第三話 『人間の会』
ロベルクが小屋の全景が見える所まで辿り着いたた時、炎に包まれた小屋の屋根が地響きを伴って崩れ落ちた。
人が、小屋を遠巻きにしているのが見える。数にして十一人。だが、どうも様子がおかしい。彼らは延焼を防ぐ為の破壊行為をする者もなければ(延焼する隣家もなかったが)、裏の川から水を掛ける者もない。ただ焼け落ちる様を見ていた。そして異様なことに、全員揃いの白いフード付きマントに身を包んでいた。
入口があった辺りでは、人が倒れている。
あれは……ミゼーラだ。
ロベルクは暴れる心臓の抗議を無視して、再度駆け出した。
必死の形相で走り寄る妖精の姿に、小屋を取り巻いていた群集は数歩後ずさる。
そんなものは一切視界に入らないかの如く、ロベルクはミゼーラを抱き起こした。
「ミゼーラ!」
「ロベルク……ね」
その時ロベルクは、ミゼーラの煤けた服が至る所で斬り裂かれ、血まみれになっていることに気付いた。
「ごめんなさい……わたし、リットのお嫁さんに……」
そこでミゼーラの言葉は途切れた。
急速に体が冷えていく。
ミゼーラの命の火は、消えた。
ロベルクは亡骸になってしまったミゼーラを、ただ抱き締めていた。慟哭の震えがミゼーラの身体に伝わる。まるでそれがミゼーラの命を取り戻す手段であるかのように、ロベルクはミゼーラを抱き締めたまま、むせび泣いていた。
群集の中から一人の男がロベルクに近づいてくる。白いフードを取ると、カールした橙色の髪と白い顔が姿を現した。
「さてと……」
男はロベルク越しにミゼーラの身体を見やり、恐らく死体になっているであろう事を確認した。
「君はロベルク君だね? ミゼーラの介護をしているという……」
男の口調は穏やかだが、その表情は汚物を突きつけられたかのように歪んでいた。
「…………」
男は、ロベルクが反応を見せないことに若干の苛立ちを見せたが、気を取り直して口を開く。
「私はリット・ヴェイラーだ。『ヴェイラー香水店』の次期店主だが、『人間の会』のレスティカーザ支会長もしている。ミゼーラのことは残念だったね……」
名前を聞いて、ロベルクの背がびくっと跳ねた。
ミゼーラの婚約者がなぜここにいる?
ミゼーラの婚約者がなぜ傷ついた彼女を助けようとしなかった?
頭の中に急に抉り込まれた情報が、ロベルクに身動きを忘れさせるほど混乱をもたらした。
「本当に残念だよ。妖精を飼ったりしなければ死なずに済んだものを」
リットの言葉が、ロベルクの混乱した脳に一つの回答を導き出させた。すなわち、リットはこちらに害意を持っているということを。
ロベルクは跳ね起き、ミゼーラの亡骸を背にして立ち上がった。涙に濡れた顔も拭わず、白装束の集団を睨みつける。
「おっと」
リットはおどけた声とともに一歩下がった。
「近寄るなよ。妖精の汚い血がうつる」
リットの大人げない冗談に、周りの十人が含み笑いを漏らす。
『人間の会』の十一人が、ゆっくりとロベルクを取り囲む。フードの陰から覗く口元には残酷なものを期待する表情を浮かべていた。
「ミゼーラが妖精を飼っていたのは知っていた。私としては、当店でそんな不心得者を雇っているのは問題があるのではないかと思ったんだが、父が雇った者だし、そこそこいい女だったし、何より香水を調合する能力が飛び抜けていたからね……どこの馬の骨とも知らない貴族のモノにしてしまうには惜しい程に。私はその能力を愛してしまった」
「なぜ……殺した」
ロベルクの声色は極地の寒風の如く、白マントたちの威勢を斬り裂く。
