第三章  死神の策謀

第九話 『森妖精に加勢を願う』

 リグレフ国王クラドゥⅡ世は極端な人間至上主義者だった。


 少年時代における妖精との確執を引きずっているとも言われているが、彼は即位後も人間を重用し、妖精を蔑視した。その言動が伝染して、今では役人全体の気風となっている。


 クラドゥⅡ世の即位と共に宮廷魔術師が入れ替えられたことも、彼の蛮行に拍車をかけた。即位の数年前から屋敷にちらちらと出入りしていた、旅の魔術師を名乗る男を、突然宮廷魔術師に抜擢したのだ。


 クラドゥが即位してからの、妖精を主とした夥しい死者はその男――ナイルリーフの献策の結果生み出されたと言っても過言ではない。


 大国リグレフは、クラドゥⅡ世が即位してから、暗い影に覆われた時代を迎えた。





 捕らえ損ねた妖精達と、それを匿う人間達を殺す為、さらには国王に対する忠誠を見せる為に、レスティカーザ伯が送り出した軍が迫っている。それを迎え撃つべくラウシヴ聖騎士団はヴィナバードを北上し、レスティカーザとの中間点よりはやや南に位置する、丘陵と森に囲まれた狭隘な地に布陣した。


 中軍にラインクの指揮する本陣と元レナ麾下の隊が構え、右翼にレナが指揮する聖兵が、左翼は、森と街道との狭い隙間にマイノールの隊が布陣した。左右がやや張り出し、鳥が翼を広げたような陣形である。


 レイスリッドは、敵の到着まであと四・五日あると見ていた。偵察の聖兵が戻ってくると、案の定、到着まで五日はかかるという報告であった。


 敵の将がダストン男爵という者であることも判明した。戦好きで、自身も馬上槍試合の名手である。


 ロベルクは軍議に招かれた。最初にレイスリッドが、ロベルクを諸将に紹介した。


「レイスリッド直属の精霊使い、ロベルクです」


 ロベルクの自己紹介に三人の隊長は顔を見合わせた。ラインクが代表して口を開いた。


「確か君は『吹雪の男』だね。せっかく亡命して命が助かったのに、戦に加わってしまってよいのか?」

「はい」


 ロベルクは即答した。


「僕は今まで、色々失いました。でもヴィナバードで、自分には力があるということを知りました。失った果てに得た力で何ができるのか、それを知りたいんです」

「なるほど……」


 ラインクはロベルクの心中を察したのか、落ち着いた灰色の目を彼に据えて居住まいを正した。


「ではまず、この戦を生きて乗り越えねばならないね」

「はい」


 ロベルクは他の二人の隊長とも挨拶を交わす。その真摯な対応に心苦しくなったラインクは、軍事顧問のレイスリッドにその場で問うた。


「ロベルクは数日前に、精霊使いとして能動的に魔法を使う手ほどきを受けたと聞いている。戦力としてい期待していいのか? あと、彼を戦場に置いといて大丈夫か? その……」

「命とか」


 ラインクが言いよどんだ言葉を、後方の椅子に控えていた紅一点、レナがさらりと口に出す。


「レ……レナ隊長⁉」

「あらラインク団長、大切なことですよ?」

「その通りだ。その点についてははっきりさせておきたい」


 レイスリッドは一呼吸すると、三人の隊長を見やった。


「ロベルクの実力に関してだが、精霊力に関してのみなら俺より上だ」

「すると、女性の衣を捲る以上のいやらしい真似を……」

「レナ隊長!」


 咎めかけて、レイスリッドは己がロベルク以外の相手に精霊魔法を披露したことがないことに気付いた。


「ロベルク、今の話は聞かなかったことにしてくれ。とにかく、とんでもない精霊力を持っていると思ってもらって構わない。無論、経験はないに等しいので、その都度俺が補助する。それと、今回の戦でロベルクは俺直属、小間使いに近い扱いなので常に本陣で俺と行動を共にする予定だから、身の安全くらいは守れるだろう……無論、『絶対』はないが」


 軽口の和みをかき消す緊張感の中、ロベルクは、この場が命の遣り取りをする場であるということを再確認した。また、現実の戦場に絶対安全は存在しないと言うこと、自分がそこに立っているというということを肝に銘じた。





 軍議は本題へと入った。


 隊長達の懸念は、もっぱら敵将についてだ。


 ダストン男爵と言えば、猛将として周辺の街にも名が通っている。指揮能力の高さはもとより、剣や槍などの扱いにも長けており、一戦士としても恐ろしい存在だと言われていた。


