第六話 『妖精たちはこの街を頼っている』

 五人が部屋に入った時、ロベルクは既に食事を終えており、窓から外を眺めていた。


 扉を開ける音にロベルクが振り返る。


 森妖精の血が為す、余りの容貌の整いぶりに、ミーアは言葉を失った。妖精難民の受け入れについて、率先して旗振り役をしていた割りに、もれほど間近で森妖精を見るのは初めてだった。


「ロベルクさん、こちらは当神殿の代表、ミーア・ウィナス総主教です。こちらは相談役のエリュティア首司祭とツェルスニー長司祭。そして恋び……いえ、居そうろ……でもない、軍事顧問のレイスリッド・プラーナス」


 代わりにセラーナが紹介役をする羽目になった。


「ありがとうございました。僕はレスティカーザのロベルクです」

「あ……えっと……この度はお気の毒様でした」


 ミーアが、威厳も何もあったものではない挨拶をする。


「レスティカーザか……」


 代わって、最も後ろに控えていたレイスリッドが反応する。


「そりゃ都合がいい」

「レ……レイスリッド!」


 はっとしたミーアがレイスリッドを窘める。


「おお、怖っ」


 レイスリッドは肩を窄める素振りをして壁まで引き下がった。


「……都合がいいとは、どういうことでしょう。解放もしていただき、ミゼーラの埋葬までしていただきました。僕にできることがあれば、させてください。多少のお金もあります」

「お金の話ではないの」


 ミーアは立ったままロベルクを正視するのが落ち着かず、とりあえず寝台の横の椅子に腰掛けた。


「今、ヴィナバードは、歴史ある自由都市としての矜持と、突然下された妖精排斥の王命との間で揺れているわ……」


 ミーアは、己が率いるヴィナバードの窮状を語り始めた。


 自由都市ヴィナバードは、ラウシヴ大神殿を中核として発展を遂げた都市である。一応はリグレフ王国領となっているが、それは王国が風神ラウシヴを国教とすることと引き換えに、地図上の領土とすることを認めるという約定が交わされている為であり、ヴィナバードは成立当初から自治を行ってきた。王国への租税義務も免除されていたのだが、数年前に賢王と言われた国王ラニフⅤ世が崩御し、新国王クラドゥⅡ世が即位した辺りから、政府のヴィナバードに対する態度が変化してきた。


 まずは工事の依頼書が乱発された。ヴィナバード側が必要と判断した物のみ受諾していると、依頼書は命令書に名を変えた。


 また、総主教の近親者をリグレジークの神殿に配置するよう、指示があった。つまり人質を要求してきたのだ。


 他の都市を預かる諸侯は皆行わされていることであるが、王国成立から六百余年、それを自由都市ヴィナバードに要求したのは、クラドゥⅡ世だけであった。


「ま、色々と前代未聞の話って訳だ。ミーアはリグレジークに行かなくて正解だったな。で、今回の王命についてだ」


 レイスリッドは壁に寄りかかりながら、ミーアの話を補足していった。


 セラーナが説明を引き継ぐ。


「首都で妖精排斥が始まり、総ての街に追従を要求する早馬が出された。レスティカーザは妖精狩りまでして王への忠誠を見せ、ママドゥイユは準備中と称して様子を見ているわ。すると、王命を曲げてまで妖精の難民を受け入れる人道的な街は、国内ではヴィナバードだけってことになるわね」

「鋭いね、セラーナ君。政治家みたいだ」


 レイスリッドが壁に寄りかかりながらセラーナをからかう。


「その結果、どうなるかな?」

「ヴィナバードは国王陛下の御不興を被ることになるでしょうね」

「うーん、惜しいね。八割正解ってところだ」


 レイスリッドはふざけた言葉とは裏腹に、真顔で腕組みをしている。


「近い内にヴィナバードは王軍の侵攻を受ける……もしレスティカーザ伯の軍が先鋒なら、猶予は殆どないのでは?」


 ロベルクの指摘にレイスリッドは瞠目した。


「驚いたな、大した戦略眼だ。兵法を学んだことがあるのか?」

「いえ。しかし、相手の立場に立つならば、自ずとそうなることでしょう」

「その通りだロベルク君。ついでに言うならば、ここは自治領だから国王が紛争の解決をする義務はないことになっている。つまり、都合良く法解釈をすれば、一貴族が国王の許可なく侵攻することのできる土地ということができる」