リットは一瞬目元を震わせたが、目の前の半森妖精を殺す前に十分言葉でいたぶることを楽しもうと決めた。
「結婚する上で障害となるものは、できるだけ排除しておきたい。ちょうどいいことに妖精狩りの王命も下ったことだし、私はミゼーラの飼い妖精を殺処分し、小屋を焼却して清めるよう、会員に依頼したんだ。ところが……」
リットはそこで言葉を切ると、周囲の白マントを見回した。
「計画をミゼーラに喋った奴がいるようなんだ」
一同の薄ら笑いが凍り付く。
リットの計画を台無しにした者が、この中にいる。発覚すれば私刑もあり得る事態だ。しかし彼は、そんな不祥事を許容するように話を続けた。
「まあ、それはいいや。愛しのミゼーラは店の者の制止を振り切って小屋に戻って、小屋に火を掛けるこいつらを止めようとした。『邪魔する者は人間でも殺せ』と言ってあったので……まあ、このざまだ。私の依頼を忠実に守っただけで、この者たちに咎はない」
リットは血で汚れたミゼーラの顔を見下ろし、心から残念そうな表情をした。しかしそれは、大事なおもちゃを壊してしまった子どものような顔だった。
「ミゼーラの能力は愛しかったが、王命では『妖精を飼った者は死刑』とあるし、仕方ないよね!」
リットは吹っ切れた笑顔を浮かべると、精緻な皮拵えの鞘から小剣を抜いた。
「さあ『人間の会』会員の皆さん、清らかな人間の世の為に、この妖精を駆除しましょう!」
支会長の狂気じみた掛け声に従い、一同が鞘から小剣を抜き放った。
リットは先んじて小剣を振り上げ、ミゼーラの前に立ち塞がり微動だにしないロベルクの頸に狙いを定めた。それを妙な角度で、しかし躊躇なく振り下ろす。
このリットという男は小剣で人の頸を切り落とすことが出来るほどの使い手ではない。
剣はロベルクの頸の骨で引っかかり、苦痛の余りのたうち回る。
そのはずだった。
十一人全てが目を疑った。
ロベルクの側に落ちていた背負い袋から剣がひとりでに抜け、男の小剣を叩き落としたのだ。
「こ……これは!」
立ち塞がるように二人の間に突き立った剣。リットは柄に填められた藍色の宝石に睨まれた感覚に襲われた。
急に『人間の会』の面々は寒気を覚えた。
いや、寒気ではない。
実際にロベルクを中心とした一帯の空気が、急速に冷えているのだ。
真夏に吐息が白くなる。
大地が軋み、霜柱が立つ。
小屋の炎が熱を失って消え失せ、代わりにびっしりと霜が降りた。
金属を引き裂くような音と共に、小川の支流が凍りついた。
誰かが、ひっ、と悲鳴にも似た声を上げる。
ロベルクは、自分の心の中にある柔らかな部分が凍り付いたのを感じた。おぉ、と口から唸り声が漏れる。
「……お前等が……」
大地が凍てつくような呻き声が、ロベルクの口から漏れる。
「……お前等が何を言っているのか解らない。だが、一つだけ理解できた……」
突き立った剣を引き抜き、ずるりと持ち上げる。
「それは……お前等がミゼーラを殺したという事だっ!」
周囲の気温はもはや、吸い込むのも苦痛な程に低下していた。
「お前等があっ!」
ロベルクの叫びと共に、氷雪を伴った旋風が十一人の殺人者を襲う。逃走を試みる者もあったが、その者は、凍結した足が凍土となった地面に縫い付けられている事実を知り、恐怖をさらに募らせた。
まず、愚かにも接近しすぎたリットが巻き込まれ、叫びを上げる間もなく全身が凍結し、不恰好な氷像と化した。
他の者も、生きながら凍らされた指導者の姿を見、恐怖と、くだらない排斥運動に加わった後悔とをない交ぜなした表情を浮かべながら、次々と凍りついた。
「お前等が、お前等が、お前等がっ!」
