第二章 戦乱の序曲
第四話 『目覚め』
ラウシヴ大神殿所属のセラーナ捕祭が、門前で行き倒れた半森妖精の看護を始めて、三回目の朝を迎えた。
小部屋の扉を開けると、ひんやりした空気を白い頬に感じ、昨日と同様の姿勢で眠る半森妖精が目に入る。
堅焼きパンと山羊乳のカップが乗せられた盆を寝台の横のテーブルに置くと、椅子に腰掛けた。彼女は上から任された観察の業務を始めた。昏々と眠るこの青年に何か反応はないか見つめる。異様に少なかった呼吸の回数は、この三日で回復しつつあった。
(それにしても、整った顔立ちね……)
セラーナは、目覚めない半森妖精に羨望の眼差しを向けた。
人間の持ち得ない容貌や能力を持つ妖精を妬む者は確かに存在する。
生まれながらに精霊との対話が容易な妖精たち。
整った容貌と深い知性を持つ森妖精。
力強い体躯と器用さを持つ山妖精。
俊敏さと強靭な精神力を持つ草原妖精。
肺とエラを持ち、水中を自由に行き交う海妖精。
他にも様々な妖精達がこの世界で暮らしているが、どの妖精族にも共通する羨望の的は、人間より長い寿命だ。
無論人間も、他種族を圧倒する繁殖力を持ち、体内の精霊力の均衡がとれているという長所があるのだが、どうも無い物ねだりをするという短所も兼ね備えてしまったらしい。
セラーナはと言えば、自身は柑橘のように弾ける瑞々しさを持った美少女であり、能力で困った事もなかったのも手伝って、妖精を妬む類の人間に育ってはおらず、淡々と看護を行っていた。深い漆黒に濡れた瞳で、半森妖精の容姿を観察する。
柔らかそうな白金色の髪。
妖精にしては耳の尖りがさほど鋭くない。人間との混血なのだろうか。
樹皮色の衣服は洗濯を重ねた粗末なものだ。それに包まれた体躯は妖精のわりにがっしりとしている。かと言って、隆々といった感じではなく、細く無駄のない体つきだ。毛布から覗く手が荒れている。肉体労働でもしていたかのようだ。
(今日も、目覚めないかしら)
セラーナは後頭部で一つにに束ねた艶やかな黒髪を掻き上げ、先刻まで汗ばんでいた首筋に空気を当てた。どこからともなく気品が薫る美しい首筋から鎖骨へ、冷やされた汗が一筋流れる。それが流れ込む谷間は、残念ながら十分な高低差を持ち合わせてはいなかった。
異常気象が起きたのはあの晩のみで、ヴィナバードにはまた残暑が戻っていた。
この部屋が涼しいのは、所持品にあった剣が冷気を吐き出しているからだということは、一昨日のうちに気づいていた。持ち物に名前を示す物は一切なく、神殿としてはとりあえず彼を『吹雪の男』、亡くなった少女を『吹雪の女』と呼んでいた。
セラーナが、三度目も相手に恵まれなかった朝食を下げようと盆に手を掛けた時、半森妖精の瞼がピクリと動いた。
瞼はゆっくりと開かれ、翠緑色の瞳が現れる。漆喰の塗られた白い天井をじっと見、身じろぎ一つしない。
「ここは……どこだ」
それが、彼が最初に発した言葉だった。
セラーナは持ちかけた盆を置いた。
「気がついた? よかった」
声に反応した『吹雪の男』は顔を横に向けた。
セラーナは、彼の一挙手一投足を見逃すまいと、ロベルクを見つめ続けた。
「ここはヴィナバードのラウシヴ大神殿よ。あなたは三日間も眠っていたの」
半森妖精の翠眼がセラーナの瞳を覗き込んだ。
「あなたが僕の看護を?」
「付きっきりという訳じゃないけどね」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。あたしはセラーナ、ラウシヴ大神殿の補祭よ。起きられる?」
セラーナに促されて、身を起こす。脚の筋肉に微妙な違和感を感じているようだ。
起き上がった彼は何事かに気づき、急に忙しなく辺りを見回した。
「ミゼーラは? 彼女はどうなりました?」
セラーナは、それが運んできた少女の遺体の名だと理解した。
「ご一緒にいらした女の方ね。丁重に埋葬させていただいたわ」
「……重ね重ねありがとうございます」
彼は頭を垂れた。同時に溜め息が漏れ聞こえた。
「……僕はロベルクと言います。レスティカーザのロベルク」
ロベルクは寝台から身を起こしながら名乗った。
悪い感じのする男ではないと、セラーナは直感した。一般的に森妖精が若干高慢だという印象を持たれがちだが、そんな雰囲気はなく、物腰には生来の品の良さを感じる。
それにしてもレスティカーザから遺体を抱いたまま、徒歩でヴィナバードまで来るとは、どういうからくりか。通常、七日以上かかる行程である。遺体も込みで旅人を泊める宿もあるまい。そもそもそれだけの時間が経っているのに、遺体の時間による傷みは全くと言ってよい程無かった。ではどのようにして? 謎は尽きず、分かったのは二人の名前と出身地のみ。
「レスティカーザ……」
セラーナの眉が微動する。
レスティカーザ。ヴィナバードから西の街道を十日弱ほど進むとある、中規模の都市だ。
良い印象はない。
にわかに発令された妖精排斥の王命を、もっとも迅速に、もっとも苛烈に遂行しているのは、『国王の犬』と揶揄されるレスティカーザの領主であった。大量の妖精がレスティカーザから流出し、それを受け入れたのは、妖精の生活に自由を保証することを表明していた自由の神、風神ラウシヴの大神殿を頂くヴィナバードである。
セラーナは気を取り直し、食事を勧めてみることにした。
「おなか、空いてない? よかったら、どうぞ」
「……いや、申し訳ありませんが……」
ロベルクは言い澱んだ。彼は確かに空腹の筈である。セラーナはすぐに、国王令に対する警戒と察した。
「毒とかは、入ってないわよ。何なら、あたしと半分こする? あたしも朝食がまだだから」
ロベルクはその言葉にはっとし、人間流に謝意の姿勢をとった。
「申し訳ありません。頂きます」
「しばらく何も食べていないのですから、少しずつおなかに入れてね」
ロベルクが山羊乳を一口、口に含んだ。
「……美味しい」
「よかった」
セラーナはにっこりと微笑むと、立ち上がった。
「そのまま食べていてね。あたしは、あなたが起きたら人を呼ぶよう言われているから」
セラーナは椅子から立ち上がると、ロベルクの食事を邪魔しないようにそっと部屋を出た。
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