 その場にいた五人は、ヴィナバードに危機が迫っているという認識で一致した。


「そこで、ロベルク君には直近のレスティカーザの様子を教えてもらいたい」

「実は、レスティカーザ方面から神殿を訪れる妖精の難民が、あなたを最後にぱったりとなくなったの。しかも最後であるあなたは心身共にボロボロで、行き倒れている始末」


 セラーナはロベルクの身の上を案じてか、申し訳なさそうにロベルクを頼った理由を説明した。


 ロベルクは暫く押し黙っていたが、意を決したように口を開いた。


「排斥の噂だけで素早く避難した妖精たちは幸せでした」


 ロベルクは、自分がどうやって生き延びたかを語った。


 首都リグレジークでの妖精排斥の噂は、王命を携えた早馬より早く全国に響き渡っていた。そこで悲観したか楽観したかが、レスティカーザに住む妖精達の命運を真っ二つに分けたと言える。城壁の外に住んでいたロベルクの耳には、当日になってやっと届いた。ギルドの大親方のお陰で難を逃れることができたが、同居人であったミゼーラの死という大きな代償を払うこととなった。


「多分、レスティカーザの妖精は、もうやって来ないでしょう……」


 ロベルクは息を大きく吐き、感情を殺した。


「……あの日、総ての妖精は、匿った人もろともに殺されたはずです」


 小部屋を沈黙が支配した。


 ジオ人のレイスリッドはともかくとして、ミーアたちは自由を司る風神ラウシヴの信徒であり、今回の王命は信条的に受け入れがたいものである。だが、王に反旗を翻してヴィナバードの民とラウシヴ大神殿を守れるのか、と言われれば、絶望的な未来しか描けずにいた。


「……この街の指導者の判断によっては、僕は早々に立ち去らねば、皆さんに迷惑がかかりますね」

「全く迷惑だよ、ロベルクさん」


 妖精排斥の生々しさに、堪らずツェルスニーが吐き捨てた。


「激化する妖精排斥、膨れ上がる難民人口、その上君は体面上はうやむやにされていた妖精難民の行き先を吹雪によって視覚的に示した。我が街が抱える問題がさらに深刻になってしまったではないか!」


 顔を強張らせるロベルクに、容赦なく詰め寄るツェルスニー。


「この、疫病……」

「ツェルスニー長司祭、そこまでにしましょうか。それについては、猊下が直々にお決めになることです」


 熱量を高めるツェルスニーを、エリュティアがやんわりと、しかしきっぱり引き戻した。ツェルスニーは微かに舌打ちすると、引き下がる。


 それを見たミーアの表情に、廊下で陥った迷いが甦った。ちらりとレイスリッドの顔色を窺うと、彼は「とにかく喋ってみろ」と顎で指し示した。


「……実はこの街の指導者は今、私なの」


 意を決してミーアが口を開いたものの、考えがうまくまとまらずに黙り込んでしまう。


 二十歳にも満たない少女が、数万人を抱えるヴィナバードの命運を左右する指導者。この街の危機的状況を如実に表している現実だ。年齢は経験の量を左右するとするならば、ミーアの笑顔の陰にうっすらと見え隠れする迷いは、心の中で底なし沼のようになっているであろうことが想像できた。


 ミーアの脳裏には、地図の上の方から足音を轟かせてくる兵達の集団が見えていた。それは目の前の半森妖精を強制送還し、多少の金品や宗教的利益を添えてやれば回避できる可能性を孕んでいるように思えた。

 しかし同時に彼女の耳は、ロベルクが発した言葉の後ろに、今この街にいる数千からの妖精達の声を聞いていた。そして彼女の目にはこの瞬間、大神殿を慕って人々が集まったこの街が守らねばならぬものが何なのか、おぼろげに見た。

 この時点では迷いに溢れた少女にしか見えないミーアだが、既に指導者としてそれなりの器量を持っていたとも言えた。彼女は大きく深呼吸すると、ロベルクと視線を合わせる。迷いの当事者を前にしているうちに、自然に口を開くことができた。


「私ね、こんな歳で総主教になっちゃったもんだから、色々と迷っちゃってさ。本当は、ヴィナバード市民の安全を守れる可能性の高い選択をしなくちゃならないんだけど、妖精たちはこの街を頼ってやってきているわけで……そういう人たちのことを無視して、何も考えずに国王の命令に従うのも、何か違うんじゃないか……って」