そして、ロベルクが滅茶苦茶に剣を振り回す度に氷雪の暴風が吹き荒れ、氷像は一体、また一体と砕け散っていった。
辺り一面が遮るもののない銀世界になった。
ロベルクは剣を取り落とした。それは不自然に跳ねて鞘に収まった。
そのままミゼーラの骸に歩み寄る。周囲が白い荒れ野となった中、ミゼーラの周辺だけが優しく護られていた。
ロベルクは膝をつき、ただ呆然と、変わり果てたミゼーラの横に座り込んだ。
(ミゼーラ……)
ミゼーラはもう動くことはない。
(ミゼーラ、何故戻った……)
小さかった頃から今までの彼女が、次々と脳裏に蘇る。
もう怒ることも、泣くことも、笑うこともない。
雪原の中、静かに肩を震わすロベルクと、動かなくなったミゼーラだけの静かな時が流れた。
不意に、空白になったロベルクの頭を、以前にミゼーラがふと漏らした言葉がよぎった。
(私、旅をしてみたい。自由に旅する風の神、ラウシヴ様のように。そして、ヴィナバードのラウシヴ大神殿にお参りしてみたいな……)
その言葉と、大親方の「ヴィナバードに行け」という言葉が、ロベルクの中で同時に響いた。
(…………)
ロベルクは背負い袋を肩にかけると、ミゼーラを抱き上げた。そしてそのまま、南へと歩みを進めた。
レスティカーザには、本当に、何もなくなってしまった。
ロベルクは街道を南へと進む。茫然自失でミゼーラを抱いたまま、ただ脚がヴィナバードのラウシヴ大神殿へと歩を進めた。
総てをなくしたロベルクに、酷寒の氷雪だけが付き従っていた。
抜け殻のようになったロベルクは、昼夜を問わず脚を前に出し続けた。幾人かの勇気ある者が彼を止めたが耳に届かず、また幾人かの命知らずが彼を襲ったが全員が『人間の会』の者と同じ目に遭った。
五日後。
その晩、晩夏のヴィナバード市街は異様な寒さに見舞われた。
街の中心にある風神ラウシヴの大神殿は、精霊力の乱れを警戒して宿直の門番を増やしていた。
季節はずれの寒さに悪態をついていた宿直の武装聖職者、通称『聖兵』たちであったが、その冬用マントに白いものが舞い降りたのを確認すると、その顔が恐れに引きつった。
「お……おい」
門の反対側に立っていた聖兵も、同時に同じ反応を見せる。
雪は徐々に激しさを増し、ついには吹雪になった。
寒さと、異常な天気に対する恐ろしさに震える聖兵達。激しい吹雪は、もはや互いの顔を認識するのも難しい程になっていた。
一人が、大神殿への坂を上ってくる人影に気付いた。
「幻じゃ、ないよな?」
「ああ。俺も見える!」
暴風にかき消されないよう叫び合う彼らをよそに、人影は徐々に近づいてきた。
大きな背負い袋を背負っており、一見旅人のように見える。だが、この寒風吹き荒ぶ中、衣服は夏の出で立ちであり、胸の前には人を抱いている。耳の尖りと体格から、半森妖精のようであることが見てとれた。
「旅の人っ! 今夜は、特別警戒で、神殿には、入れないよ!」
一人の聖兵が、人影に向かって叫んだ。
だが、人影は反応する気配を見せない。
「おい! ……駄目だ! 吹雪で、聞こえてない!」
彼は仲間に集まるよう叫びかけた。
門を塞ぐように、四人の聖兵が集まる。
半森妖精が、整った顔立ちまで見える程近づいてきた時、小さく掠れた声が、彼らの耳に不思議な程はっきりと届いた。
「この人を……弔ってください……」
半森妖精は膝を折り、少女の骸を寝かせると、その横に倒れ込んだ。
聖兵たちは顔を見合わせ、絶句する。
吹雪は、いつの間にか、止んでいた。
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