第五話 『新米総主教猊下』

 廊下では既に四人の人物が待ち構えていた。


 一人はセラーナと同じ、白地に緑の模様をあしらったラウシヴの司祭衣を纏う、豊かな栗色の髪の少女。目尻の下がった穏やかそうな面差しに反して、全身から躍動的な気を発しており、健康的な魅力に輝いていた。彼女の後ろにはその地位を表すかのように、金髪の落ち着いた女性と、深い山吹色の髪をした紳士的な男性を従えている。もう一人は、ゆったりとした黒衣に身を包んだ二十代くらいの長髪の男だ。


 セラーナは、栗色の髪の少女に恭しく頭を下げると、看護していた難民の変化について報告を始めた。


「ミーア猊下、『吹雪の男』が目を覚ましました」

「『猊下』はやめて」


 その呼びかけにミーア、おまけに『猊下』と呼ばれた栗色の髪の少女は、あからさまに不満を表した。


「セラーナ……あと、その最敬礼やめようよ~」

「猊下。いい加減、総主教としての自覚を持っていただかないと」


「でも、『猊下』って、年寄り臭いよ。セラーナなんてそんなに歳も変わらないのに。それよりも、女皇様……姫……私、『姫』がいい!」


「げ・い・か」


 セラーナは唇に指を当てた。


「このラウシヴ大神殿で、ラウシヴの司祭衣を着ている時は、『ラウシヴの使徒』という物差しで物事を計らなくてはなりません。老婆であろうと若かろうと、あなたは総主教。敬称は『猊下』。それが秩序というものです、猊下」

「ラウシヴ神はお前を選んだんだよ。げ・い・か」


 廊下の壁に寄りかかった黒衣の男が、からかい半分にミーアを敬称で呼んだ。

 この男はレイスリッド・プラーナスといい、一年程前に『空から落ちて』きた。遥か西方にあるジオという国の大将軍兼宮廷魔術師だったらしいが、戦争で敵の魔法を受け、ここまで吹き飛ばされたという。神殿で怪我の手当てを受け、以来ここに居座っている。広範にして深い知識を持っていることは話しぶりから伺い知れるが、魔法をかけたことはなく、その腕前は誰も知らない。噂では、風の精霊を使役して女性副補祭の衣を捲り、ミーアに酷く叱られていたとかいないとかいう程度である。だが、薄褐色の鬣のような髪と深遠な藍色の瞳は、大魔導師として充分な雰囲気を醸し出していた。


「猊下、ホレ」


 レイスリッドが遊戯用の握り拳ほどの鞠をミーアに放る。


「え? あ」


 ミーアが咄嗟に掴んだ革拵えの鞠は、パンと軽い音を立てて弾け飛び、指の間から詰め物の穀物がサラサラと落ちた。


「ぇあ~……」


 握り潰された鞠の残骸を見て、ミーアが落胆する。


「そのお力こそ、ラウシヴ様の御加護です」


 後ろに侍っていた金髪の女性がミーアに言い聞かせた。


 この世界では、常人を遥かに超えた能力をある日突然、もしくは生まれつき得ることがある。それを人は『神の子』と呼び、その力を得た者は大抵、力を与えたもうた神の下で聖職者となる。


 ミーアの場合は昨年、父親が亡くなった日に『神の子』の力を授かった。しかし、授かった能力が余りに強大だったことと、父であるユーク・ウィナスが聖職者の最高位である総主教だったことが、彼女の立場を狂わせた。


 神学校を出たばかりの者は通常、『伝教者』という神品(神殿の階位)を授かる。総主教の娘であるミーアは、もっと高い神品に就くことも可能であったが、父子共に縁故による昇格をよしとせず、ミーアは高等神学校に入学した。そして卒業後は、他の学生と同じく、二階級上の『補祭』から聖職者生活を開始する筈であった。