「ダストンか……士気が落ちるかな」

「どうだろうか。聖騎士で最も個人技に優れたヒメル隊長は彼に勝っている」


 レイスリッドの呟きにラインクが応じる。


 レイスリッドは軽く唸ると腕組みした。口には出さないが、ヒメル隊長と同程度の武将など、いくらでもあしらったことがある。だが彼は、この戦は別なもっと大きな戦の発端であり、長丁場になるのではないかと考えていた。兵はできるだけ温存したい。


 ロベルクは、レスティカーザでダストンの顔でも見たことがないかと思いを巡らせていたが、爵位持ちの貴族が庶民の前に顔を見せることもあるまい、という結論に至った。


(出陣前にチラッと見たヒメル隊長と比肩する豪傑なら、山妖精を人間大に引き延ばした、鉄のような筋肉の塊に違いない)


 などと想像していると、レイスリッドがこちらを振り返っていることに気付いた。


「西にある森は、どの辺りから『妖精の森』かな?」

「ああ……この辺りだと、四半刻(約三十分)も歩かないうちに彼等の領域だと思う。森に入った途端に矢が飛んでくる、といった場所もあるはずだ」

「よし……作戦を少し変えよう」


 レイスリッドは左翼のマイノール隊を少し後退させることを決めた。


「軍師殿、これは敵を包囲殲滅するための陣形でしょうか」


 マイノールが質問した。


「そうだ。流石、マイノール殿は戦場全体の動きを分かっている。この辺りの軍隊は横並びで力押しする戦い方をよく見るが、西の方では陣形の巧拙が勝敗を左右することすらある」

「では何故私の隊を下げられる」

「敢えてマイノール殿の隊を下げたのは、森妖精に加勢を願うためだ」


 諸将が首をかしげる中、真っ先に意図を理解したのはロベルクだった。


「成程。敵軍を妖精の森に押し込んで、彼らに殺させるのか。残酷だな」

「そう誉めるな」


 ロベルクに少々遅れて、三人の隊長はレイスリッドの腹づもりを理解した。


 右翼に布陣した二千の聖兵に対し、左翼のマイノール隊が弱腰な様子を見せ、そこに敵軍を誘導しようという作戦だ。


「聖兵に通常の三倍近いラッパを持たせたのは、そのためか」

「その通りだ、ラインク団長。聖兵団の数を水増しし、手薄な場所に誘導する作戦である。諸君が名将であるために、どうやら我が軍の勝利は実現に近づいた」


 諸将は、レイスリッドの褒め言葉に喜ぶでもなく、明日の動きを脳内で想起していた。特にマイノールは押し黙ってはいるものの、せわしなく眉根を動かしている。彼は自分に様々な役目が課せられていることにいち早く理解し、あらゆる展開に適応できるように考えを巡らせていた。


「全く、軍師殿の策とロベルクの理解力には舌を巻きますね」

「マイノール隊長、当日は貴殿の踏ん張りと演技力が必要だ。よろしく頼む」

「任せていただきたい」


 自信ありげなマイノールを確認し、レイスリッドは頷く。


 その後、攻撃順序の説明や移動の手順を確認し、軍議は散会となった。





 五日後の早朝、濃霧の中でレスティカーザ軍とラウシヴ聖騎士団は対峙した。とは言え、お互いが相手の姿を目視していたわけではない。ロベルクとレイスリッド、それに光の精霊を使える幾人かだけが、魔法によって敵軍の姿を確認した。この地方では精霊使いが従軍するのは一般的でないため、敵軍にはこちらが見えていない可能性が高い。


「敵の陣形は横隊だ。予定通り、俺とロベルクの魔法で超長距離攻撃をかける」


 伝令が三方に散った。


「……しかし、この霧では我が軍も迂闊には動けないな」


 ラインクが進軍の準備を指示しながらロベルクに話しかけた。


「そうですね。そろそろ霧を晴らしましょうか」

「まさか」


 ラインクは準備の手を止めた。


「これだけの霧が……君の仕業なのか?」


 ロベルクは小さく微笑むと、虚空に水の精霊を呼び出し、霧の発生を止めるよう命じた。


 動きを止めていた風が、戦場に流れる。


 霧が千切れて、流れ去った。


 整然と並ぶ敵軍。


 それを咥え込もうとする聖騎士団。


 そして、右翼には――


「何だ、あれは」

「どこの援軍だ」


 ラインクを始めとした聖騎士たちが騒然となった。


 そこにはなぜか、六千の聖兵が布陣していた。

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