 散々迷った挙げ句、ミーアは『何人なんぴとも自由に生きることができる』という結論に至った。総主教ののたどたどしい回勅に、エリュティアは豊かな胸をなで下ろした。そしてレイスリッドは上方に、ツェルスニーは下方に、それぞれ口角を歪めた。


 方針が定まったと見て、ずっと壁にもたれていたレイスリッドがツェルスニーを押しのける。一生懸命意見発表をしたミーアに馴れ馴れしく近寄ると、よくやったとばかりにその肩に手を乗せた。


「そう言うわけで、ヴィナバードは王軍に一泡吹かせて、クラドゥを黙らせようとしているわけだが……」


 レイスリッドが事も無げに言った言葉に、その場の視線が集まった。ツェルスニーの目は若干の異論を湛えていたが。


「そのためにロベルク君には、盛大な葬儀と献身的な看護の代金を、傭兵として働いて返して貰いたい」


 レイスリッドに集まった視線は、そのままロベルクに移動した。


「僕が……」


 ロベルクは呟いた。


「それは構わないのですが、お力になれるでしょうか」

「なるも何も、俺は君から強大な精霊力を感じている。一人の強力な精霊使いは、百人の兵に勝る」

「待って」


 レイスリッドの話を遮ったのはセラーナだ。


「ヴィナバードの民を戦に巻き込むつもり?」

「それ以外にどんな案が?」


 レイスリッドは聞き返した。


「例えば、使者を立て、話し合いで解決するとか、国教ラウシヴの教義に反すると説得……」

「甘い」


 レイスリッドはセラーナの意見を一蹴した。


「俺は、クラドゥがラウシヴの教義を把握した上で、今回の暴挙に出たと考えている」


 妖精は独特の律儀さがあり、人間より絶対的に秀でた面を持つ、為政者に取っては喉から手が出る程ほしい労働力でもある。それをむざむざ自国から追い出すような政策をとるということは、人間と妖精の自由な交流を推奨するラウシヴ神との決別の意思表示だ、とレイスリッドは考えていた。


 セラーナは反論の言葉に詰まった。


 レイスリッドは、元はジオ帝国の貴族であり、一騎当千の大将軍であり、短い間ではあるが二十代で宮廷魔術師まで務めた男なのである。まつりごとの第一線にいた男に、感情論ではなく、論理的に現状を説明されては、セラーナに反論するすべはなかった。


「何も今からリグレジークを攻め落としに行こうってわけじゃない。だが、国王と決別するにしても考える時間を稼ぐにしても、ヴィナバードを守り抜くことが大事だ。そのためには今からでも練兵することと、ロベルク君の力が必要になってくる」

「待ってくれレイスリッド殿」


 今度はツェルスニーが話を遮った。


「数日前にやってきたばかりの妖精難民を戦力として勘定に入れるなど、不確定要素が多すぎやしないか? あと、わざわざ妖精を矢面に立てて伯爵を挑発するような真似をする必要はないと思うが」

「ツェルスニー殿、あんたは精霊魔法は使えないんだったな」

「それがどうした?」


 苦手分野を指摘され、露骨に機嫌を損ねるツェルスニー。


 レイスリッドはそれを知ってか知らずか、平然と話を続けた。


「ロベルク君の精霊力は、俺でも薄ら寒くなる程とてつもない。それと、見たところ彼の妖精迫害に対する憎悪は本物のようだ。少なくともレスティカーザ伯との戦闘に関しては確実に味方であると考えていいだろう。何なら……俺が保護責任者になろう」


 レイスリッドの最後の一言に、二人の遣り取りを聞いていたロベルクが、はっと顔を上げる。


「レイスリッド……さん。そこまでしていただいては還って心苦しいです」

「気にするなロベルク君。そのかわり、戦場ではしっかり働いて貰う」


 レイスリッドがそこまで話した時、部屋の扉が開き、薄手のローブを身に纏った初老の男が、取り乱した様子で駆け込んできた。補佐役のエルボン府主教である。


「猊下……」

「信用できる人達です。そのままお話しください」


 ミーアは少女の素顔を一瞬にして総主教の威厳で覆うと、声を潜めようとするエルボンを制し、話すよう促した。


 エルボンは畏まると、報告を始めた。


「レスティカーザにて、戦の準備が始まりました。攻撃目標は我がヴィナバードの模様」


 一同の脳裏に電撃が走った。

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