 しかし、在学中に父が亡くなったことと、同時に強大な『神の子』の能力を授かった事で事態は一変する。


「我こそは総主教」と思っていた各地の府主教や大主教たちは、次期総主教選定会議の場で、ミーアが四頭立ての馬車を片手で持ち上げて整理するのを目の当たりにし、また様々な場での扱いやすさも考慮して、満場一致でミーアの総主教就任を議決したのだ。


 もしこの時、ジオの府主教や、その隣国ウインガルドの府主教が、辣腕で知られたレイスリッドが将来居候になることを予見できていれば、このような軽挙は為されなかったであろう。運命がミーアを総主教に選んだとも言えた。


「ミーア、もう諦めろ。『吹雪の男』から話を聞きたい」


 レイスリッドが入室を促した。


 セラーナが扉の取っ手に手を伸ばす。


「お待ちください!」


 続いて扉に向かおうとしたミーアの動きを遮った者がいる。さっきまで彼女の後ろに控えていた男だ。他の教団であれば重罪ものの所業であるが、自由の神ラウシヴの教団内においても、本来は十二分に不敬な行動である。


「何よ、ツェルスニー」


 ミーアの、あからさまに不機嫌そうな返事を聞き、不敬に気付いたツェルスニー長司祭は数歩跳び退いて最敬礼をした。もっとも、ミーアの不機嫌さの対象はツェルスニーの不敬ではなく、自分の居心地の悪い神品に対してであったが。


 ツェルスニーは一瞬平伏したが、ミーアの返事を発言の許可と捉え、口を開いた。


「猊下、俺……私は反対です」

「普通に喋りなさいよ、ツェルスニー」


 不機嫌状態のミーアは、ツェルスニーの言葉を刺々しく遮る。


「は。俺は反対です。『吹雪の男』は、レスティカーザからの街道を、大規模な吹雪と共にやってきました。他の妖精とは違い、レスティカーザからの妖精難民であることが明白すぎます。レスティカーザ伯に余計な敵意を植え付ける元になると考えます」

「じゃあ、ツェルスニーはどうしたらよいと思う?」

「は。早急に強制送還するのがよろしいかと」

「ツェルスニー長司祭、それではヴィナバードの妖精保護方針と、今までの妖精受け入れ態勢、二つに反することになりますよ?」

「エリュティア首司祭は別な意見ね?」

「はい、猊下」


 エリュティア首司祭と呼ばれた金髪の女性が、司祭衣に包まれた蠱惑的な身体を折り曲げて一礼する。因みに首司祭の一つ下位が長司祭、そのさらに四つ下位が補祭である。


 エリュティアが口を開いた。


「確かに、わがラウシヴ大神殿は大量の妖精難民を受け入れており、王党派からは苦々しく思われています。しかし、それは今に始まったことではなく、『吹雪の男』一人を強制送還したところで、その感情が終息するとは思えません。むしろ、送還する可能性がある、という事実ができてしまう事の方が、大神殿への信頼やラウシヴ神への信仰心にとって痛手となるのではないかと考えます」

「ん~」


 ミーアは親指と人差し指を額に当てて考え込んだ。どちらも正論に聞こえる。ことあるごとに真逆の意見を具申する二人の側近であったが、ミーアは二人の意見をどちらも大切にし、自分自身の考えが偏らないようにすることを心がけていた。だが、(私は総主教、しっかり決めなくては)などと真剣に考えている内に、白磁の頬が徐々に桃色に火照り、片頬が引きつってくる。


 ややあって、ミーアは考える事をやめた。顔の火照りが収まり、運動した後のような清々しい笑顔がこぼれる。


「うん! わからないということがわかったわ。『吹雪の男』から話を聞いてから、もう一度考えましょう」

「猊下!」


 ツェルスニーが止める間もなく、ミーアはさっさと自分で扉を開き、真っ先に入室した。だが、総主教としての責任より好奇心が勝っての行動だと気付いたのは、レイスリッドだけだった。


「まったく……ミーアらしいぜ」


 レイスリッドは軽く肩をすくめると、最後に部屋へと足を踏み入れた。

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