をする練兵場は街の南外れにあり、首都のそれよりは小規模だが、陣形の訓練も行える広さを持っていた。土塁や水壕も備え、有事の際は防壁をもたないヴィナバードの防衛線にも使えるようにしてあった。だが、まさか内戦で北から攻められようとは、当時の人も考えもしなかったのだろう。
レイスリッドはまず、丁寧な物言いは無しにしようと持ちかけ、ロベルクも承諾した。
「さてロベルク君……いや、ロベルク。お前は精霊を使ったことはあるか?」
「いや」
「そうか」
レイスリッドは短く返事をすると、精霊魔法についての仕組みを話し始めた。
この世界は、物質、精霊、そして全ての狭間を満たす界子によって成り立っている。その中の、精霊に呼びかけて物理的な変化を促す術を、精霊魔法という。
例えば、とレイスリッドが上空を見上げると、虚空に風の乱れが生じた。砂が巻き上げられると、そこに人の形があることが見て取れた。
「俺が使役する、風の精霊だ。身の回りから精霊の起こす現象を感じ、それを触媒として精霊を呼び出し、そして力を行使する。このように……」
レイスリッドは土塁の一つに掌をかざした。
「雷となって貫け!」
レイスリッドの掌から轟音とともに電撃が撃ち出され、土塁を粉砕した。
ロベルクは一歩後ずさった。
「こんな力が、僕にもある……?」
「多分、俺より強い」
「そんな事が……」
言いかけて、ロベルクに記憶の断片が蘇る。
一瞬で凍りつく大地。
氷像と化した森妖精たち。
自分を守った、『御使い』と呼ばれる神の代行者――フィスィアーダと、氷の剣。
そして、血の契約とともに与えられた、しもべ。
(僕には、既に使役する精霊がいる)
名は……
「氷の王、シャルレグ……」
「何ぃっ!」
その名を口に出した途端、ロベルクの心の奥底にある冷えた部分を、何かが通り過ぎた。
頭上に、氷の塊が姿を現す。
その体躯は蜥蜴にしては余りに巨大。
背から生える翼はコウモリにしては余りに力強い。
顔立ちは鰐にしては余りに威風堂々とし、角や鬣に飾られている。
それは、氷の身体を持つドラゴンの姿をしていた。白い全身に透明な鱗を纏い、冷気と、圧倒的な威圧感を迸らせながら浮遊している。
「まさか、これ程とは……」
今度はレイスリッドが一歩後ずさる番になってしまった。
初歩的な精霊使いは、精霊の協力を得て魔法を行使する。この段階の魔法は一般的で、街を歩けば二・三人は視界に入る程度には使い手が存在する。術者の交信能力と、精霊との信頼関係が高い場合、精霊を使役して強力な力を発揮させることができる。この段階の精霊使いは一人で一軍と対峙できる力を備えており、一つの国家に片手で数えるほどしか存在しないと言われている。さらに『精霊の王』となると、精霊の上位に位置する伝説上の存在である。「確かに居るが誰も見たことがない」という『精霊の王』は、天変地異の原因として噂に上るのが精々で、人の前に姿を現すなど、誰も――レイスリッドですら、思いもしなかった。
「……俺は味方にも敵にも強力な精霊使いを知っている。だが、『精霊の王』を見るのは初めてだ」
呼び出された氷の王を、レイスリッドはまじまじと見上げる。驚きは一瞬で、その後は知的好奇心がそれを上回った。だが彼は精霊の使い方を教えることを忘れてはいなかった。
「さあロベルク、命令をするんだ。信頼関係や服従の度合いにもよるが、想像力が使い勝手を左右する」
ロベルクはしばし思案したが、ややあって命令を下した。
「街から北西に延びる街道を雪で埋め尽くせ」
ドラゴンは一礼すると、ロベルクが指さした方角に消え去った。
直後、街の北西、すなわちレスティカーザの方面に白雲が垂れ込める。
「そんなとんでもない命令を実行できるのか……こいつはすごい。これでレスティカーザの師旅は一週間は足止めを食う。溶ければ街道の足場はめちゃくちゃだ。効率がいいぞ」
レイスリッドは投げやりに拍手をしながらも、ロベルクの魔法の力に満足げな笑みを浮かべた。
これがロベルクが最初に自ら使った精霊魔法であり、ロベルクが精霊使いとしての第一歩を踏み出した瞬間であった。
一方、評議会では何の結論も出ないまま、レイスリッドの予測したとおり、二日間の浪費をした。混乱による治安の乱れを防止すべく、近く市民軍が召集されるという決議が為されただけでも、奇跡的前進と言える。
逆にロベルクは充実した二日間を送ることができた。精霊をうまく使役するこつや、自分の精霊を通じて他の元素の精霊に助力させる方法など、様々なことをレイスリッドから学んだ。
ロベルクが最も興味を示したのは、『風走り』といわれる術だ。自分の背後に強い追い風を起こして、徒歩程度の体力消費で駆け足並みの移動ができるという術である。精霊使いにとっては一般的なのだが、今まで精霊魔法に接してこなかったロベルクには、精霊魔法の便利さの象徴のように映った。
レイスリッドはロベルクへの教授に次いで、ミーアに全権委任された軍事面について改変を行い、聖騎士団・聖兵団の再編成をした。
聖騎士団は、司祭以上の神品を持った聖職者で構成されている。戦場では騎乗して戦い、神殿からは『聖剣』と呼ばれる聖別された武器を授与されている。聖兵団は首補祭以下の神品を持った者達であり、徒歩で戦う。これまで、聖兵は聖騎士の見習い的な位置付けであったが、レイスリッドはそれを改め、徒歩で戦う聖兵を、騎乗して戦う聖騎士とは独立した編成にし、それぞれの機動力を生かせるようにした。また、聖兵団の指揮を、四人の聖騎士隊長の中から指導力に優れたレナ・ラグス隊長に任命し、聖騎士団の下位組織とすることで、聖騎士達の面目も保った。
「これで、五百の聖騎士と二千の聖兵、二千五百人全員を効率よく運用できる」
この時、ラウシヴ神殿が運用できる聖騎士と聖兵、つまり訓練を受けた戦士の総数が二千五百。この心許ない人数で、老人子どもも含めて五万の人口を擁する街を守り通さねばならないとするならば、一人たりとも無駄にすることはできない。徹底的に虚飾を排するレイスリッドの辣腕に、今までお飾りだった聖騎士達や聖兵達は、否応なく実戦への緊張を高めていった。
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